第13話:母はすべてを理解する

◇◇◇


 その夜。俺はリビングで時が来るのを待っていた。


 仁志名から預かったウィッグの形を整えるには、ハサミを入れたり、ドライヤーやヘアアイロンといった道具が必要だ。だけど俺はもちろん、そんな道具は持ってはいない。


 だが母親がそういうヘアセット用具を豊富に持っているのを知っている。

 洗面化粧台の棚の中に収納してあるのだ。


 母が風呂上りに髪を乾かし、洗面所を出るのを待つ。

 母がヘアセット道具を使い終わったらこっそり持ち出して、自室に置いてあるウィッグの整形をするつもりだ。



 やがて時は訪れた。

 母がリビングに戻って来たのを確認してから、静かに洗面所のドアをあける。そしてドライヤーとヘアアイロン、ハサミを胸に抱えて、洗面所を出た。


 ふふふ。完璧な隠密行動だ。


「あらら、新介。そんなもの持ってどこ行くの?」


 うっわ、なぜか洗面所の前に母がいた。

 全然完璧なんかじゃなかった! やべ。


 鼓動がドクンと悲鳴を上げる。


「あ、いや……ちょっと髪型を整えようと思ってさ」


 ──ただしウィッグの、と心の中で付け加えた。


「あらら! 珍しいわね。もしかして彼女できた?」「できてない」


 秒で否定した。

 なに言ってんだ。俺の母親なら、そんなことはあり得ないと気づけよ。


 でもこのままだとなんやかんやと問い詰められそうだ。だからそれ以上は何も言わずに階段を上がり、二階にある自室へと入った。


 ──さて。どうしたらいいのものか。


 勉強机の上にウィッグを置き、椅子に座る。

 天国あまくにさんに教えてもらったように手を加えようと思って手にハサミを持つものの、どこから手をつけていいのかさっぱりわからない。

 スマホで調べたら、ウィッグのカットやセットは、頭部だけのマネキンに被せてするのが一般的らしい。


 そんなの一般家庭にないわい!


 うーむ……と唸っていたら、突然ドアが開く音がした。


「あらら、なにそれ?」


 振り向くと母が立っていた。うわ、マズい。


「勝手に入らないでっていつも言ってるだろ」


 慌ててウィッグを両手で母から隠す。

 こんなもの見られたら、絶対に変に思われる。


「あらら、それウィッグよね。それを被って、髪型変えるの?」


 んなわけあるまい。影峰かげみね喰衣くらいの髪は超ロングヘアだぞ。

 俺がこれを着けるとなぜ思った?


 ロングヘアの自分を思い浮かべるとキモい。

 うぷっ、吐き気がしてきた。


「違う」

「あらら、じゃあなぜそんなものを持ってるの?」


 そんなこと、構わないでくれ。

 そう言いかけたけど、このままじゃあ余計に変に思われる。うちの母はしつこいから、きっと解放してくれない。

 だから、ある程度本当のことを言った方がいいと判断した。


「クラスにコスプレしてる人がいてさ。これ、その人のなんだけど。髪型を整えてもらえないかと頼まれた」


 コスプレってなんなのかとか、そもそもなんで俺がそんなことを頼まれるのかとか。

 謎だらけの答えだけど、まあ説明責任は果たしただろ。

 だから母にとっては意味不であっても、これ以上訊かれても『もう説明したよな』で押し通そう。


「あらら、なるほど! ちょっと見せて」


 は? ……なるほどって?

 今の説明で理解したのか? なぜ?


 きょとんとする俺の手から素早くウィッグを奪い取った母が、しげしげとそれを眺めている。


「ちょっと! 返してくれよ」

「これ、影峰かげみね 喰衣くらいちゃんのウィッグよね? クラスの友達、喰衣ちゃんのコスプレするんだね」

「……は? コスプレってわかるの?」


 母の口から飛び出した意外なセリフに、思わずフリーズした。


「わかるよ。最近ハロウィンのニュースとかで、よくやってるじゃない」


 なるほど、そっか。それはわかる。だけど──


「なんで影峰喰衣を知ってる?」

「なに言ってんのよ。ほら、アレ」


 母が指差す方向を見ると……

 ──ドンっ! と壁に超特大ポスターがあった。


 影峰喰衣が手に長身の銃を持ち、超絶カッコいいポーズを取る絵柄。

 そこには『影峰喰衣ーCry Kagemine』の大きな文字。


「それに、アレも、アレも、アレも」


 母が次々と指差す先には、ガラスケースにしまわれた多くの喰衣フィギュア、フィギュア、フィギュア。


「何年新介の親をやってると思ってるのよ?」


 なるほど。すべてお見通しだったわけですね。

 そりゃあ俺の小遣いのほとんどが、DALダル関連に溶けていることを母は知ってるもんな。


「で、そのイラストとかフィギュアのように、このウィッグを整えたいわけね」


 理解が早くて助かる。

 マジ、神かよこの母親。


「ん……まあ、そういうこと」

「コスプレしてるクラスの友達って女の子?」

「いや……男子だ。小太りの」

「ふぅーん……男子ねぇ」


 思わず嘘をついた。

 女の子だなんて答えたら、また根掘り葉掘り訊かれるに決まってるからウザい。


 小太りは余計だったか。

 リアリティを出そうとしたんだけど、かえって怪しまれたかもしれない。


 母はニヤニヤしてるけど、無視することにした。

 その時母が部屋中をぐるっと見回して、びっくりするようなことを言った。


「だけどセット用のマネキンはないのね?」

「あ、ああ。そうだよ」

「よしわかった! 母さんに任せなさい!」

「え? なにを?」

「やり方教えてあげる。それで私の頭にウィッグを載せて、セットさせてあげる」

「えっと……教えてあげるって?」

「母さん、若い頃は美容師してたのよ。だから安心して任せなさいっ!」


 あ。そう言えばそんな話を聞いたことがある。すっかり忘れてたけど。


「うんうん、楽しくなってきたわー」


 なぜ目をキラキラと輝かせているんでしょうかお母様?




 それからその日は夜遅くまで、母のレクチャーを受けて、ウィッグのカットやセットを行なった。おかげでウィッグは見違えるようにカッコよくなった。


 まあでも。

 理解ある母親で助かったよホント。

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