第14話

 土曜日。昼下がりの路地。


 連なるビルとビルの合間に、ねじ込まれるように建つ雑居ビルを見上げ、あやのはぼんやりと口を開いた。


「ここがゲームショップ、ですか?」


 こじんまりとした五階建ての雑居ビルの構えは、いかにも事務的で、入り口も狭く、とても店舗が入っているとは思えない。通りに面した窓にも屋号はなく、入り口の脇に出された『跳ね馬亭』と書かれた立て看板が、唯一店の存在を報せている。それも、看板に連ねられた入荷商品のラインナップが、アナログゲームのものだと知らなければ、ここがいったいなんの店なのか推し量ることさえ難しい。


「イメージと違った?」


 肩透かしを食らった声音に、隣で辰巳が苦笑いを浮かべる。あやのは咄嗟に首を横に振ったが、おずおずと辰巳の顔を見上げて小さく頷いた。


「す、少しだけ」


 駅前の繁華街から路地を一本入ったところに建つ、無機質で味気のないビルが、どうにも拍子抜けに思えてしまったことは否定できない。アナログゲームショップ『跳ね馬亭』という名前の響きにあやのが想像していたのは、中世ヨーロッパ風の煉瓦造りの建物だった。


「僕も、最初に連れてきてもらったときそうだった。でもこう見えてプレイスペースもあるし、品ぞろえも充実してるいいお店なんだよ」


 辰巳に、自分のダイスを買いたいと持ち掛けたのは、あやのだった。


 これまであやのは、セッション中に使用するダイスを辰巳に借り続けてきた。もともと六面以外のダイスが存在することも知らなければ、正月に遊んだすごろくか、数学の勉強以外でダイスを使ったこともない。十面や二十面という特殊なダイスなど、どこに売っているのかも分からない。


 だがダイスは、あらゆる行動の成否や、敵に与えるダメージの大きさの判定に用いられる。当然セッションを進める中で、ルールブックの次に手にする機会の多いアイテムになる。


 自分の運命を委ねる石を、自分で選んで手にしたい。もうアウルベアの目の前で致命的失敗を出して、足を滑らせたりしないように。前回のセッションの終わりにそう持ち掛けると、辰巳は嬉しそうに頷いた。


「最近は百均とか普通の本屋とかでも売ってるんだけど……よかったら今度の土曜日、授業が終わったあとで買いに行く? 実は、近所にアナログゲーム専門店があるんだ」


 その提案に考えるまでもなく飛びついたことは、言うまでもない。


 せっかく自分専用の道具を購入するなら、豊富な品ぞろえが期待できる専門店を訪ねたかったし、なによりもTRPGをはじめとするアナログゲームの専門店というものにも、興味が尽きなかった。運命の石や魔法の書物。他にはいったいどんな不思議なアイテムが並んでいるのだろう。異世界へ行くための道具を取りそろえた店への期待は、土曜の半日授業が終わるまで、あやのの中で勝手気ままに膨れ上がっていった。


 そうして辰巳に案内された先に待ち構えていた、この味も素っ気もないビルの外観は、あやのの肩に篭っていた力をあっさりと抜き去ってしまった。


「まあとりあえず、入ってみようよ。高千穂さんなら、きっとテンション上がると思うよ」


 辰巳に促されるまま、手狭なエントランスに足を踏み入れる。跳ね馬亭は二階だ。最上階に停まっているエレベータを待つよりはと、辰巳のあとに続いて階段を上っていく。


 開け放たれた店の入り口前まで来て、あやのは少しだけ目を見開く。


 壁に掛けられた掲示板にも、店の鉄扉にも、所狭しとポスターが貼られている。いずれも描かれているのは、現実離れした世界の主人公たちだ。凶悪なモンスターに立ち向かう、屈強な戦士や軽装の盗賊。暗がりで、明滅するLEDに囲まれながら膝をつき、腕に嵌めたラップトップを操作する、サイバーゴーグルを付けたハッカー。月を背負ってビルの屋上に建つ、片腕を異形に変じさせた少年と、彼に寄り添うはかなげな少女。そして海底の神殿から目覚めようとする、恐るべき異形の神。どれもこれもが、TRPGのルールブックの広告なのだ。中にはこの店や、あるいは近隣で開催されるイベントの告知もある。


