第24話

「そもそもの話なんですけれど、どうしてバックランドを脅かすのは、魔王とか魔族みたいな敵じゃなくて、虚ろっていう呪いになったんですか?」


 ノートのページを開いて麻由香と共に目を通しながら、あやのは訊ねる。


 辰巳が書き留めていたシナリオノートだ。これまであやのが辿ってきた物語の裏側や、構想中の覚書が書き連ねてある。例えば当初の予定では、ヘリオスフィアとは王都で、スリを探す過程で出会う予定だったらしい。王都の地下には迷宮のような水路が広がっており、ヘリオスフィアからの情報を頼りに、そこでスリを追いかけることになる案があったそうだ。


 地下迷宮も面白そうだな。いつか体験してみたいダンジョンに思いを馳せていると、辰巳は気恥ずかしそうに笑う。


「ありきたりだ、って思ったのがひとつと、戦争の話にしたくなかったのが正直なところかな」


「戦争、ですか」


「魔王とかって、ようは異なる種族による国や組織だから、突き詰めたら話の核はどうしても戦争になっちゃいそうでさ。世界を救う英雄になってほしかったけど、政治的な戦争の英雄にはしたくなくて」


 なるほど。


 あやのは腕を組む。言われてみれば大好きなファンタジー小説の中にも、大筋はその世界の勢力同士による戦記で成り立っている物語も少なくはない。それに、厄災を退ける英雄と、大戦果を挙げた英雄とでは、確かに印象が変わってくる。


「絶対悪って設定にしてしまえばよかったんじゃないですか? あるじゃないですか、敵は創造性の違いで袂を別った邪悪な神様とか」


 ノートから目を離さずに言う麻由香に、辰巳は苦笑いを浮かべた。


「それも考えたんだけど、せっかくならもう少し目新しい話にしたいかなって。相手の正体を探るところで、ひとつシナリオもできるし」


「で、結局風呂敷を畳めなくなったわけですね」


 辰巳の頭が机に沈み込む。


「お恥ずかしながら」


「もう、麻由香ちゃん! そんな言い方しないでください! 古湊先輩、謎の呪いが広まっていくお話、私はすごくわくわくしました!」


「ありがとう……でも事実だから」


 項垂れる辰巳をなだめつつ頭を回転させるものの、有用なアイデアはそう簡単には出てこない。これまでの展開と整合が取れ、世界を滅ぼそうとすることに納得のできる敵の姿。今更少し考えたところで、すぐに浮かんでくるものではない。


「ううん……なにか偶発的に生まれてしまった呪い、とかどうでしょう。黒騎士も被害者で、原因は環境汚染だったみたいな」


「そういう話にすると、今度はどうやって呪いを解くのかが問題になるでしょ。展開的にも、黒騎士を倒して解決にしないとすっきりしないんじゃない?」


「僕もそのつもりで進めてた。呪いを広めていた黒騎士っていうボスを倒して大団円、ってことにしたいなって」


「じゃあやっぱり、黒騎士の正体が問題ですよね。例えば、異世界からの侵略者だったとか!」


「戦争の動機じゃない、それ」


「う、そうですね……だったら、えーと」


 腕を組んで、資料のつもりで持ってきたお気に入りの小説たちの表紙を眺める。

 どんな作品であっても共通しているのは、敵にしろ味方にしろ、なにか強い力を持った存在というのは、その世界に深く根付いた背景を持っている。かつて世界の神だったもの、王だったもの。強大な存在と取引したもの……。


 はた、と。あやのは顔を上げた。いるじゃないか。ある個人に力を与える、強大な存在が。


「竜騎士」


 二人が振り返る。


「竜騎士ですよ! 黒騎士も竜騎士だったとしたら、あんなに強いのだって納得です! 世界を滅ぼすほどの力を持っていたって、おかしくないですよね? 大昔にいた邪悪な竜が、死の間際にひとりの剣士を竜騎士として認め、力を分け与えたとか」


