第12話

 あやのと辰巳が振り返ると、書棚の向こうからひとりの女性が顔を覗かせている。


「あれ、汐谷先生」


 司書の汐谷鞠絵だ。長い黒髪を揺らしながら、バインダーを片手に入ってくる。辰巳は首を傾げて鞠絵を迎え入れた。


「どうかしたの? もしかして書庫使います?」


「ううん、ちょっと探しものがあるだけだから、見つけたらすぐ退散するわ」


 なんら気にすることなく入ってきた鞠絵は、机の上に広げられた紙製のコマや、森をイメージした緑の方眼紙、転がされたダイスを見てにっこりと笑みを浮かべる。


「やっぱりいいわね、扉の向こうに異世界があるこの感じ」


 あやのは目を瞬かせた。学校司書であり、図書室の管理者でもある鞠絵が、書庫での活動について承知しているのは当然だ。だが生真面目な司書としての顔しか知らなかったあやのには、まるでなにもかも当然とばかりに、広げられているゲーム盤を覗き込む姿に違和感を禁じ得ない。普段は優しいが、怒らせると誰よりも怖い、そんな姿を知っていればなおのこと。


「それに、来てくれた冒険者第一号が高千穂さんだなんて。きっと高千穂さんなら素質があると思ってたけど、見込んだ通りだったね」


「そ、そうですか? えへへ……」


 顔なじみだったあやのをそんな風に評していたとなれば、疑問もひとしおだ。照れくささに後頭部を掻きながら、あやのは首を傾げて鞠絵を見上げた。


「でも、その、いいんでしょうか。学校の図書室でこんな風にゲームをしていて」


「いいって、なにが?」


「だって、TRPGはすごく楽しいですけど、学校の中で遊んでるのは変わりませんし」


 放課後の校舎で行われる秘密の、禁じられた冒険。そんなささやかな背徳感に微かなスリルを覚えていたとも言えず、あやのはしどろもどろになる。すると、鞠絵どころか辰巳までもが首を傾げ、二人は顔を見合わせた。


「なあに古湊くん、もしかしてなにも説明してないの?」


「そういえば話してなかったかも。高千穂さん、すぐにでもセッション始めたいって感じだったから」


「そ、そんなこと!」


 ない、とは言えなかった。


「ごめんね、これもちゃんと説明しておけばよかった。汐谷先生には、図書室で遊んでるのを黙認してもらってるとかじゃないよ。一応部活だから、これ」


「え? 部活ですか?」


「去年までの話だけどね」


 辰巳が目を逸らしながら補足する。


「もともと、ここではロールプレイ研究部って名前で活動してて、汐谷先生はその顧問だったんだ。でも先輩たちが卒業して、残った僕だけじゃ部としての条件が満たせなくって。一応、今も同好会って形ではあるんだけど」


「知りませんでした。でも、ゲームをする部活も認められるんですね」


 唖然としながら真っ先に思ったことを口にすると、鞠絵はなぜか胸を張り得意げに人差し指を立てる。


「そんなことを言ったら、将棋や囲碁だって一種のボードゲームよ。ボードゲームが大丈夫でTRPGが認められない道理はないでしょう」


「なるほど、確かにそうですね……!」


「騙されないで高千穂さん。学校には『企業研修などでも用いられるロールプレイ学習を通じて、疑似体験の中で社会的スキルを養成する』って活動内容で提出されてるから。先生たちもどのくらいそれを信じてるかわからないけど」


 辰巳の苦笑いに、頬を赤らめて俯く。


「信じちゃったじゃないですか。でもじゃあ、部費ってなにに使ってたんですか?」


「奥の棚に並んでるけど、TRPGで遊ぶためのルールや世界観をまとめた、市販のルールブックを買ったりしてたよ。僕たちが今遊んでるのも、ルールはそこから流用してるんだ」


 示された棚を振り返ると、なるほどゲームらしいタイトルの書かれた背表紙がいくつも並んでいる。その中にはハードカバーで装丁された、魔導書のような意匠の本もある。並べられた本の数だけ、主人公として飛び込んでいける世界があるんだ。あやのは目を輝かせた。


