第36話:なぜか仁志名が不機嫌

***


 月曜日。登校してすぐに仁志名の姿を探した。

 彼女はすでに登校していて、もはや見慣れた茶髪の美人が俺の隣の席に座っていた。


「おはよう」

「あ、おはよー日賀っぴ」

「仁志名。ちょっといいかな。教室の外で話がしたいんだけど」

「え……?」


 仁志名がフリーズした。

 そりゃそうか。

 今までこんなことは言ったことがない。


 きっと不審がられたに違いない。


「あ、え、お……いい……けど」


 俺の後ろについて教室から出る仁志名の動きは、かなりギクシャクしている。


 おいおい、右手と右足が同時に前に出てるぞ。

 まるで出来損ないのロボットみたいだ。

 どうしたんだ?


 教室を出て、廊下をしばらく歩く。


「ど、どこにいくのかなぁ?」

「ん……二人きりで話をできるところ」

「ふぇっ……」


 変な声が聞こえて振り向くと、仁志名はさっと目をそらした。

 顔が真っ赤だ。体調が悪いのか?


「あの……大丈夫か?」

「あ、うん。だ、だいじょーぶ! ……たぶん」


 たぶん?


 やっぱり体調が悪いのかな。

 元気そうだけどな。


 それとも俺になにか変なことを言われるって、心配になってるのかも。

 いやいや、俺ってそんな変なことを言うキャラだって思われてるのか?

 そんなことはない……と思いたい。


 廊下の突き当りを右に曲がって、屋上に上がる階段を昇る。

 屋上へは鍵が閉まっていて出られないけど、扉の前にちょっとした空間がある。

 普段は誰も来ることがない場所なので好都合だ。


 屋上扉の前まで来て立ち止まり、俺は振り向いた。

 仁志名と目が合う。


 彼女は両手を身体の横に伸ばしたまま、ピキっと気をつけの姿勢をした。

 胸を張るから、大きなバストが強調されてヤバい。

 なにがヤバいって、俺の理性が。


 それにしても、なにをそんなに緊張してるんだろ。


「あのさ仁志名」

「はっ、はいっっっ! な、なにかなぁ……えへへ」


 身体は直立不動なのに、なぜか顔はゆるゆるになってる。

 ホントにどうしたんだ仁志名。

 壊れちまったか?


 万が一誰かが来ないうちに、とにかく用件を早めに済まそう。

 俺は制服の上着の内ポケットから白封筒を取り出した。


「仁志名。これ、受け取ってくれ」

「は、はいっ!!」


 仁志名は両手を伸ばして、うやうやしく封筒を受け取った。

 なんか大げさだな。


「あああ、これって……ラ……」

「あ、おい、仁志名っ! 大丈夫かっ!? ヤベっ!」


 なぜか仁志名は目をぐるぐる回して、ふらついて後ろ向きに倒れていく。


 きっと貧血だ。

 俺は慌てて仁志名の背中に両腕を回し、倒れる間一髪で抱きかかえた。


 腕に重みと同時に、肌の温かみと柔らかさが伝わる。


「仁志名! 仁志名っ!」


 あまり大きな声が響くと、誰かが来てしまう。

 こんな姿を見られたら、えらいことになる。

 だから俺は耳元で名前を呼んだ。


 すると幸いにも、仁志名はすぐに目を開いた。


「ふわわわっっ!」


 間近に俺の顔があるのに気づいて、仁志名は目を見開いてびっくりした。


「あ、ごめん!」


 慌てて顔を離した。

 仁志名はもう倒れることもなく、自分の足でしっかりと立っている。


 何ごともなさそうで良かった。

 やっぱりちょっとした貧血だったんだろう。


「あ、あたしの方こそ、びっくりさせてごめん」

「大丈夫か?」

「うん、だいじょーぶ」


 言って仁志名は、俺が渡した封筒を目の前に掲げて見つめている。


「これって……」

「うん、昨日仁志名に借りた5万円だ。親に事情を説明して、なんとか借りることができたから返す」

「ごまん……えん?」

「うん、そう」

「……は?」


 ちょっと待ってくれ。

 なんでそんなに口を尖らせて、不満そうな顔で俺を睨んでるんだ?


 大金をすぐに返すんだから、きっと喜んでくれると思ったのに。

 予想が大きく外れて、俺は何がなにやらわからない。


 いやホント、女子の気持ちってよくわからないんですけど?


***


 なぜかその日は、一日中仁志名の機嫌が悪かった。

 俺、なにか悪いことしたんだろうか。


 できるだけ早く借りたお金を返したくて、昨日の夜はめっちゃがんばって親を説得したんだけどなぁ。


 普段は俺が趣味に使うお金の前借りなんて、絶対に認めてくれない両親。

 だけど今回は事情をきちんと説明したら、母が父を説得してくれて、5万円を貸してくれた。


 あとは夏休みにバイトをして返す約束を果たすだけだ。


***


 一日の授業が終わって、駅に向かって下校路を歩いていた。

 すると背後から声が聞こえた。


「日賀っぴ! ちょ、待って」


 振り向くと、肩で息を切らせた仁志名がいた。

 茶色の髪が少し乱れている。

 わざわざ走って追いかけてきたのか。


「ああ、仁志名。どうした?」

「あの……謝んなきゃいけないと思って追いかけてきた。だって日賀っぴ、気がついたらもう教室から出てたんだもん。早すぎっしょ!」


 放課後になったらさっさと帰る。

 それが俺の行動パターンだ。

 他のヤツらみたいに、だらだらと雑談する友達がいないんだから。


「悪い悪い。で、謝るってなにを?」

「せっかく日賀っぴがお金を返してくれたのにさ。なんか今日のあたし、無愛想じゃなかったかなぁーって。だからごめんね」

「いや、無愛想だなんて別に……」


 確かに今日の仁志名はちょっと不機嫌だった。

 なぜなのかがまったくわからないだけど。


「日賀っぴに嫌われたらヤダからさ。ちゃんと謝っとこーかと思ってね」


 ──え?


 俺に嫌われたらイヤ?

 そんなふうに思ってくれてるんだ……。


「なに言ってんだよ。俺が仁志名を嫌いになるなんてないから」

「マジ?」

「ああ。当たり前だろ」


 嫌いになるなんて考えられない。

 それどころか俺は仁志名のことを──


「そっか。よかったぁ」


 本当に嬉しそうに目を細める仁志名にドキリとする。

 素直で優しくて可愛い。


「じゃあさ日賀っぴ。ちょっとあたしのお願い聞いてくれるかなぁ」

「なんだよ改まって。いいよ。なんでも聞くよ」

「今から日賀っぴの家、行っていい?」


 ──は? なんですと?


 仁志名の言葉の意図がよくわからずに、俺は固まった。

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