 まるで、冒険の情報が集まった掲示板だ。気心の知れた仲間を集め、この貼り紙の中から選んだ、未知の冒険に出かけるんだ。そう考えた途端、この雑居ビルの中に設けられた店構えまで、選ばれた冒険者だけがたどり着ける、隠された店のように思えてくる。


 惹き込まれるように店内に足を踏み入れたあやののテンションは、辰巳の言葉通り最高潮に達した。


 外から見たよりも広く感じる店内には、数えきれないほどのTRPGのルールブックや、見たこともないゲームの箱が並んでいた。文庫本サイズのルールブックから、両手でも抱えきれない大きさの箱に入ったボードゲームまで、形は様々だ。そのどれもが冒険の世界へ飛び込むための道具なのだ。


 陳列されているのはゲームばかりではない。著名なファンタジー小説がずらりと収められた棚もあれば、鮮やかな色彩で描かれたタロットカードもある。同じショーケースの下段には、本物にしか見えない模造品の長剣まで飾られていた。


「すごいです、古湊先輩。まるで、お話の中に出てくる魔法使いのお店みたい。あれって書庫にあったのと同じルールブックですよね。えっ、この小説のTRPGがあるんですか?」


 カウンターで、目を細めてなにか作業をしている派手な化粧の女性店員まで、あやのの目には、物語の中に出てくる舞台のひとつのように映っていた。


「喜んでもらえたみたいでよかった。ダイスはこっちの棚にあるけど、他のものもゆっくり見て回るといいよ」


 辰巳が笑いながら指した棚には、今日の目当てであるダイスが豊富に、それも想像以上のラインナップで取り揃えられている。一般的な六面や、あやのも使っている二十面。他にも八面や十面、四面や十二面など初めて見る形状もある。百面ダイスなどと言う、目を凝らさなければ出目を読み取るのも一苦労な代物さえ陳列されている。


「こ、こんなのを使うゲームもあるんですか?」


「判定で百までの出目を扱うゲームは確かにあるけど、これ使ってるところは見たことない」


 そう言った場合大抵二つの十面ダイスで代用するらしく、百面ダイスはほとんどジョークグッズ扱いらしい。やけに神妙な表情の辰巳にそう教えられ、あやのはしげしげと数字を刻まれたゴルフボールのようなダイスを見つめる。どうしてか、妙に愛おしく思えた。


 いざ目的のものを選ぼうとして、あやのは棚の前で盛大に悩むことになる。並べられたダイスは質感も千差万別で、クリスタルや宝石を模したものもあれば、金属や石細工風のもの、中には砂糖菓子のような見た目のダイスもある。この中から自分の運命を委ねる相手を選ぶのだと思うと、どれも魅力的に見えて仕方がない。


 しかめ面で唸りながら、色とりどりの多面体を眺めていたあやのの目が、ふと横に逸れた先で停まった。


 ショーケースに、崩れかけた遺跡が収められている。太古に滅び、いまやその存在も忘れ去られていた文明の残り香の中で、崩れかけたアーチ橋を挟んで対峙する二つの勢力。一方は剣と盾を構えた騎士や、弓を引き絞る尖った耳の狩人ら。もう一方は、醜悪なゴブリンや宙に浮いたひとつ目玉の怪物。そしてその最奥に鎮座するひと回り大きな影。


「グロスラッハさん……」


 初めてバックランドを訪れたその日、空想の中で出会ったドラゴンがいた。


 それは模型であり、ミニチュアフィギュアであった。実体を持ったファンタジー世界の住民たちは、空想に描いていたよりもずっと力強く、緊迫感を迸らせ、雌雄を決する瞬間を、いまや遅しと待ちわびている。


 胸が詰まった。これは成果だ。空想の世界を、現実の中に顕現させようという、執念の表れだ。幻想の存在を形にしようとした人たちがいる。これがゲームに使われる駒という商品に過ぎないとしても、それを求める人間がいるという事実に、目頭が熱くなる。


「すごいよね、これ」


 横から顔を覗かせた辰巳に、あやのは慌てて目元を拭い、誤魔化すように勢いよく頷く。


「はい。こういうフィギュアを見るのって初めてなんですけれど、イラストの迫力とも少し違って、なんて言ったらいいんでしょう」


「存在感?」


「そうです、存在感! 本当にそこに物語の世界があるみたいです」


 魔法と冒険と、そして危険が待ち受ける幻想世界に憧れを抱いているのは、なにも自分だけではない。フィギュアたちの存在感が、それを強く訴えかけてくる。自分の空想も願望も、なにもおかしなことじゃないと、そう背中を押される気さえする。


