32. 世界を救うバグ技

「で、いつ百億円くれるんですか?」


 ベンは特上カルビをほお張りながらシアンに聞いた。


「んー、悪い奴倒したらね。えーと一週間後だっけ?」


 すっかり上機嫌のシアンは魔王に振る。


 ビールをピッチャーでがぶ飲みしていた魔王は、すっかり真っ赤になった顔で、


「え? 決起集会ですか? そうです。来週の火曜日の夜ですね」


 と言って、ゲフッ、と豪快なゲップをした。


「決起集会に悪い奴が来るから、そいつ倒して百億円ですね?」


 ベンはシアンに確認する。後で『違う』と言われないように確認するのは社会人の基本である。


「そうそう、失敗するとあの星無くなるから頼んだよ」


 シアンはそう言ってビールのピッチャーを傾けた。


「は? 無くなる?」


 ベンは耳を疑った。自分がミスったらトゥチューラの人達もみんな消されるというのだ。


「ちょ、ちょっと、嫌ですよそんなの! シアン様やってくださいよ、女神なんだから!」


「んー、僕もそうしたいんだけどね、奴ら巧妙でね、僕とか魔王とか管理者アドミニストレーター権限持ってる人が近づくと、何かで検知してるっぽくて出てこないんだよ」


 シアンは渋い顔で首を振り、肩をすくめる。


「そ、そんな……」


「で、宇宙最強の一般人の登場ってわけだよ」


 真っ赤になった魔王が喜色満面でバンバンとベンの背中を叩く。


 え――――!


 ベンは渋い顔をして宙を仰ぎ、あまりの責任の重さにガックリと肩を落とした。



       ◇



「あのぅ……」


 ベネデッタが恐る恐る切り出す。


「どうしたの? おトイレ?」


 シアンはすっかり酔っぱらって、顔を真っ赤にしながら楽しそうに聞いた。


「皆さんが何をおっしゃってるのか全然分からないのですが……」


 シアンはうんうんとうなずくと、説明を始める。


「この世界は情報でできてるんだよ」


「情報……?」


 シアンはパチンと指を鳴らすと、ベンの身体が微細な【1】と【0】の数字の集合体に変化した。数字は時折高速に変わりながらもベンの身体の形を精密に再現している。


 ひぃっ!


 驚くベネデッタ。空中に浮かんだ砂鉄のような小さな1、0の数字の粒が無数に集まってベンの身体を構成し、うっすらと向こうが透けて見える。しかも、それらはしなやかに動き、変化する前と変わらず焼肉をつまみ、タレをつけて食べていた。まるで現代アートのようである。


 え? あれ?


 ベンが異変に気付く。


「な、何するんですか!」


 ベンはシアンに怒る。しかし、数字の粒でできた人形が湯気を立てて怒っても何の迫力もない。


「きゃははは! これが本当の姿なんだよ」


 シアンは楽しそうに笑い、ベネデッタは唖然としていた。ベンは数字になってしまった自分の手のひらを見つめ、ウンザリとした様子で首を振る。


 そう、日本も異世界もこの世界のものは全てデータでできている。それはまるでVRMMOのようなバーチャル空間ゲームのように、コンピューターで計算された像があたかも現実のように感じられているだけなのだった。


 もちろん、ゲームと日本では精度が全く違う。地球を実現するには十五ヨタフロップスにおよぶ莫大な計算パワーが必要であり、それは海王星の中に設置された全長一キロメートルに及ぶ光コンピューターによって実現されている。そしてこのコンピューターが約一万個あり、そのうちの一つが地球であり、また、別の一つがトゥチューラを形づくっていたのだった。


 このコンピュータシステムを構築するのには六十万年かかっているが、それは宇宙の歴史の百三十八億年に比べたら微々たるものといえる。


 これらのことを、シアンは空中に海王星の映像を浮かべながら丁寧にベネデッタに説明していった。


「な、なんだかよく分かりませんわ。でも、星が一万個あって、うちの星が危ないという事はよく分かりましたわ」


 ベネデッタは眉をひそめ、困惑したように言う。


 ベンは納得は行かないものの、異世界転生させてもらったり、数字の身体にされてしまっては認めざるを得なかった。


「それで、星ごとに管理者が居るんですね?」


 ベンは数字の身体のままシアンに聞いた。


「そうそう、トゥチューラの星の管理者アドミニストレーターが魔王なんだ」


 魔王はニカッと笑ってビールをグッと空け、内情を話し始める。



 魔王たちの話を総合すると、一万個の地球たちはオリジナリティのある文化文明を創り出すために運営され、各星には管理者アドミニストレーターがいて、文化文明の発達を管理している。ただ、どうしても競争が発生するため、中には他の管理者アドミニストレーターの星に悪質な嫌がらせをして星の成長を止め、ライバルを追い落とそうとする人もいるらしい。


