第16話

「は、はじめまして陛下! わ、わたしはあやのといいます。グロスラッハさんの竜騎士、あやのです」


『面を上げて立ちなさい、アヤノ。畏まった態度は不要です』


 恐る恐る立ち上がるが、グロームデインの姿を直視するのは勇気のいる行いだった。女王の放つ白銀の輝きの前では、自分が酷く矮小な存在だと突き付けられているような心地にさせられる。


「すみません、まさか女王さまがドラゴンだなんて、思っていなくて……」


『おかしなことを言いますね。王とは民草の上に立ち、導くものです。もっとも優れたものが就くのが道理というものでしょう』


 鈴を転がすようなグロームデインの声音に、あやのは納得できるような、煙に巻かれたような曖昧な気持ちで頷く。だが続く女王の言葉には、息を呑んで拳を握りしめた。


『さて。アヤノ、お前の血に混じったグロスラッハの血の匂いが、私の閨まで届いていました。あえて尋ねましょう。私になにを求めているのですか』


「……私はグロスラッハさんの竜騎士として、バックランドを救うために、虚ろと戦うためにここに来ました。陛下にその道標を示していただけるだろうと、グロスラッハさんに聞いたのです」


『ほう』


 値踏みするように見下ろされ、あやのは目を伏せた。


『それは非常な困難を伴う道です。竜騎士の力を以ってしても、お前の命は容易く危険に晒されることでしょう。あるいはその力があれば、唯人の身では手の届かぬ名声を得、財を成すことも出来るはず。それでもあえて、虚ろとの戦いを選ぶというのですか? 何故?』


 なぜ? なぜだろうか。理由を問われ、一瞬考え込む。だが理由はすぐに見つかった。主人公になりたかったから、以外の理由が。


「バックランドで出会った人々に平和を取り戻してあげたい。そう思ったからです」


 レイリアやヘリオスフィア、旅路を共にしてきた人々の顔を思い浮かべながら、毅然として答える。


『それがお前の選択ですか』


「それが私の選択です。どんな結果をもたらすとしても、それが私の物語です」


 口を噤んで見つめてくるグロームデインの眼を、あやのも真っ直ぐに見返した。決して逸らすまいと心に決めながら。


 どれほどそうしていただろうか。心臓は妙に大人しくなり、どこかで風が巻き、鍾乳石から水滴が垂れる音さえも聞こえてくる。


 竜が、先に目線を外した。


『グロスラッハ、あの悪童め。彼の人間を見る目も、最期にようやく改められたようですね』


 ため息のようにそう零し、グロームデインは足を曲げて鍾乳洞の中に座り込む。


『お前の気概を認めましょう、竜騎士アヤノ』


「それじゃあ!」


『私はバックランドを治めるものとして、お前に虚ろへと続く道を示しましょう』


 いよいよだ。思わず拳を握って身を乗り出す。果たしてどこへ向かい、なにと戦うことになるのか。


『とはいえ、私たちにも虚ろの呪いや、呪いを広める黒騎士の正体は掴めていません』


 思わず肩から力が抜ける。女王なら敵についてなにか知っているのでは。その期待が叶えられなかった落胆を隠すには、あやのは素直すぎた。


 そんなあやのに、グロームデインはひとつ笑いを零す。


『お前にはリンデンへ向かってもらいます』


「リンデン、ですか? でも確かそこは……」


『かつて学術の都として栄え、はじめに黒騎士が現れた、いまや呪いに沈んだ街です』


 生唾を飲み込む音が、いやに大きく響き渡る。


『呪いに侵され、虚ろの魔物が跋扈するかの地は、竜の祝福なくしては踏み入ることもままなりません。お前にそこから、紫水晶の書を回収してきてもらいたいのです』


「紫水晶の、書」


『この世界のあらゆる魔法、魔術、呪いについて記した、リンデンの魔術学院が所蔵していた門外不出の魔導書です。それを開けば、あるいは虚ろの正体についてもなにかわかるかもしれません。すべてを詳らかにした暁には、また新たな道も開けましょう。無論、虚ろのただなかに飛び込み魔導書を探し出すのは、極めて難しい仕事になります。竜騎士アヤノ、お前はこれを引き受けますか?』