 これ以上ないアイデアだ。麻由香も頷いている。そう思ったのに、辰巳は首を捻ってしまう。


「ありだとは思うけど、竜騎士の力は祝福を授けた竜の力に依存するんだ。そんな強い力を持った竜がいたとしたら、今まで誰も正体がわからなかった、っていう話が矛盾しちゃうよ」


 言われてみればその通りだ。グロスラッハやグロームデインのような永い時を生きてきた竜でさえ、黒騎士の正体がわからないのだ。バックランド全土を呪うほどの力を持っていた竜の存在を、彼らが知らなかったはずがない。


 初歩的な見落としに肩が落ちる。


「もう、いまさら小さな矛盾にこだわらなくてもいいんじゃないですか? 実は誰も知らなかった竜がいた、とかでっち上げちゃえば解決しますし」


「……ごめん、そうだよね。一緒に考えてもらって、文句を言えるような立場でもないのに」


 違う、ダメだ。あやのはぶんぶんと首を振った。妥協なんてしないでください。


「ダメです忘れてください! せっかくここまで紡いできた物語なんですから、私のアイデアになんか無理に合わせなくってもいいです!」


 自分の思い付きで、今までの冒険の整合性を失いたくなんてない。


「でも黒騎士も竜騎士ってのは考えていなかったというか、盲点だったからさ。ぜひ採用したいな」


「う、嬉しいですけど……」


「黛さんの言う通り、どこかに潜んでいたとか、どこか遠くから来たって話にすれば矛盾しないし、相手が竜なら災害みたいなものだし」


「……でも、ちょっと唐突感ありますよね」


「そこはどうしてもね。仕方がないよ」


 辰巳の苦笑に、あやのは唇を噛みしめる。


 仕方がない。これまで正体に関する伏線は張られていなかった、張りようがなかったのだ。竜騎士であることにしてしまえば、祝福を授けた竜がどこからか突然湧いて出てくることは致し方ない。


 確かにそうかもしれませんけれど。


「バックランドの設定がもっと細かく決まってたら、こいつの仕業だった、ってことに出来る竜もいたかもしれないけど、先輩たちもセッションごとにどんどん設定を足してたところあったからね。そう都合よく絶大な力を持つ竜なんて……」


 言葉が途切れ、辰巳の視線が書棚を走る。「いる、いたじゃないか」弾かれたように辰巳は、書棚に駆け寄った。


「どうしたんですか?」


「いたよ、今までも話に出てきて、世界を滅ぼせるほどの力を持った竜!」


「え、い、いましたっけそんな相手?」


「大いなる母」


 麻由香が呟く。


「え?」


「バックランドで信仰されているすべての竜の始祖って、確かそう言ってたでしょ」


「確かに言いましたけど……でも大いなる母って、本当に竜なんですか? 私、てっきり神様というか、概念みたいな存在だと思ってたんですけど」


「ところがそうじゃないんだ。それどころか、大いなる母はずっと高千穂さんたちの傍にいたんだよ。あった、これだ」


 辰巳は書棚から一冊のノートを取り出しページをめくると、首を傾げるあやのたちの前に置いた。


「あの、これって?」


「先輩たちがいた頃、それぞれのシナリオで出てきた設定をまとめたノート。ここを見て」


 目を通せば確かに、誰がゲームマスターをして、どんな事件が起きたか、どんな設定が増えたかが箇条書きにされている。記述によればロザムンドの叛乱も、かつて行われたセッションのひとつだったようだ。


 辰巳は、その中のひとつの項目を指している。


「ええっと、バックランドはもともと……大いなる母と呼ばれる、海に身を横たえた巨大な竜の背の上に出来た大陸である。えっ! そうだったんですか?」


「だから背中の国、バックランドと呼ばれている、ね」


 なんてことだろう。愕然としながら、あやのは繰り返しその一文を読み返した。


 バックランドでは竜が大きな力を持っている。それは認識していた。だがまさか、自分がずっと竜の背の上にいただなんて、思いもしなかった。だから大いなる母は『恵みを与えると同時に、試練となる天変地異をも呼び起こす存在』だったのだ。


