第23話

 昼休み。


 図書室の書庫に入ってきた男子生徒の姿を見て、あやのは立ち上がって手を振った。古湊辰巳がすぐに気付いて近づいてくると、隣で麻由香も立ち上がって迎える。鞠絵に頼み、あやのが呼び出してもらったのだ。


「突然お呼び立てしてすみません、古湊先輩」


 辰巳は机を挟んだ対面に立ち、わずかに頬を引き攣らせるように笑って手を振る。


「ううん、いいんだ。僕もちゃんと謝らないとって思ってたし。本当にごめん、せっかく貴重な時間を割いてもらったのに、あんな形で終わっちゃって。結局続きも出来上がらないし、申し訳ないけれどセッションはもう……」


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 いきなり下げられようとした頭を慌てて押し止めると、辰巳は怪訝そうに首を傾げる。そんなつもりで呼んだのでは断じてない。


「古湊先輩、今日お呼びしたのは、謝ってほしいわけでも、ましてやセッションの続きを催促するためでもないんです」


「じゃあ、どうして?」


 着席を促して自分も腰を下ろし、あやのは隣に座る麻由香を辰巳に手で示した。


「まず、改めて紹介させてください。こちら、私の中学からの親友の黛麻由香ちゃんです」


 麻由香が小さく会釈をする。


「黛麻由香です。先日は失礼な態度をとって申し訳ありませんでした」


「と、とんでもない。じゃあ僕も改めて、古湊辰巳です」


 ぎこちない挨拶が終わると、あやのはひとつ小さく手を叩く。二人の視線があやのに集まる。本題はこれからだ。


「それで、話って? バックランドの冒険のこと、なんだよね?」


「はい。さっき続きを催促するためではない、とは言いましたけれど、私のバックランドでの冒険の結末が見たいという気持ちは、変わってません」


 正面から言い切ると、辰巳の目は伏せた。


「そうだよね……でもごめん、本当になにも思いつかなくって」


 辰巳の拳が、膝の上で震えるほど固く握りしめられる。


「いろいろ考えてみたけれど、どうしてもだめなんだ。アイデアが浮かんだと思っても、どこかで聞いたことのある話だったり、無理やりでっち上げても、なにも面白みのない話にしかならない。先輩たちが作ったみたいな、驚くようなシナリオを僕も作ってみたい、なんて背伸びしたのが、そもそも間違いだったんだ」


 絞り出すように呻く姿に、申し訳なさを覚える。自分はずっとなにも考えず、憧れていた剣と魔法の世界での冒険を無邪気に楽しむばかりだった。享受するばかりで、早く早くと続きを促していた。


 辰巳もまた、自分が憧れていた姿に追いつこうとして試行錯誤していたのに。先が出来上がらないまま進んで行くセッションに、不安を覚えていたはずなのに。


「古湊先輩。私は先輩の作ったシナリオで冒険して、すっごく楽しかったです。だからこそ、結末までたどり着きたいんです。先輩がお話を作ったことが間違いだったなんて、それだけは絶対にありません」


「けど、完結してない物語なんて、面白い面白くない以前の問題だ」


「そうかもしれません。だから、完結させましょう」


 辰巳が顔を上げる。なにを言っているのか、上手く飲み込めていないという表情で。


「させましょう、って」


「今日お話ししたいのはそれなんです。私と麻由香ちゃんで、お話の続きを一緒に考えさせてくれませんか?」


「へっ?」


 ぱちぱちと、どこか間の抜けた瞬きがあやのを見返した。


「ど、どういうこと?」


「言葉通りです。私たちも一緒に、シナリオを考えさせてほしいんです。全部じゃなくても、せめて虚ろの正体がなんなのか……それだけでも決まれば、きっとお話も先に進みますよね?」


「それは、そうかもしれないけど、でも」


「私は今まで、そこそこファンタジー小説を読んできた自負がありますし、麻由香ちゃんは大の映画好きで、色んな作品をたくさん観て来てるんです。ちょっと、筋肉が出てくる作品に偏ってますけど」


「関係ないでしょそれは」


「ともかく」


 睨んでくる麻由香を無視し、あやのは話を進める。


「三人寄ればなんとやらとも言いますし、知恵を出し合えばきっといいアイデアが出てくると思うんです!」


 辰巳はぽかんと口を開き、また瞬きを繰り返しながら、呆然とあやのを見つめている。辰巳のそんな表情を見るのは初めてだ。いつも穏やかに、自信ありげにシナリオを語り進めていたのに。少なくとも、あやのにはそう見えていた。そう見せられていたのかもしれない。今はまるで、初めて虹を見た子供のように目を瞬かせている。


 すぐに我に返ると、辰巳は慌てて首を横に振った。


「い、いやでも、そんなの聞いたことないよ! 参加するプレイヤーと一緒にシナリオを考えるなんて!」


 もちろんそうだろう。物語の中の人物が、物語の行く末を知っていたらおかしなことになってしまう。


 けれど、セッションの進行でゲームマスターが悩んでいたとしたら。ゲームマスターだって、ゲームの参加者のひとりであることには変わりない。プレイヤーがそれを助けてはいけない理由なんか、どこにもないはずだ。