「僕も初めて先輩にここに連れてきてもらったとき、驚いたもんなあ。やっぱり立体物は説得力が違うんだなって」


 ショーケースを覗き込む辰巳の眼差しにも、同じ憧れが浮かんでいるようだった。


「古湊先輩、ロールプレイ研究部での活動って、どんなことをしていたんですか?」


「うん? そりゃあ大半はTRPGで遊んでたよ。世界を救う、長大な旅のシナリオで遊ばせてもらったりね。みんなでこうやってゲームショップに出かもしたし、あとは前に話したけど、リプレイ本を作ったり。そういえばその時は、表紙や挿絵を描いてもらうためにイラスト部にお願いしたり、結構色んなことしてたかも」


 辰巳は柔らかく微笑み、大事な宝物を見つめる眼差しでフィギュアたちを眺めている。


「白状するとね、バックランドも僕一人で考えた世界ってわけじゃないんだ」


「そうなんですか?」


「うん。最初に考えたのは研究部の先輩で、みんなで設定を考えながら遊んでたんだ。先輩たちが卒業するときに、好きに使っていいよ、って残された部の遺産みたいなものかな」


 すとん、と。なにかが収まるべきところに収まった。


 辰巳が瞳に映しているのは、輝かしい冒険の日々だ。彼は記憶の中に鮮明に描き出される、かつての物語に憧れている。そんな風に見えた。彼を冒険の世界に誘ってくれた大切な思い出の場所を、ひとり守ろうと戦っていたのだ。だから彼は、ずっと主人公を探していたのだ。


「高千穂さんがバックランドで冒険してくれて、本当に嬉しいんだ」


 そう言いながら辰巳は、どこか晴れない顔をしている。なにか不安を隠せずにいるように。


「あの、古湊先輩。私、バックランドでの冒険、本当に楽しいんです。本当に自分が主人公になれたみたいで」


「そう言ってもらえると嬉しいな」


「えっと、そうだ、次のセッションはいつにします? 私もう本当に楽しみで! あ、ここってプレイスペースも借りられるんですね。あの、今日この後とかって……」


 叶うなら、自分を幻想の世界へ連れ出してくれた辰巳の想いに報いたい。あやのの中に、憧れ以外の小さな芽が顔を覗かせていた。


「あー……まあ、一応必要なものは揃ってるから遊べるけど」


「本当ですか!」


「うん。それにここなら、フィギュアとかも借りられるしね」


 食い気味に頷くと、辰巳は慣れた様子でカウンターの女性に話しかけ、さっさと手続きを進めていく。


 その間にあやのは、ダイスの陳列棚に向き直りもう一度流し見る。数度手を彷徨わせた末に、『魔石風』と札の付けられた、緑地に金で数字の彫り込まれたダイスに運命を託すことを決め、会計に駆け込んだ。


 それぞれ手続きと会計を終え、辰巳に案内されたプレイスペースは、なんの変哲もない空間だった。大きめのテーブルが四つと、それぞれの周りに椅子が並べられているばかりで、ただの会議室だと言われても疑うことはできないかもしれない。


 だが席に座り、辰巳がマスタースクリーンを立て、ダイストレーを用意し、あやのも買ったばかりのダイスとキャラクターシートを広げれば、すぐにTRPGのセッション会場へと早変わりする。ノート状のプレイマットが、方眼を切られた緑のページを開いて敷かれれば、そこはもう草原の一角だ。


 あやのの手の中には、丸い土台に乗せられた、マントを羽織り、長剣を持った栗色の髪の少女がいる。身なりや顔立ちまですべて同じとは言えないが、駆け出し剣士たるあやのの姿を映すには、ぴったりのミニチュアフィギュアだ。その表情は凛々しく、自分など分不相応にすら思えてしまう。紙のコマよりもずっと立体的になった異世界の片鱗は、あやのの胸を高鳴らせる。この子の目を通して、私は異世界を駆け巡るんだ。


「じゃあ、始めようか」


「はい! 今日もよろしくお願いします!」


 矯めつ眇めつ眺めていた少女剣士のフィギュアを、テーブルの上の草原に下ろす。そうして今日も空想の本を開き、物語の世界へと飛び込んでいった。

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