「大いなる母のことは、今は一部の竜だけが覚えているって設定だけれど、どうして眠りについたのかは言及されてない。かつて大いなる母は人間によって討たれ、竜騎士となった黒騎士は、その祝福によって今日まで生き永らえていたとすれば」


「絶大な力を持っていることも矛盾しません!」


 喜色を浮かべハイタッチしようとした辰巳は、しかしまた腕を組んで顔をしかめる。


「いや、でもそれだと自分を祝福した竜の背を呪ってることになるのか……動機は……」


 あやのも顎に手を当てる。確かに、自らに祝福を授けた竜の背を呪うのは、竜騎士らしからぬ行いだ。ましてやバックランドの住民の間では、大いなる母が間違いなく信奉されているのだ。にも関わらず世界の住民たちを呪い始めるのは違和感がある。


 不意に辰巳の言葉が脳裏を過る。戦争の話にはしたくなかった。だが事実として、バックランドでは戦争が起きていた。人々が、竜同士が殺し合いをしていた。


「……祝福を授けた竜の背だったからこそ、じゃないですか?」


「どういうこと?」


「私がそうでしたけど、竜騎士になってからの方が竜への愛着が湧いてきたんです。人間と竜がお互いに認め合ってこそ、竜騎士は成り立つわけですから、黒騎士も大いなる母を慕っていたと思います。だから、その大いなる母の背で人々や竜が争い合っていたら……」


 すべてを滅ぼそうとしても、おかしくないのではないだろうか。


「いい……それいいよ! ありだと思う!」


「本当ですか!」


「大いなる母の祝福を受け、史上初の竜騎士としてバックランドを見守ってきた黒騎士は、大いなる母の背で起こる戦乱を憂いて、安らかな眠りを取り戻そうとしていた。だから呪いを使って、人々や竜を大いなる母の背から排除しようとしたんだ。呪いを解けば魔物も消えていなくなるなら、母の背が穢され続けることもない」


 これならば黒騎士が呪いを使っていた理由も説明がつくし、紫水晶の書に記されていた呪文を知っていたのも納得がいく。黒騎士の正体が、そして動機がこれで決まりだ。


 あやのと辰巳は顔を見合わせ、今度こそ手を打ち合わせる。麻由香は、設定資料に目を落としながらぼそりと呟いた。


「それでいいならいいんですけど」


 浮かんでいるのは、どう贔屓目に見ても納得している表情ではない。


「あの、なにかダメですか、麻由香ちゃん?」


「別に。ただの難癖だから、気にしないで」


「気になりますよ!」


「なにか意見があるなら、僕も聞かせてほしいな。黛さんの見方は冷静だし、僕らはどうしても、このシナリオに入れ込んじゃってるところがあるから」


 麻由香は頼み込む辰巳を疎まし気に見やる。「お願いです麻由香ちゃん!」だが懇願するあやのを見て、渋々口を開き始めた。


「相手も実は竜騎士で、大いなる母から祝福を受けている、というのはいいと思います。私が引っかかっているのは、そこよりもあやのの存在です」


 冷たい視線があやのを、そして辰巳を刺す。


「わ、私ですか?」


「黒騎士の正体がなんであれ、原因がバックランドの住民の行いにあるなら、それはその世界の中で解決すべき問題だと思う。なのにあやのに押し付けるなんて、無責任すぎない?」


 あやのは辰巳と顔を見合わせる。まったく思いつきもしない考えだった。


「でもそれは、私自身が主人公になりたいってわがまま言ったからで」


「だとしても。それに黒騎士の設定も、ずっと世界の成り行きを見守ってきたのに、今更になって滅ぼそうなんて、短絡的で横暴。あまり高潔な人物には思えない」


 短絡的だろうか。確かに横暴かもしれない。虚ろの呪いは、土地や空さえも蝕んでいた。大いなる母の背に平穏を取り戻すため、というには乱暴すぎる手段だ。けれど、それこそ麻由香が言っていた通り『小さな矛盾』ではないだろうか。


