第三章『物語の終わり』

第13話

 ロクセンの村人たちと共に進む旅路は、あやのにとっては鍛錬の日々でもあった。


「そう、そこ! 振り向いて切りつける! 剣の重さに任せて、でも剣に振られないで! 振り抜いたらすぐに構えに戻るの。攻撃した瞬間が一番無防備になるから、常に防御を考えるんだよ。周りを警戒し続けて! 重心は爪先! 足を止めないで! 切りつける、構えに戻る、切りつける、構えに戻る! ほら、また柄を握りしめてる! 力を籠めるのは刃が相手に当たる瞬間だよ! 根元じゃ相手は切れないから、間合いを意識して踏み込み過ぎないで!」


 時間さえあればあやのは、レイリアに監督されながら、心を決めて彼女から受け取った剣を振るった。運動が大の苦手で、武器どころかテニスのラケットさえまともに振るったことのなかったあやのだったが、竜の祝福により底上げされた体力という基盤の上で、自分は今まさに戦うための修行に励んでいるという実感が、そして竜騎士として相応しく振舞いたいという意欲が、レイリアの教えをどん欲に吸収させた。


 達人ではないものの、基礎を身に付けているレイリアに教えを請いながら鍛錬に勤しむ姿は、伝説の竜騎士としてあやのを崇敬しそうになる村人たちの態度を、最初の夜のように軟化させた。力はあっても、剣の振り方もまだおぼつかない、気立てのいいただの娘として。





「あやの、このあと本屋寄って帰らない?」


「うー、ごめんなさい麻由香ちゃん、今日はちょっと」


「ふうん? まあ、別にいいけど」


「すみません、じゃあまた明日!」





 あやのの教師となったのは、レイリアばかりではない。


「じゃあ今日は、バックランドの地理についてだ。バックランドはひとつの小大陸の中に築かれた国であり、王都を中心として、東に学術都市リンデン、西に白金の船着き場、北に大逆鱗と呼ばれる大きな山岳という三つの大きな要所が存在している。南にはかつてロザムンドと呼ばれる公国が栄えていたが、今となってはなにもない廃墟の街だな。他にも大小さまざまな街や村もあるけれど、まあこれは数えてたらきりがない。

 なんだって、大いなる母? それさえ知らないなんてあり得るのか! 大いなる母は、この世界を作り上げた創造主だぞ! バックランドの地に生きるものすべてに恵みを与えると同時に、試練となる天変地異をも呼び起こすものであり、なによりもすべての竜の始祖だ! だから竜たちも、寛仁と暴虐の二つの顔を持っているんだよ。竜騎士たるもの、絶対に覚えておきたまえ」


 ヘリオスフィアは吟遊詩人の名に恥じず、バックランドのあらゆることについて造詣が深く、そして教えるのがやけに上手かった。この世界を知らないあやのは彼に教えを請い、対価として、自分がグロスラッハの竜騎士になった経緯を話して聞かせた。東の海の向こうから、魔法使いの導きでやってきたのだと。話を聞いたヘリオスフィアは、なぜだかグロスラッハの名を聞いて妙な顔をしたあと、一心不乱に羊皮紙の束に羽根ペンを走らせていたが、中身は今のところ見せてはもらえていない。





「麻由香ちゃん、また明日です!」


「今日も図書室? ずいぶん忙しそうだけど」


「ふふ。その、世界を救う冒険の途中なので」


「楽しそうにしちゃって。竜騎士さまは、私に構ってる暇なんてないわけね」


「もう、そんなんじゃありませんから。それじゃあ!」





 そうしてともに街道を北に進み、七日が経った頃。


 上履きを脱ぎ、村人から譲り受けた堅い革のブーツを履いたあやのは、レイリアと共に先行して街道から離れた高台を登っている。隊列は高台を迂回して進むことになるが、頂上まで行けば道の先まで見通すことができる。道行の安全を確認するためにも、偵察は不可欠だ。


