第37話:ギャルは暑がる
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「今から日賀っぴの家、行っていい?」
「え?」
仁志名の言葉の意図がよくわからずに、俺は固まった。
「昨日買ったフィギュアが日賀っぴの部屋に飾られるのを見たいなぁ。ぜぇーったいカッコいいよねー。見たいっ!」
「そ……そっか」
そういうことか。
俺の部屋にあのフィギュアがあるのを想像したら嬉しいって言ってたもんな。
しかも仁志名は大金を貸してまで、俺が買うのを後押ししてくれたんだ。その気持ちわかる。
仁志名のおかげで手に入れられたフィギュアだ。飾ってあるところを見る権利はあるに決まってる。
今日は母がパートから帰ってくるのは6時頃だ。
今からすぐに家に帰ったら、2時間くらいは時間がある。
うん、大丈夫だ。
それと……前に仁志名が俺の部屋に来てから、室内はちゃんと整理整頓してある。
そこも大丈夫だ。
「わかった。行こうか」
「やっぴ!」
満面の笑みで嬉しさを表わす。
相変わらず感情が豊かだな。
仁志名が俺の部屋に来るのはやっぱり緊張する。
だけどこんなに可愛い笑顔を見せられて、断わり切る防御力は俺にはなかった。
***
「お邪魔しまーす!」
我が家の玄関で、仁志名が靴を脱ぎながら明るく挨拶をしている。
誰もいないから挨拶する必要はないんだけどな。
相変わらず律儀なヤツだ。
トントンと階段を昇り、2階にある俺の部屋に入った。
「ふわわわっっ! マジやばっ! エモっ! エモすぎっ!!」
部屋に足を踏み入れた瞬間、仁志名は語彙が崩壊した。
棚の上に飾った影峰喰衣のレアフィギュアに顔を寄せて、かぶりつくように見つめている。
「すっげえだろ?」
「うんうんうんっ!! すっげーいいっ! 日賀っぴ、これヤバいてっっっ!!」
「1年前からどうしても欲しかったレアフィギュア。手に入れられたのは仁志名のおかげだよ。感謝してる。ありがとう」
フィギュアにかぶりついたまま俺の言葉を聞いていた仁志名が、ゆっくりと振り向いた。
綺麗な茶髪が渦を巻くように揺れ、まるでスローモーションのように見えた。
まつ毛の長い、キラキラと輝く双眸。
通った鼻筋に形のいい小顔。
──綺麗だ。
改めて仁志名の美しさを感じる。
鼓動がドクンと跳ね上がった。
「日賀っぴ……あたしの方こそ、キミには感謝しかないって。それにあたし……」
「ん?」
「……や、なんでもない」
どうしたんだろ。
仁志名は上気したように顔が赤い。
じんわり汗もにじんでる。
「暑いか?」
「ん……ちょっと暑い……かな」
やっぱり。
そう言われたら、この部屋なんとなく暑いような気がしないでもない。
でもそれほどでもないよな。
もしかしたら仁志名って暑がりなのかもしれない。
「じゃあ冷たいお茶を入れてくるよ。そこに座って待ってて」
ローテーブルの横に敷いた座布団を指してから、階下のリビングに降りた。
そして冷たいお茶を二つ、グラスに注いでお盆に載せて自室に戻った。
仁志名は座布団に横座りしている。
短めのスカートから伸びる脚が綺麗だ。
「お待たせ。飲んでくれ」
「サンキュっ!」
お盆を両手に持ったまま、ローテーブルに歩み寄る。
──え?
手に持ったお盆で足元が見えないけど、なにか塊を踏んだ。
足が滑って態勢が崩れた。
つんのめって前に倒れる。
──ヤバいっ!
このままだと仁志名の頭上にお茶をぶちまけてしまう。
それだけは避けないとっ!