 是非もない。あやのは迷わず頷いた。


「魔導書は、私が必ず持ち帰ってみせます」


 グロームデインは満足げにひとつ頷いて返す。


『とはいえ、死地に赴こうというのにその身なりではいささか心許ないですね。アルフレート』


「はい、陛下」


 いつの間に入って来ていたのか、あやのの斜め後方から厳格な面持ちの軍団長が歩み出る。手にしている盆には、二つの品が乗せられていた。ひとつは、グロームデインと同じ、輝くような銀色の板金鎧の一式だ。胸当てと肩当、篭手。足甲はブーツの上から重ねられそうだ。もうひとつは、綺麗に折りたたまれた赤銅色の外套で、鱗を模した銀のブローチが揃えられている。あやのはその外套の色に見覚えがあった。


『私の鱗から作らせた鎧です。絹のように軽く、鋼鉄よりも硬くお前の身を守ってくれるでしょう。外套は、言わずともわかりますね。お前が誰の竜騎士なのかを示してくれます』


 あやのは目に星を灯しながら鎧を手に取り、まずその軽さに慄いた。見目も麗しく、細やかに施された意匠には装着者の身を守るまじないが籠められ、素材の力と相まって並の得物では傷つけることすら叶わない。どれほど甲冑に疎い人間でも、すぐに理解できる。これひとつで城を建てられるほどの逸品だと。


 手触りも柔らかい外套からは、芯に灯る力強い熱を感じる。どんなに冷たい夜も、この外套に包まっていれば凍えることは決してない。銀のブローチには、悪意ある呪いから身を守る女王の祝福が籠められている。


「なにからなにまで、本当にありがとうございます!」


 礼を述べながらあやのは、上目遣いにグロームデインの表情を窺った。


「ところで、陛下はグロスラッハさんのこと、ご存じだったんですか?」


 するとなにがおかしかったのか、女王はわずかに口を開き、心底愉快そうに笑い声を上げる。


「あ、あの?」


『もちろん知っていますよ。なにせあの悪童はその昔、ロザムンドの貴族たちに唆され、私を玉座から追い落とそうとしたのですから』


 あやのはしばらく、彼女がなにを言っているのか理解できずにいた。ロザムンドの叛乱の話はもちろん覚えている。そこで担ぎ上げられたのが、女王の弟だったという話も。


「え……待ってください、それじゃあ、グロスラッハさんが陛下の弟さんってことですか?」


『弟? 確かに私たち竜は、皆同じ母の血から産み落とされた身ですから、お前たちの尺度で見ればそう呼ぶことも出来るでしょう。あれはロザムンド領内の山中に棲み処を設け、時折人里を襲っては光ものを集めて穴倉にため込むうつけものでした。あるときその所業に頭を抱え、内心で私の治世を面白く思っていなかった貴族たちが持ちかけたのです。私を打ち倒し玉座に着けば、今とは比べ物にならない財宝を手に入れられるだろうと。もちろん、けしかけた貴族たちもろとも、私がただ温情をかけるばかりの王ではないとわからせてやりましたが』


 呆けて開いた口を塞ぐことも忘れながら、同時にあやのはひとつ納得してもいた。カザムダリアに掲げられた王家の紋章を、どこで見たのか思い出したのだ。グロスラッハの胸に突き立てられていた剣に、まさに同じ意匠が刻まれていたではないか。そう思って振り返れば、アルフレートの腰にもまさに同じ剣が差してある。そして脳裏を過るひとつの名前。


「もしかして騎士セレスタンって」


『懐かしい名前ですね。彼は私のもとにいた一番の剣の使い手でした。グロスラッハの胸に剣を突き立て、彼を引き下がらせた勇敢な騎士です。結局セレスタンも、その戦いの傷によって命を落ちしましたが』


 とんでもないことをしでかしているというのに、グロームデインの口振りはあっけからんとしている。


 だからだろうか。赤竜の零していた昔の過ちの正体を知ったあやのの胸に、なぜかむず痒いような、だが可笑しく思う気持ちが湧き上がってくる。あやのから見れば強大で誇り高き偉大な竜だったグロスラッハが、グロームデインの前では躾のなっていない小僧のように扱われてしまうだなんて。結局あやのは、笑い話では済まされないはずの思い出話に、つい噴き出してしまうのを堪えきれなかった。


「なんだか、すみません、グロスラッハさんがご迷惑をおかけしていたみたいで」


『構いません、それもこれも大いなる母の導き。お前を竜騎士として認め、私のもとへ遣わした功績で、過去の行状には目を瞑りましょう』


 笑いあう竜と竜騎士の姿を、軍団長は口を横一文字に結んで見守っていた。

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