第34話:ジェラートが仁志名を呼んでいる

 さあ、いよいよ影峰喰衣の超レアフィギュアを手に入れる瞬間が近づいてきた。


 発売された時に買えなくて早一年。

 うーん、長かった……。


 でもこの日がとうとうやってきた。

 あれが、俺のモノになる日が。


 天国あまくにさんのお店を出てフィギュアショップに行く途中で、旨そうなジェラートのお店を見かけた。

 道路端どうろばたに停めたワンボックスワゴン車の移動式店舗だ。

 ボディにポップなアイスのイラストが華やかに描かれている。


「日賀っぴアレ見て!」

「うん?」

「ジェラートがあたしを呼んでる!」


 いや、呼ばんでしょ。

 ジェラートに口はない。


「今食べなきゃ呪い殺すって言ってる!」


 言わんでしょ。

 ジェラートに人を呪い殺す能力なんかない。


 でも、なにその可愛い、食べたいアピール。

 食べたいって気持ちがビシビシ伝わってくる。

 相変わらず食いしん坊だな。


 ホントは早くフィギュアショップに行きたいけれど、仁志名の希望を無下にはできない。

 それに楽しみは先に延ばした方が、手に入れた時の喜びがさらに大きくなるものなのだよ。


 レアフィギュアは天国さんの計らいで取り置きしてもらってる。

 だからフィギュアが逃げ出すことはないのである。


 よし、ここは仁志名の提案に従うか。


「じゃあ食って行こうか」

「やっぴ! うれぴー! さすが日賀っぴっ!!」


 ピの三連コンボ。

 よっぽど嬉しいみたいだな。わはは。


 ワゴン車に近づいて、ジェラートを注文した。

 俺はバニラ。仁志名はいちごミルクだって。

 なんか可愛い。


 財布の中を覗くと、家から持ってきた4万円と、さっきバイト料でもらった1万円がある。合わせて5万円。

 これはレアフィギュアを買うための軍資金だ。


 それ以外に千円札が3枚。

 よし大丈夫だ。ジェラート代くらい出せる。


「ここは俺がおごるよ」

「悪いからいーよ。自分の分は自分で出すし」

「いいって。遠慮すんな」


 がんばってる仁志名を応援したいって気持ちから、奢りたくなった。

 それに正直に言うと、ちょっとカッコいいところを見せたかった。


「そっか。……ありがと! ちょー嬉しいっっっっ!!!!」


 いや、そこまでテンション上げて喜ばなくても。

 でもこんなに喜んでくれると俺も嬉しい。


 ワゴン車の横に設置された木製のベンチに並んで座って、ジェラートを食べる。

 しばらく雑談していたら、突然仁志名が大きな声を出した。


「日賀っぴ! アイスが溶けて垂れてるよっ!」

「え……? あ、ホントだ!」


 溶けたアイスがポタポタとズボンの裾に落ちていた。

 全然気づかなかった。


「んもうっ、日賀っぴ。子供みたいなんだからぁ」


 仁志名はベンチから立ち上がり、俺の足元にしゃがみこんだ。

 そしてハンカチでズボンの裾を拭いてくれている。


「ダメだよ仁志名。ハンカチが汚れちまう」

「気にしなくていいよ。それより日賀っぴのズボンが汚れる方がダメっしょ」


 俺の足元にしゃがみ込んでまでも、世話を焼いてくれる仁志名。

 片手でズボンの裾を持って、もう片方の手のハンカチで一生懸命汚れを拭う。


 ホント俺って子供みたいで手の焼けるヤツだな。

 嬉しいやら情けないやらですごく照れる。


「完全には落ちないけど、まあ綺麗になったかな」


 俺の足元から顔を上げた仁志名が、俺を見上げている。

 甲斐甲斐しく世話をしてくれる姿がすごく可愛い。


 そして。

 上から見てるもんで、仁志名の大きな胸元が見えている。

 角度を変えたら、もうちょっと奥まで……。


 ……って俺のバカっっ!


 仁志名は俺のために一生懸命世話を焼いてくれてるんだ。

 なのに、なにスケベモードを発動してるんだよ。

 ああ……男の本能とは言え、情けない。


「あ、ありがとう……」

「どういたしましてっ!」


 ニカっと笑う仁志名。

 やっぱ可愛いな。



 そんなことを思っていたら、

 急に横の方から、

 ガタっと、

 ──音が鳴った。



 目を向けると、見知らぬ男がベンチの横に立っていた。

 さっきまで仁志名が座っていた場所と俺の間に置いてあった、仁志名のスマホと俺の財布。

 男はサッとそれらをつかんで、急に走り出した。


 なんだあれ!?