 そして今回、魔王の管理する星に悪質な干渉が起こっていて、このままだと管理局セントラルから星の廃棄処理命令が下されてしまうそうだ。


「一体どんな攻撃を受けているんですか?」


 ベンはナムルをつまみながら聞く。


「純潔教だよ。新興宗教が信者を急速に増やしてテロ組織化してしまってるんだ」


「純潔教!? あの男嫌いの……」


「そうそう、『処女こそ至高である』という教義のいかれたテロ組織だよ」


 魔王は肩をすくめ首を振る。


「で、彼女たちがテロを計画してるって……ことですか?」


「そうなんだよ、総決起集会を開き、一気に街の人たちを皆殺しにして生贄いけにえにするみたいだ」


「はぁ!?」


 処女信仰で無差別殺人を企てる、それはとてもマトモな人の考える事ではない。ベンは背筋が凍りついた。


「で、ベン君にはその総決起集会に潜入して、テロ集団の教祖を討ってほしいんだ。教祖は管理者アドミニストレーター権限を持っているからベン君にしか頼めないんだ」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 管理者アドミニストレーター権限を持っている教祖って無敵じゃないんですか? 一般人の僕じゃ勝てませんよ」


 すると、横からシアンが嬉しそうに言う。


「ところが勝てちゃうんだな! 【便意ブースト】は神殺しのチートスキル。攻撃力が十万倍を超えると、システムの想定外の強さになるんで管理者アドミニストレーターでもダメージを受けちゃうんだ。まぁ、バグなんだけど」


「バグ技……」


 ベンは渋い顔でシアンを見る。


「つまりベン君しか教祖はたおせない。あの星の命運はベン君が握ってるんだよ」


 そう言ってシアンは嬉しそうにピッチャーを傾けた。


「いやいやいや、そもそも僕は男ですよ? 集会に入れないじゃないですか!」


 すると、魔王はニヤッと笑って言う。


「いや、君は目鼻立ち整っているし、女装が似合うと思うんだよね」


「じょ、女装!?」


 ベンは絶句し、思わず宙を仰いだ。


 女装してテロリストの決起集会に潜入して管理者アドミニストレーターの教祖を討つ。どう考えても無理ゲーだった。そして失敗すると星ごと滅ぼされる。それは気の遠くなるほどの重責だった。


「大丈夫だって! 上手く行くよ! きゃははは!」


 シアンは酔っぱらって楽しそうに笑っている。


 他人事だと思って好き勝手なことを言ってるシアンに、ベンはムッとして叫んだ。


「ちゃんと考えてくださいよ! あなた女神なんだから!」


 すると、シアンは急に真面目になってベンを見える。


「女神だから……、何?」


 碧かった瞳は急に真紅の輝きを放ち、ゾッとするような殺気が走った。ベンはうっかり地雷を踏んでしまったことに気づき、思わず息が止まる。


 シアンから放たれた殺気のオーラが部屋を覆い、小皿がカタカタと揺れ始めた。にぎやかだった部屋も、皆押し黙って急に静寂が訪れる。シアンがその気になれば宇宙全てが根底から崩壊しかねない。そして、それを楽しみかねないのだ。


 ベンは気おされ、言葉を探すが、この殺気に値する返しなどそう簡単ではない。

 そもそも、魔王が管理者アドミニストレーターだとしたら女神とは何なのだろうか? ベンには全く想像がつかなかった。


 シアンは小首をかしげ、ベンの瞳の奥を鋭い視線でのぞきこむ。


 ベンは大きく息をつくと、小さな声で答えた。


「女神ってこう、慈愛に満ちて世界を良くしようとする神様……じゃないんですか?」


「勝手な定義だな。僕は君らの星が滅んだって痛くもかゆくもないんだゾ」


 シアンはゾッとするような冷たい笑みを浮かべ、突き放すような視線でベンを射抜いた。


「えっ……、じゃあなぜ魔王さんを手伝って……いるんですか?」


「だって、そっちの方が楽しそうじゃん?」


 シアンはクスッと笑う。


「楽しそう?」


 ベンは多くの命がかかった話に、なぜ『楽しさ』が出るのが理解できず、首を傾げた。


「どっちの方がワクワクドキドキするか……、要はどっちの方が多様性が増えるかだよ。宇宙は放っておくとどんどん退屈になっていく。だから、多様性を増やし、今までなかった景色を見せてくれることは貴重なことなのさ」