「でも大部分は印刷代ね。部としては活動実績が必要だから、遊んだセッションの内容を読み物として文字に起こした、リプレイ本を学校行事に合わせて作ってたのよ。去年の文化祭は本当に忙しかったなあ」


「ぎりぎりまで編集で追い込まれてたら、クラスの準備そっちのけにしちゃって、流石に同級生に怒られましたもん」


「言ってたね、そんなこと」


 懐かしそうに話す二人の顔は本当に楽しげで、在りし日の書庫の賑やかさがあやのの耳にも届いてくるような気さえした。


 日ごと、気心の知れた友人たちと、物語の世界に心躍る冒険に出かけ、その旅の記録を本にして残す。物語の中で決断を迫られ、意見が割れることもあれば、ときには敵と味方に別れることさえあり、だが物語が幕を閉じれば、また元の友達として笑いあう。


 そんな仲間たちと、ああでもないこうでもないと頭を突き合わせて、様々な物語の世界へと飛び込んでいくのだ。まだ見たこともないはずの辰巳たちの姿が、目の前に浮かんでくるようだった。


「じゃあ、もしかして図書通信に載ってた募集記事って」


 現状ロールプレイ研究部は、部活動として認められていない。だとすれば。指摘すると、辰巳は気まずそうに目を逸らす。


「掲示板には部としてじゃないと載せられないから、汐谷先生にお願いしたんだ。僕らの部をこのままにしたくなかったんだけど、僕の周りじゃ興味を持ってる人もいない。だから、部員募集だってばれないように広告を出してみたんだ」


 そこに食いついてきたのが、まさしく異世界での冒険を渇望していたあやのだった。


「そういうことだったんですか」


「だから、来てくれた高千穂さんには感謝してる。本当に」


「とんでもないです、私の方こそ感謝してます!」


 言葉にしきれない気持ちに押されて身を乗り出したあやのは、わずかに眉根を寄せた。辰巳の目はどこか苦しそうに伏せられ、あやのと結ばれることはない。どうしてだろう。さっきまであんなに楽しそうに話していたのに。


「ふふ、楽しんであげてね、高千穂さん。古湊くんはちょっと真面目過ぎるところがあるけど」


「あ、はい」


「それより汐谷先生、探しものはいいの?」


「いけない、そうだった」


 気まずそうに顔をしかめた辰巳に指摘されると、鞠絵はそそくさと机を離れ、バインダーの書類を見ながら棚に並んだ本の背表紙を指でなぞっていく。その背中を横目に、あやのは辰巳と顔を見合わせて苦笑した。さすがにこのまま物語の続きに戻る気にもなれない。


「今日はここまでにしようか」


「そうですね」



 〇



 ポケットの中でスマートフォンが震えたことに気が付いたのは、下校する前によった手洗いから、ハンカチで手を拭きながら出てきたところだった。誰からのメッセージだろう。なんの気なしに取り出した画面の通知を見た途端、あやのは口元を押さえたが、溢れる声を押し込むにはやや遅かった。


 親友からの思いがけぬ報せに目を見開き、いてもたってもいられずに駆け出す。行き交う人もまばらな放課後の校舎を、教員に見つかれば叱責間違いなしの全力で駆け抜け、脇目も振らず廊下を突っ切り、連絡通路を渡って体育館へ。息を切らせながら引き戸を開けて見回すと、中にいる生徒の数は思っていたよりも多かった。日替わりでコートを使っているバスケットボール部にバドミントン部、バレー部の掛け声がアーチ天井に響き渡っている。ボールがフローリングを叩くたびに、あやのの足下まで振動が伝わってくる。