 晴れ渡った空から眩い日差しを浴びながら、緑の繁る斜面を進んで行く。


「ここを越えれば、もう王都に着くんですよね?」


 五歩ばかり先を進む背中を見上げながら、あやのはレイリアに問いかける。


「そう! この先は広い平野になってて、王都はそのすぐ向こう! といっても、わたしも自分では見たことないんだけどさ。普通は道を知ってるヘリオスフィアが来るべきじゃない?」


「昨日もだいぶ飲まれてましたからね、ヘリオスフィアさん……」


 王都への到着の前祝として開かれた宴での有様を思い出し、あやのは漏れる苦笑いを堪えなかった。


 いずれにせよ、もう目的地は目と鼻の先だ。


「ここまでずいぶんかかってしまったような、あっという間だったような」


「あっという間だったよー! アヤノが来てくれてから、みんなすごく助かったし、明るくなってさ! もちろんわたしもすっごく楽しかった!」


 レイリアに輝くような笑顔で振り返えられ、思わず気恥ずかしさに目を伏せた。助けられたのはお互い様だという恐縮と、感謝されることへの喜びがせめぎ合っている。竜騎士ではなく、ひとりの友人として接してくれることが、さらに気持ちを後押しする。


「はい、私もとても楽しかったです。ご一緒させていただいて、本当にありがとうございます」


「どういたしまして! それに、こちらこそありがとうね、アヤノ!」


 笑いあっていると、ふとレイリアが神妙な面持ちになる。


「ところで、アヤノは王都に着いたらどうするの? その、竜騎士として」


 レイリアは、真っ直ぐにあやのを見つめながら問うた。だからあやのも、真っ直ぐに答える。


「女王さまのところに向かいます。虚ろとの戦いに身を投じるなら、女王さまが道を示してくださる、と教えられたので」


「アヤノを騎士に認めた竜が言ってたっていう?」


「はい」


 あやのに課された使命はバックランドを救うことであり、そしてグロスラッハの竜騎士として相応しくあることだ。そのために進むべき道が、この先に待っている。いつまでもロクセンの人々と、レイリアたちと一緒にいるわけにはいかない。


「じゃあ、王都に着いたらお別れなんだね」


「そう、なりますね」


 口にすると、あまり意識していなかった寂しさが押し寄せる。これが旅だ、という納得も。グロスラッハと出会い、別れ、そしてレイリアたちと出会い、やがて別の道を行く。その繰り返しが、バックランドを救う旅なのだ。だとすれば、きっとまた次の出会いもあるだろう。


 レイリアもまた別れの気配を紛らわすように笑ってみせる。


「アヤノならきっと大丈夫だよ! でも、必ずまた会おうね。金剛槌の館じゃなくて、このバックランドで」


「はい、もちろんです!」


「なんて、別れの挨拶にはちょっと気が早すぎるかな」「そうかもしれません」


 約束の笑みを交わしながら、二人は高台を登っていく。


 やがて頂に立ったとき、斜面の緑ばかりが見えていた視界が途端に開け、遥か遠くの景色までが目に飛び込んできた。


「わあ……!」


 感嘆の声を漏らし、あやのはその都を見た。


 空の青と大地の緑を、南北に貫く山脈の南端。高台の向こうから続く平野の先に、陽射しを浴びて輝く巨大な城が、山肌に寄り添うように佇んでいる。いくつもの塔と堂々とした城館を備える白亜の城は、荘厳で雄々しく、流麗さよりもむしろ力強さを覚えさせる。まさしく城砦そのものだ。なによりも、まだ数十キロはあろうかという距離からも感じられる威容が、城の巨大さをひしひしと感じさせた。最奥をそのまま山肌と接している城の足下には、山肌から裾野の傾斜にかけて、段々に重ねたホールケーキのように街並みが広がっていく。城と同じ白亜の堅牢な城壁の中には、赤や橙の屋根瓦が、彩り豊かな果物のように姿を見せていた。


「あれが王都ですか!」


「やっと見えたよー! 北の大逆鱗から南の旧ロザムンド領まで、バックランドを治める女王さまのいる都、カザムダリア!」


 とうとう辿り着いた。あやのは背筋を震わせる。いよいよここから、バックランドを救う使命の旅が本格的に始まるのだ。

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