「虚ろの正体を考えるくらいなら、問題ありません。だって、バックランドで冒険しているのは私自身ですから。黒騎士に倒されてこちらの世界に戻った私は、呪いがいったいどこから発生したのかを探り当てて、バックランドに戻るんです。ほら、なにも齟齬は出ませんよね。敵の戦い方やデータを作るのは、お任せすることになりますけど」


 詭弁を並べ立て、あやのは真剣な眼差しで辰巳を見つめる。「けれど、でもそんな」ぶつぶつと呟く辰巳はまだ、提案を飲み込めずにいる。


「古湊先輩が教えてくれたんです」


「……なにを」


「選択と結果。それが物語だって」


 なんの関係があるのか。問いたげな目線を見つめ返す。


「古湊先輩にTRPGを教えてもらって、バックランドで冒険しながら、私はとうとう私の物語が始まったんだと思っていました。でも、勘違いだったんです」


「勘違い?」


「私は今まで、なにひとつ選んでいませんでした。募集に乗ったのも、セッションに参加したのも、ただ目の前に差し出されたものを受け取っていただけです。自分で決めて、自分で選んだことなんて、一度もなかったんです」


 自分の目的のために、誰か大切な人のために、世界のために。始まりはどうあれ、それぞれの理由を自分で定めて、選択した道へ駆けていくのが、あやのの憧れた主人公たちの姿だ。


 だから決めたのだ。自分のやるべきことを見定め、やりたいことを選ぼうと。


「私を冒険に連れ出してくれた、古湊先輩の力になりたいんです。そのために、麻由香ちゃんと、古湊先輩と、一緒にバックランドを救う方法を考える。それが私の選択です。私が主人公の物語を、ここから始めさせてください。どうか、お願いします」


 一緒に虚ろの正体を考えさせてください。


 あやのが頭を下げると、麻由香もそれに倣う。辰巳は後頭部を掻きむしり、二人の顔を上げさせた。


「ええと、黛さんはいいの? その、喧嘩してたのかな、って思ったんだけど」


 そんなことまで話してたのか、と呆れた目を向ける麻由香に、あやのは照れ笑いで答える。


「心配おかけしていたみたいですけど、もう平気です。思うところがないかって言えば嘘になりますが……もうあやのとの取引も成立してますから」


「取引?」


「力を貸してもらう代わりに、映画と舞台、合わせて十本一緒に観に行くんです。夏休みが一気に大忙しになっちゃいました」


 あやのが笑いかけても、麻由香は澄ました顔で前だけを見ている。


「まあ、即興劇というのも興味ありますし。ここまでの話も、聞いてもいないところまで細かく教えられたので、一緒に頭抱えるくらいは出来ると思います」


「もう、麻由香ちゃん!」


 窘められると、麻由香は小さく笑ってあやのを見る。


「大事なのは、なにをしたのか」


 いつだったか、麻由香自身が言った言葉だ。麻由香もまた、ひとつの選択をしたのだ。


「あやのが物語を始めるときは、私も一緒だって決めてるんで」


 そもそも、「自分で物語を書いたらいいのに」なんて最初に言った、言い出しっぺは麻由香ちゃんですよ。あやのにそう迫られたことは、黙っていた。


 はあ。


 大きく深いため息が、書庫に響く。あやのは恐る恐る辰巳を見た。やっぱり駄目だろうか。TRPGのプレイヤーは、参加するシナリオの中身を知らないことが鉄則だ。きっと誰よりこのゲームに真剣なのは、辰巳だ。こんな型破りな提案を受け入れてもらえるのかどうか。


 あやのの不安を余所に、辰巳は肩を落とし、力という力がすっかり抜け出たような面持ちで笑っていた。


「まさか、こんなことになるなんて思わなかったなあ」


「すみません、無茶苦茶なお願いしてしまって」


 あやのが頭を下げると、辰巳は首を横に振る。


「いいんだ。高千穂さんがそこまでこのゲームにのめり込んでくれたのも、提案も純粋に嬉しい。自分が情けないとは思うけどね」


 天を仰ぐ辰巳の表情は、少しだけ晴れやかだ。


「そうだね。僕もこの物語の結末が見たい。高千穂さん風に言うなら、バックランドの危機は、僕が始めた僕の物語でもあるし」


「それじゃあ」


 辰巳はまたひとつ息を吐いて、佇まいを直す。椅子に腰掛け直し、深々と頭を下げた。


「僕の方からお願いします。不甲斐ないゲームマスターだけど、どうか虚ろの正体を一緒に考えてください」


「は、はい! ありがとうございます!」


 あやのは拳を握って頷く。頬が熱い。


「なんで頼まれてる方がお礼言うの」


 麻由香が笑い、あやのは頬を掻く。「確かにあべこべだね」辰巳も笑った。


 でもそんなことを言ってしまえば、最初からすべてあべこべだったのだ。空想と現実の間を行き来して、どこからが始まりなのかも定かではない物語だ。それでもあやのは確信している。だからこそこれは、高千穂あやのの物語なのだと。

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