 行き交う生徒たちの向こう側に、目当ての相手はいた。ステージ下に並んで腰を下ろしている演劇部の部員たちの中に。


「麻由香ちゃん!」


「え、あやの?」


 コートの脇を通り抜けて駆け寄ると、休憩中だろうか、他の生徒と話していた麻由香は、あやのの姿を認めるなり立ち上がって駆け寄ってくる。


「ちょっと、わざわざ来たの?」


「来るに決まってるじゃないですか、あんなメッセージ貰ったら!」


 向かい合うなり、あやのは麻由香の両の手を取る。しっかりと握りしめて、大きく見開いた目で麻由香の目を見つめた。


「本当に本当ですか? 劇団のオーディション受かったって!」


 麻由香は二、三度目を瞬かせ、そっとあやのから目を逸らして頷いた。


「うん、まあ。地元の小劇団って感じだけど」


「それでもすごいですよ! おめでとうございます!」


 満面の笑みで握った手を上下に振ると、麻由香は肩の力が抜けたように笑う。


「別に、そんなのメッセくれればよかったのに」


「こんな素敵なお話聞いたら、直接お祝いしたいに決まってるじゃないですか!」


 意気込んだあやのは、邪魔になるから、と麻由香に脇の戸口から連れ出される。二人がすぐ外のコンクリートの階段に並んで腰を下ろすと、体育館脇に佇む松の大木が、まだ陰ろうとしない陽射しを柔らかく遮る傘に二人を迎え入れた。


「でも本当に良かったです。これで麻由香ちゃんの夢に一歩前進ですね」


 女優になりたい。その夢のために、麻由香が現実的な努力を続けていたことを、あやのはよく知っている。学校に演劇部のなかった中学時代、休み時間や放課後に麻由香が暗唱する外郎売を、あやのは目の前で繰り返し聞いてきた。少ない小遣いから書店で買った指南書を片手に、喜怒哀楽を表現する麻由香の演技を対面で見ていたのも、やはりあやのだ。麻由香の両親への懇願が叶って養成所通いを認められてからも、教わった演技を披露してもらうのは、あやのの楽しみのひとつだ。


 そんな、自らの力で新たな世界への扉を開こうと挑む麻由香が、あやのにはこの上なく眩く、羨ましく、そして誇らしい。だからこそあやのは、親友の躍進を心から喜び祝福していた。


「おじさんやおばさんには伝えたんですか?」


「まだ、帰って直接言う」


「じゃあ演劇部の人たちには」


「その内伝える」


「……もしかして、私が一番乗りですか?」


「本当に乗り込んでくるとは思ってなかったけどね。だいたい、実際にいつ舞台に立たせてもらえるかまだわからない。出られても端役からだろうし、得意げにべらべら話すような段階じゃないでしょ」


 口ではそう突き放しているが、横から覗き込んだ麻由香の表情は心なしか満足そうに見え、駆けつけて正解だったと、あやのは確信した。親友の朗報を面と向かって祝えるほど、幸せなことはない。


「またそうやって、わざと醒めた言い方するんですから。もっと素直に喜んだらいいじゃないですか」


「飛んだり跳ねたりして喜ぶのは、あやのの役目でしょ」


「もう! なんですかそれ、せっかくおめでとうって言いに来たのに!」


 麻由香は口に手を当て、くすくすと笑う。


「だから、私の分まで飛び跳ねて喜んでくれるでしょ」


「……もちろんじゃないですか。本当に、おめでとうございます」


「ありがと」


 肩に首を埋め、何度言っても伝え足りない祝福を伝えると、麻由香は抱えた膝に頭を預け、あやのを見ながらうっすらと微笑む。その顔が少しだけ遠くに見え、あやのは目線を空に逃がした。


「でもそうしたら、麻由香ちゃんもまた忙しくなっちゃいますね」


「そりゃ、今よりはね」


 今でさえ麻由香は、部活もあれば養成所のレッスンもある身だ。これに劇団での稽古も加われば、放課後を一緒に過ごす時間はますます減ることだろう。あやの自身、つい先日から放課後の予定が増えたばかりだ。目指す先に進むための道とはいえ、同じ時間を共有できないことへの寂しさは誤魔化しきれない。