「多様性……」


 シアンはずいっと身を乗り出し、ベンのほほをそっとなでながら、


「もし……、君が期待外れなら……、僕は次の星へ行くだけ。どう? 期待していいの?」


 と、真紅の瞳をギラリと輝かせた。


 こんなの答えは一つしかない。今、シアンに愛想をつかされてしまっては、上手く行くものものダメになってしまう。


「だ、大丈夫です……」


「ほんとにぃ?」


「任せてください!」


 ベンは目をつぶって叫んだ。


 シアンはうんうんとうなずいてほほ笑むと、また碧い瞳に戻り、グッとピッチャーを傾ける。


 ベンはふぅっと胸をなでおろした。


 ただ、この世界のややこしさに考え込んでしまう。日々、目の前のことで一生懸命な自分には『宇宙の多様性』の話をされても全くピンとこない。しかし、その多様性確保のために自分たちは女神の興味関心を得て手助けしてもらっている。


 ベンは宇宙と女神と自分たち人間の複雑な関係に、思わずため息をついた。


「女神は困っている人を助けるのが仕事だと思ってました……」


「きゃははは! 僕は楽しい事しかしないよ」


 シアンは嬉しそうに笑って、ピッチャーをグッと空けた。


 言葉を失うベンに、魔王が肩をポンポンと叩きながら、


「シアン様は人知を超えた超常的存在だよ。我々人間の尺度で考えちゃダメさ。フハハハ」


 と、楽しそうに笑う。


 ここでベンは嫌な事に気が付いてしまった。シアンが『星が滅んだってかまわない』というのであれば、実は星の廃棄処分にも関わっているのかもしれない。


「もしかして、星の廃棄をするのって……」


 ベンが恐る恐る聞くと、魔王は渋い顔でシアンを指さし、シアンは嬉しそうに笑った。


「マッチポンプ……」


 ベンは頭を抱えた。


「勘違いをしちゃ困るよ! 僕は廃棄依頼をこなすだけ、廃棄処分を最終的に決定するのは評議会の仕事。僕じゃないゾ!」


 シアンは口をとがらせて怒る。


「な、なるほど……。では評議会というのは誰がやってるんですか?」


 ベンが聞くと、魔王は渋い顔で大きなテーブルの奥の方を指さした。そこではアラサーの男性が肉をめぐって美しい女性と言い合いをしていて、女性からパシパシと叩かれていた。


「え……? あの方々が評議会……?」


 ベンは唖然とした。宇宙で一番偉く、権力のあるはずの方たちがぱっと見、何の威厳もないただの人間なのだ。


「見た目で判断しちゃいけないよ。彼らは君が一億倍出そうが倒せるような人じゃない。そもそもあの男の人がシアン様を作ったんだよ。存在そのものから違うんだ」


 魔王はそう言って首を振り、ビールをあおる。


「えっ!? 作った?」


 ベンは何を言われたのかよく分からなかった。


「そうだゾ、僕はAIなんだな。きゃははは!」


 シアンは嬉しそうに笑ってベンを見つめる。


 ここでベンはシアンの子供っぽい言動の理由にたどりついた。彼女はAI、好奇心のままに動き回るアンドロイドなのだ。そして、星を破壊する能力すら持っている。


 ベンは呆然としながら、その透き通るような白い肌に浮かぶ美しい碧眼を見つめた。この、口を開かねば美しい、高貴なオーラすら醸し出す女の子がAIで、星を滅ぼす担当だそうだ。一体なぜそんなことになっているのか? その想像をはるかに超えた事態を、どう理解したらいいかすらベンには見当もつかなかった。


「評議会があの方たちなら、彼らに頭を下げたら済む話じゃないんですか?」


 べんはぶっちゃけて聞いてみる。


「星の評価には人口や文化水準から出されるスコアがあってね、手心を加えるという事は不平等であって、やらないんだよね」


 魔王は肩をすくめる。


 とはいえ、そんな星の一大事を自分の便意一つに託すというのは、あまりに変な話である。


「シアン様、AIで優秀なんだから、もっといいやり方考えましょうよ」

 

 ベンはすがるようにシアンに言った。


「いや、僕もね、いろいろやってみたんだよ。いろんな転生者に【便意ブースト】つけたりね。でもみんなダメ。千倍も出ないんだから」


 と、言いながらシアンは首を振る。


「え? 千倍出せたのって僕だけですか?」


「そうだよ。君は凄い素質があるんだゾ」


 そう言ってシアンはニヤッと笑った。


 しかし、そんなことを言われても何も嬉しくない。一体どこの世界に『便意を我慢できること』を自慢できる人がいるのだろうか? 人には言えない、ただただ恥ずかしいだけの才能なのだ。


 ベンは大きく息をついてうなだれる。


 すると、ベネデッタがそっとベンの手を握った。


 え?


 見ると、可愛い口を真一文字にキュッと結び、うつむいている。


「ど、どうしたの?」


 ベネデッタは大きく息をついて、顔を上げると決意のこもった目で、


「あたくしがやりますわ!」


 と、宣言した。


 いきなりの公爵令嬢の提案に皆あっけにとられたが、ベネデッタの美しい碧眼にはキラキラと揺るがぬ決意がたたえられていた。


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