33. 令嬢の試練

「え? ちょ、ちょっとどういう……ことですか?」


 恐る恐る聞くベン。


 すると、ベネデッタはガタっと立ち上がり、こぶしをギュッと握ると、


「テロリスト制圧はトゥチューラを預かる公爵家の仕事ですわ。わたくしは責任ある公爵家の一員として教祖を討伐させていただきますわ!」


 と、宙を見上げながら言い切った。


「よっ! 公爵令嬢!」「やっちゃえ!」「頑張れー!」


 酔っぱらった日本のスタッフは赤い顔で拍手をしながら盛り上げる。


 しかし、ベン達にはとてもうまくいくとは思えなかった。


「あー、御令嬢には難しいと……思います……よ?」


 魔王は言葉を選びながら言う。


「べ、便意に耐えるだけでよろしいのですよね? 耐える事ならわたくし、自信がありましてよ」


 ベネデッタは胸を張って得意げに言う。


 顔を見合わせるシアンと魔王。その表情には『面倒くさいことになった。どうすんだこれ』という色が読み取れた。


 ベンも頭をひねってみるが、公爵令嬢は言い出したら聞かない。適当なことを言うだけでは納得しないだろう。しかし、どうすれば……?


すると、シアンは肉の皿をのけ、ベネデッタの前に金属ベルトのガジェットをガンと置き、


「じゃあ、一度やってみる?」


 と、ニコッと笑った。


「えっ!? い、今ですの?」


 目を真ん丸に見開き、焦るベネデッタ。


「だって本番は来週だからね。善は急げだよ!」


 シアンは嬉しそうにサムアップしながらそう言うと、ビールを飲んで「ぷはぁ」と幸せそうな顔を見せた。



      ◇



 研修用の異空間に来た一行。そこは見渡す限り白い世界で、どこまでも白い床が広がり、真っ白な空が広がっている。


 シアンは仮設トイレを設置し、ベネデッタに中に入るのを勧めたが、


「ベン君はトイレなんて使いませんでしたわ!」


 と、断ってしまう。


 シアンはしばらく考え込むと一計を案じ、すりガラスのパーティションを用意してその向こうにベネデッタを立たせた。


「パーティションもいりませんわ!」


 ベネデッタは毅然きぜんと言い放ったが、


「万が一事故が起こるとまずいからね、一応ね」


 と、シアンはなだめる。そして、


「はい、ここはテロリストの総決起集会の会場デース。イメージしてー」


 と、両手を高く掲げながら楽しそうに言った。


「イ、イメージしましたわ」


 ベネデッタは目をつぶり、うなずく。


「教祖がやってきマース。教祖は『トゥチューラの連中を神の元へ送るのだー! 純潔教に栄光をー!』と叫んでマース」


「ひ、ひどい連中ですわ!」


「怒りたまったね?」


「溜まりましたわ!」


 パーティションの向こうでぐっと両こぶしに力をこめるベネデッタ。


「便意に負けちゃダメだよ」


「負けることなどあり得ませんわ!」


 ベネデッタは憤然ふんぜんと言う。


「本当?」


 シアンはニヤリといたずらっ子の顔で笑う。


「公爵家令嬢として誓いますわ、わたくし、便意なんかには絶対負けません!」


 力強い声がパーティションの向こうで響く。


「OK! スイッチオン!」


 ベネデッタは何度か大きく深呼吸をすると、ガチッと力強くガジェットのボタンを押し込んだ。


 ブシュッ!


 と、嫌な音がして、ベネデッタの可愛いお尻に薬剤が噴霧された。


 ふぎょっ……。


 生まれて初めての感覚に変な声が出るベネデッタ。パーティションの向こうで腰が引けた姿勢で固まっているのが見える。


 直後、ポロン! ポロン! ポロン! と電子音が続き、一気に『×1000』まで表示が駆けあがる。


 ふぐぅぅぅ!


 声にならない声があがり、バタンとベネデッタは倒れてしまう。


「あーあ……」


 シアンはそう言うと、すばやくベンの前に立った。そして、両手でベンの耳を押さえると、響き渡る壮絶な排泄はいせつ音が聞こえなくなるまで音痴な歌を歌っていた。


 ベンは状況を察し、何も言わずただ目を閉じて時を待った。なるほど、普通の人には耐えられないのだ。やはり自分がやるしか道はない。


 ベンはこぶしをギュッと握り、そして大きく息をついた。



       ◇



 トゥチューラの人気ひとけのない裏通りに転送してもらった二人。宮殿への道すがら、ベネデッタはずっとうつむいて無口だった。


 ベンはベネデッタの美しい顔が暗く沈むのを、ただ見てることしかできなかった。生まれてきてからというもの、あそこまでの屈辱はないだろう。かける言葉も見つからず、ただ静かに歩いた。



 別れ際、ベネデッタがつぶやく。


「ベン君の凄さが身にしみてわかりましたわ」


 ベンは苦笑し、答える。


「まぁ、向き不向きがあるんじゃないかな」


「便意に耐えるだけ、ただそれだけのことがこんなに辛く、苦しかったなんて……。ごめんなさい」


 うなだれ、肩を落とすベネデッタ。


「大丈夫、トゥチューラは僕が守ります。教祖を討って日本で楽しく暮らしましょう」


 ベンはパンパンと軽くベネデッタの肩を叩き、ニッコリと笑って励ます。


 ベネデッタはうっすらと涙を浮かべた目でゆっくりとうなずいた。


 ベネデッタは王女として生まれ、蝶よ花よとして育てられてきた。その美しい容姿もあいまって、周りの人がベネデッタに向ける視線にはみな思惑が混じっている。だから心から親しくなれる人もおらず、ちやほやされる中でもずっと孤独だった。


 このままでは政略結婚させられ、一生かごの中の鳥で過ごすことになってしまう。そんな鬱屈とした暮らしの中でいきなり現れた希望、それがベンだった。献身的に街を、世界を救おうとするその姿勢に惹かれ、また、受け身だけだった今までの自分の在り方に反省もさせられた。


 我慢するだけで世界を救えるなら自分にもできる、自分が街を救う千載一遇のチャンスだと手を上げてみたものの、結果は惨敗。十万倍どころか千倍で意識を失ってしまった。


 そんなみじめな自分にも優しい声をかけ、自分のわがままで言いだした日本移住も頑張ってくれるという。まさにベネデッタにとってはベンは希望の熾天使セラフだった。


 ベンの力になりたい。


 もちろんベンが失敗したら自分たちはシアンに殺されてしまうのだが、そうでなかったとしても苦しむベンの力になりたかった。


 ベネデッタはベンの手をぎゅっと握りしめ、しばらく肩を揺らしていた。


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