「……映画観に行く時間くらいはあるけど?」


 麻由香はしかめっ面で、立てた膝に頬杖をつく。


 そういえば。あやのは頷いた。先日の約束は今のところまだ履行されないままだ。


「今度の土曜なら空いてるけど」


「う、ご、ごめんなさい、その日は先約があって」


「あっそ。なら、まだあやのの冒険には付き合えないな」


 当然、麻由香がTRPGのセッションに参加する条件もまだ達成されていない。

 あやのはそっと拳を握る。早く麻由香にも、あのわくわくする冒険の世界に触れてほしい。自分の夢が形になったみたいなあの世界に。どうにか時間を捻出して、麻由香と映画鑑賞する日を設けなければ。


「そっちはどうなの。なんだっけ、竜騎士、だっけ? としての冒険は」


 密かに決心を固めるあやのに訊ねた麻由香の声は、さも興味なさげに聞こえる。


「はい、今もすごい冒険の真っ最中です! あのあと私は、王都に向かうために旅を始めたんですが、途中で魔物に村を追われた人たちの一行に出会ったんです。それで……」


 嬉々として捲し立て始めるはずだった声音は、肩と共に調子を落とし、俯く顔と共に尻すぼみに掠れて消えてしまう。麻由香は訝しげに眉根を寄せる。普段のあやのならば、楽しかった出来事や面白かった本の話が、それこそ聞いてもいないことまで、立て板に水とばかりに言葉が溢れてくるというのに。


「なにかあったの?」表情も険しく、麻由香はコンクリートに手をついて身を乗り出した。「まさか、誰だかって先輩になにかされた?」


 とんでもない誤解に、慌てて首を振る。


「ち、違います! なにもされてません、ただ私の気持ちの問題なんです!」


「どういうこと」


 目を伏せながら、あやのは言葉を探した。浮かれ切っていた自分の痴態を口にするのは簡単ではなく、麻由香が相手でもなければ、そもそも話そうとも思えなかった。いくぶん悩んだ末、静かに待っていてくれた麻由香に向けてそろそろと口を開く。


「村人さんたちの中に、熱を出して寝込んでいたおばあさんがいたんです。その人のために薬を探しに行った女の子もいて、その子を連れ戻してほしいとお願いされました」


「うん」


「お願い自体は無事解決出ました。そのあと襲ってきた魔物だって返り討ちです。でも」


「……でも?」


「私、お願いされて喜んでいたんです。これで物語の主人公として活躍できるんだ、って。今日だけじゃありません。前回グロスラッハさんを倒さなきゃいけないってなったときも、世界が大変なことになっているって聞いたときも同じです。私は自分が主人公になるために、苦しんでいる誰かがいる状況を喜んでいたんです」


 誇り高い矜持と、これから傷つけてしまうかもしれない誰かのために身を投げ出した竜と、一心に大切な人の身を案じて駆け出した少女と、結局は自身の目的のために動いていたあやのと。鏡に映った独りよがりな姿に、あやのは深くため息をついた。どうしてこんな人間が、主人公でなんかいられるのだろうか。


「そんな自分がなんだか情けなくなってしまって。おかしいですよね」


 自嘲交じりに吐き出し、膝を抱える。麻由香は真っ直ぐに、大きな松の木を見つめていた。


「一応聞くんだけどさ」


「はい」


「それって全部ゲームの中の話だよね」


 あやのは頷いた。隣からため息が聞こえる。


「真面目に考えすぎでしょ。ゲームの中の勇者だったら、誰かの家にある宝箱勝手に開けたって別にいいんじゃないの」


「で、出来ませんよそんなこと! その、もちろん現実のお話じゃないのは理解しています。でもゲームの中でどうするか決めて行動しているのは私自身です」


 ならば、その決定も選択も、幼稚で自己中心的な喜びも、すべてあやの自身のものだ。あやのはただのプレイヤー、ゲームの世界の外側にいる人間であって、ゲームの世界の中にいるキャラクターとは別人だ。頭ではそう理解していても、気持ちはすっかり物語の世界に入り込んでいる。


 あやのの世界の扉は、いつだって図書室で借りてきた本の中にあった。仲間と共に困難に立ち向かって行く主人公たちの冒険は、無味乾燥なあやのの日々を鮮やかに彩ってくれていた。彼らの勇気と強さに憧れた。いつか自分も、そんな冒険が出来るだろうか。主人公たちが辿ったような物語が、自分にも待っているだろうか。いくら幻想と現実に区別を付け、荒唐無稽な夢物語を待ち望むことをやめようとしても、心のどこかで宝の地図を探すことをやめられなかった。