手を横に振って、お盆ごとグラスを横に放り投げる。
お盆とグラスが床に落下して、こぼれたお茶が床に広がる。
これで、仁志名を水浸しにしなくて済んだ。
だけど身体が前向きに倒れるのはもう避けようがない。
「うわわっ、仁志名どいてっ!」
目の前には座ったままで上半身を引く仁志名。
「ムリムリムリっっっ!」
突然のことで、横座りの仁志名には避けようがない。
俺はそのまま覆いかぶさるように、仁志名の上に倒れ込んだ。
俺に押されて仁志名も仰向けに倒れる。
だけど彼女にケガをさせるわけにはいかない。
両手を仁志名の顔の左右について、身体同士が激しく激突することだけは避けた。
──間一髪セーフだ。
倒れた俺の身体の下には仁志名の身体。
身体は密着し、顔と顔は10センチも離れていない。
柔らかくて温かい仁志名の身体。
お互いの吐息がかかる距離。
仁志名の美しい瞳がすぐ目と鼻の先にある。
目と目が合う。
仁志名は息を飲むような表情。
どっくんと心臓が悲鳴を上げた。
「大丈夫か? ケガはないか?」
「うん……日賀っぴは?」
「俺も大丈夫だ」
「よかった」
なにごともなくてホッとした。
だけどこれは、いくらなんでもくっつきすぎだ。
両腕を伸ばして距離を取ろうとした瞬間──
なぜか仁志名がすぅーっと瞼を閉じた。
──え?
えええぇぇぇ!
なにこれ?
これってキスする寸前のシチュエーションか!?
ドラマでよく見るシーンだよな……
まさか俺とキスするのをオーケーと思ってるとか?
あまりに美しくて魅力的な顔に、俺は心が吸い込まれるような感覚を感じた。
そのせいで俺の意志とは無関係に、顔がさらに仁志名の方に引き寄せられる。
仁志名の吐息が鼻の頭にも感じるほど近づく。
艶めかしい息の音色が耳に流れ込む。
──仁志名とキス。
想像するだけで、どくんどくんと自分の心臓がやかましい。
身体中が熱い。
俺の身体の下にある仁志名の身体も、すごく熱を持っている。
もうちょっと。
もうちょっとで唇と唇が触れ合う。
そして──
いやいやいや!
勘違いすんなよ俺!
もしもこれが、キスOKのサインじゃなかったとしたら大変なことになる。
お互いに怪我がないとわかって、ホッとして目を閉じただけなのかもしれない。
そうだとしたら、無理やりキスなんかしたら、仁志名との仲は崩壊する。
いや。例えこれがOKサインだったとしても、こんな突発的なことでキスをするのはよくないと思う。
俺は仁志名を大切にしたい。
だって俺は仁志名を──
「新介ぇ~! 帰ってるのぉ~?」
扉を隔てた廊下から、突然母の声が聞こえた。
火照った全身に、一瞬にして冷たいものが流れる。
え? なにこれ?
前にもこんなことがあったよな。デジャヴかよ。
母はまだパートから帰る時間じゃないのになぜだ?
でも、さっきの声は幻聴なんかじゃない。
本当に帰ってきたんだ。まずい!
急いで身体を起こして立ち上がった。
床を見下ろすと、両手を頭の上に広げて、だらんと仰向きに寝転んだ美人ギャルの姿があった。
ぼんやりと放心した顔つきと床に美しく広がる髪。
まるで女神のように綺麗だ。
そして胸元がはだけたブラウス。
ずり上がったミニスカートから見える白く肉付きの良い太もも。
こんなにエッチな姿の女の子が、さっきまで俺の身体の真下にあったなんて。
思わず下半身に血が流れこんで熱くなる……なんて言ってる場合かよっ!!
早く何とかしなきゃ、母が部屋の中に入ってくる。
こんなところを見られたら、ぜったいにいかがわしいことをしてたって思われる。
そうだ! 前みたいに、また仁志名を布団の中に隠そう!
「いるんでしょ新介。開けるよ」
あ、ダメだ。そんな間はない。
万事休す。
がちゃりと扉が開き、廊下に立つ母と目が合った。
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