「じゃあ、麻由香ちゃんはなにかアイデアはあるんですか?」


 否定意見ばかりじゃなくて、とは口に出さない。もちろん麻由香は、答えを用意していた。


「バックランドの外に原因を作ればいい。黒騎士が世界の戦乱を嘆いていたって設定は残すとして、異世界からバックランドを呪った相手に、その感情を利用されたってことにすれば、あやのがわざわざ出向く理由にもなる」


 それはどれも、先ほどあやのが出して却下された設定だった。麻由香は、どうにかそれを盛り込もうとしているのだ。


「特別な理由もなく異世界から来た人間が、いきなり世界の命運を背負わなきゃならない話って、私は気に食わないの。主人公になる人間には、相応に因果があるべきでしょ。だから、あやのがバックランドに行くことになったのにも、この世界に原因があるべきだと思う」


「……麻由香ちゃん、もしかして私がおすすめした本読んでくれてたんですか?」


 麻由香はそっぽを向いた。


「今それ関係ないでしょ」


 あやのは笑った。辰巳も笑顔を浮かべているが、困惑の色は隠せていない。


「言いたいことはわかるんだけど、結局そうすると、話が振り出しに戻っちゃうよ。誰が呪いをかけていたのかを考えないといけなくなる。それに、この世界に原因って……」


 なにを言っているんだ、とでも言いたげに麻由香は首を傾げる。


「いるじゃないですか、うってつけの人が。バックランドを蝕む呪いを考え出した挙句、あやのを送り込んだ張本人です」


 ぴ、と麻由香の指差す先を追う。辰巳が目を瞬かせている。


「え、ぼ、僕?」


「他にいます?」


 さも当然とばかりに言い切る麻由香に、あやのは目を剥いた。


「ちょ、ちょっと待ってください! それじゃあ古湊先輩が諸悪の根源みたいになっちゃうじゃないですか!」


「みたいもなにも、事実でしょ。世界を滅ぼす呪いを考えて、その解決をあやのに任せたんだから」


「だからって、じゃあ古湊先輩を倒して解決、ってことにするんですか?」


 あやのが詰め寄ると、麻由香は顎先に指をあてて視線を宙に泳がせる。


「まあそれだとゲームにならないから、思いがけずそうなってしまったってところが落としどころかしら。あなたはここの部を存続させたかったんですよね。なんでしたっけ、ロールプレイ研究部?」


 呆然としていた辰巳は、はっとして頷く。


「う、うん、そうだけど」


「あなた自身の願いと、あやのの願い。それが黒騎士の嘆きと結びついて、虚ろという呪いが生み出されてしまった。というのはどうです? あやのっていう英雄をバックランドに呼ぶために」


 開いた口が塞がらなかった。


 ゲームマスターはゲームの進行役を務める、第四の壁の向こう側にいる存在だ。シナリオを作ることはあっても、本人がシナリオ中に介在することは基本的にない。TRPGを始めて日が浅いあやのでも理解できる、ゲームマスターの基本的な在り方だ。だというのに麻由香は、物語の整合性の一言であっさりとその縛りを取り払ってしまった。


 アイデアとしては、確かに面白い。けれど、自分よりもずっとTRPGというゲームに親しんできた辰巳が、大前提を無視したそのアイデアを受け入れるだろうか。第一受け入れたとして、どうすればその呪いを解くことが出来るのか。


「あなたが作ったシナリオが、あやのや私を巻き込んでここまでこじれたんです。最後ぐらい、あなたも物語の登場人物として責任を取ったらどうですか?」


 辰巳は腕を組んで、頭を捻る。いや、でも。呟きが漏れる。戸惑いを孕んだ視線があやのと麻由香の間を行き来する。


 やがて辰巳は、脱力しながら深々とひとつ頷いた。

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