 図書通信の募集に飛びついて、書庫の魔法使いに出会ったあの日、思いがけない形ながらやっと自分の物語が始まったはずだったのに。


 強く優しい物語の主人公たちに憧れるあやのを、苦難に喘ぐ人々の存在を喜ぶあやのが見下ろしていた。


「私ってこんなに自分勝手だったんだなって、今更気付いて、なんだか笑っちゃいますよね」


 言葉通りに笑えずはずもなく、抱えた膝に頭を埋めるあやのの姿に、麻由香は小さく息を吐いた。また膝に頬杖をついて、横目であやのを見つめる。


「別に、お話の主人公もそんな高尚な考えの持ち主ばっかりじゃないと思うけど」


「そうかもしれません」


 けれど、それがあやのの憧れる主人公像なのだ。麻由香もそのことはよく理解している。


「別にあやのがその人たちを苦しめてるわけじゃない」


「でも、自分たちの苦境を喜ばれて嬉しい人なんていません」


「そう言ったの? 私のために苦しんでくれてありがとうございます、って」


「い、言うわけないじゃないですか! どんな最低人間ですか!」


 松の木が風に揺られ、耳にこそばゆい葉擦れの音色を奏でる。


「だったら同じでしょ。その人たちからすれば、あやのはピンチを助けてくれた恩人ってだけ。まあ、あやののおこちゃまな願望はともかく」


「おこちゃま……」


「ともかく。結局大事なのは、なにをしたのかってこと」


「なにをしたか、ですか」


 それは、どこかで聞いた言葉に、よく似ていた。


「あやのはその人たちを助けて、その人たちに感謝されたんでしょ。どう思っていようがその事実は変わらないんだから、大人しく受け入れなさい。主人公だろうが勇者だろうが英雄だろうが、夢見がちな高校生だろうが、欲望があることを否定なんてできない。それとも、女優になりたい夢のために他の参加者をオーディションで蹴落とした私を、極悪非道の悪者だって思う?」


 あやのは首を振る。思いつきもしない考えだ。


「……でも、いいんでしょうか、それで」


「いいでしょ別に。相手がなに考えてるかなんて、普通はわかんないんだし。それに」


「それに?」


「名聞利養で悩んでる方が主人公っぽい」


 麻由香は意地悪く微笑んだ。


「もう、もう! 麻由香ちゃん!」


「そろそろ休憩終わりだから」


 立ち上がって向けられた麻由香の背に、あやのはもう一度呼びかける。


「麻由香ちゃん!」


「なに」


「ありがとうございます」


 ひらひらと手を振り、体育館に戻っていく麻由香。その背を追いかけて中に入り、あやのは反対側へと足早に歩き出す。


 思っていたよりも帰りが遅くなってしまった。今日はもう帰ろう。そしてまた、放課後の書庫からバックランドに戻るんだ。


 功名心に浮かれていた自分を、麻由香のように割り切って考えることはまだできないかもしれない。それでも、引き受けた使命は果たすしかない。始まってしまった物語は、終わらせないといけない。幼稚で自分勝手なだけだったか、胸を張れる主人公だったかは、すべてが終わってから考えればいいのかもしれない。そう思えるようにはなった。


 今日はいい夢を見られそうだ。バックランドでの心躍る冒険の夢を。あやのは胸を弾ませながら、帰路に就いた。


「……バカみたい」


 離れていくあやのの背に投げられた麻由香の呟きは、誰にも聞こえることはなかった。



 ◆



『……匂いがする』

 暗闇の中に光る眼が告げた。

『竜と人の血の匂い。竜騎士の臭い』

「どうなさいますか」

 傍らに控える騎士が訊ねる。

『丁重に迎えなさい』

 騎士は無言で頭を下げ、暗闇を後にする。暗闇には、光る眼だけが残された。

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