 心臓がドクンと跳ねる。


「置き引きだっ!」

「え?」


 仁志名は振り返ったけど、しゃがんだ態勢だからすぐには立ち上がれない。

 俺は反射的にベンチから立ち上がって男を追いかける。


「あ、あたしのスマホぉぉっ!! やめてぇぇっ! 返してーーーっっっ!!」


 後ろから仁志名の絶叫が聞こえた。


 そう言えば──

 仁志名はスマホケースの蝶のアクセサリをとても大切なものだと言っていた。


 ──くそっ、絶対に取り返してやる!


 全力で走って男を追いかける。

 幸いにも、人通りが多いオタク街の中で、男は通行人とぶつかって、走るスピードが緩んだ。


 チャンスだ。

 俺は男の背中に向けて飛びつく。

 そして男の後ろから両腕を握った。


 俺にしがみつかれて、男はバランスを崩した。

 しかし踏ん張って転倒を免れた男は、両手を大きく振る。

 男の肘が顔面にガツンと入った。


「うぐっ……痛ってぇ……」

 

 鼻っ柱に激痛が走る。

 手の力が緩んで、俺の両手は振り払われてしまった。


「くそっ!」


 痛いなんて言ってられない。

 盗まれたものを取り返さなきゃ。


 俺の手を振り払った勢いで、男の両手からスマホと財布が、右左に大きく投げ出された。離れたところにスマホと財布が落ちている。


 男は一瞬躊躇して、地面に落ちた仁志名のスマホと俺の財布を交互に見た。

 俺の財布には5万円もの大金が入っている。

 これを盗られると、レアフィギュアを買えなくなる。


 だけど。

 俺の選択は、もちろん一択しかない。


「5万円入りの財布はくれてやるっ!」


 そう叫んで、俺は一直線に仁志名のスマホに向かって走る。

 俺の言葉に影響されたのか、男は真っすぐ財布の方に走り、拾い上げた。


 俺はスマホにたどり着き、屈んでそれを拾い上げる。

 顔を上げた時には、財布を持って逃げる男の背中は既に小さくなっていた。


 ここまで全力疾走して、さらに男に飛びかかったせいで大きく息が上がっている。

 ダメだ。もう追いかけられない。

 財布は諦めるしかない。


 でも仁志名のスマホは守り切ったぞ。


 ホッとすると同時に力が抜けて──俺は地面に座り込んだ。

 顔の痛みもぶり返した。


「日賀っぴ、大丈夫っ!? 怪我はない?」


 腹を押さえていたら、追いかけて来た仁志名が心配そうな顔で覗き込んだ。

 心配をかけるわけにはいかない。

 平気な顔を取り繕って笑顔を作る。


「おう、大丈夫だ」

「ちょっ、鼻血出てるじゃん!」


 指先で鼻を拭った。

 幸い、血は少ししか出ていない。


「もう、大げさだな。大したことないよ」

「でも……」

「ホントに大丈夫だって。これも取り返したし」


 スマホを目の前に差しだすと、仁志名は泣きそうな顔で言った。


「日賀っぴの財布は?」

「ああ。スマホを返してもらう代わりにくれてやった」

「ええっ? ちょっと待ってよぉ! じゃあレアフィギュアを買えないじゃん!」

「いいんだよ」

「よくないじゃん!」

「フィギュアはまた金を貯めたら、いずれどっかで買える。だけど仁志名のスマホは……そのアクセサリは大切なモノだって言ってたからさ。失くしたら取り返しがつかないだろ」


 俺の言葉を聞いて、仁志名の顔がみるみる歪んでいく。


「日賀っぴ……ふわぁぁぁんん!! ありがとぉぉぉ!! ごめんね! マジごめんねぇぇ!!」


 仁志名は泣きながら、ガバっと俺の首に抱きついてきた。


「うわっ……」


 こんなに感激してくれるのは嬉しいんだけど。

 しかもすごくいい香りがするし柔らかい。


 だけど。

 オタク街を往来する人たちが何ごとかとこっちを見てる。


 あまりにも恥ずかしいから、ちょっと場所を変えませんか?

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