ギルドマスターの依頼

第8話

 大陸を渡る風が東から流れた。

 ほこりっぽくて、乾燥したアンバーローズの風が、ウエストリバーの街並みを覆う。


 砂が吹き込まないようギルド保安室の外窓を閉じるころ、廊下の木材がゆがむ音が聞こえた。


「……まさか」


 俺は資料室兼エレナ嬢の部屋をノックして、「ギルドマスターが来たぞ」と囁く。


 その言葉はまるで魔法だ。

 たった一言で、エレナは操り人形のように飛び起きているに違いない。

 勢いよく実験室の扉が開いたので、危うく俺の鼻がもげるところだった。


 エレナは実験用の白衣を脱ぎ棄てて、長らく見なかった木製のクリップボードに適当な紙を挟み、ペンを持った。実験室のカギを閉めて、髪を整えると、俺のデスク横に澄ました顔で立つ。


 廊下の扉が開くなり、「よお」と五十代の大男が無遠慮に入ってきて、俺たちに声を掛けた。

 岩石のようなゴツゴツした顔で、白髭しろひげを生やし、黒く焼いた肌に深く刻まれたしわがいくつもある。グレーの短髪が燃えるように天井に向かって伸び、額から左耳の上にかけて三本線の赤黒い傷跡があった。

 身長は7フィート近くあり、俺はいつも見上げるように話をしている。


 彼は名をガイドルという。ギルドマスター、つまりウエストリバーギルドのトップだ。


「ちょっくら、やってほしいことがあってよ」


 ガイドルはソファーに腰かけると、あまりの重さにクッションから悲鳴が聞こえた。


「……ギルドマスターみずからいらっしゃるとは、ウイスキーでも買ってきましょうか」


「フッ。いやあ、長居はせんよ」


 どうやら俺のもてなし方が皮肉めいて聞こえたようだ。

 ガイドルが足をのせたテーブルを挟んで、俺は対面するように座った。

 彼はソファーの背もたれに両腕をかけて、俺をじっと見る。


 ――内心、俺の心臓はバクバクだった。


 ギルドマスターの峻厳しゅんげんな沈黙は、どんなモンスターと対峙たいじするより恐ろしい。彼の一言で、俺は保安官という職も失うし、ギルドの仕事を一切できなくなるかもしれない。

 それに百戦錬磨の彼は、そこに居るだけで周囲の空気を張りつめさせる。にらまれたなら誰もが石のように固まってしまうほど、カリスマ性と実力を持っていた。


 仕事してますよアピールをし終えたエレナは、そそくさと、さっき出てきた自室に籠城ろうじょうした。


「王国衛兵長から、ある依頼について早めの解決を打診されてな」


「王国衛兵長とは……王室でもそれなりの権力をもつ、お偉いさんですね。それは一筋縄の依頼ではなさそうだ」


 俺はセカンドテーブルにある木箱を開いて、ガイドルの前に中身を見せた。

 箱の中には葉巻がぎっしり入っている。ギルドマスター用にいつも常備させておいた。上司の機嫌をとるのは、できる部下の必須条件だ。


 ガイドルは葉巻を一本取ると、慣れた手つきで端を切って、魔法で火をつける。俺も同じようにして、葉巻を吸った。


 ……苦くて、キモチワルイ。外の砂埃を吸っているみたいだ。


「依頼は半年前からギルドに申請されていたものらしい。未解決のままで、こちらとしても、かなりの犠牲を払っている。受諾したギルドメンバーは、みな音信不通になりやがってな」


「……それを内密に解決しろとおっしゃるんですね。しかし、なぜ王国衛兵長様が直々に指名されるんですか?」


 葉巻を一気に半分ほど灰にすると、ガイドルは灰皿に押しつけた。


「口が固くて、強ぇやつがいいって注文をつけてきたからよ。俺がお前を推したんだ」


 ――ギルドマスターが俺を推薦した……? このウエストリバーギルドで最上位に君臨くんりんするガイドルが……⁉

 ありがとうございます! この社畜しゃちくめを、存分に使ってください!


「それは、ありがたいですね。社畜の私を存分に使ってください」


 俺はうっすら笑うと、ガイドルは苦虫を嚙み潰したように顔をしかめた。


「やっぱり、納得いってねぇようだな……。しょうがねぇな……」


 なぜか俺の素直な想いが、ガイドルの心に届かない。

 俺の言葉を皮肉めいてとらえているようだ。


 ガイドルは上体を伏せて、腕をテーブルに置く。


「ここだけの話、その依頼で消息を絶ったギルドメンバーに、守衛隊長がいたらしい。守衛隊長といえば、王国衛兵長直属の部下だ」


「ギルドメンバーに守衛隊長? まさか、身分を偽って登録したんですか」


「……ああ、本人は小銭稼ぎのつもりだったのかもしれないが、隊長クラスの人間がギルドを掛け持ちして、まさか消息を絶つとは……」


「王国衛兵長様のメンツがたたない、ということですか」


 最後まで語ることはなく、ガイドルは腰をあげた。


「いいか」とすべてを含ませて、後ろ背に問われる。


 ガイドルは背を向けたまま動こうとしない。

 ――ここで、返す答えはひとつしかない。


「このヤマは俺にまかせてください……」


 その言葉が石像の呪いを解いたかのように、ガイドルは「依頼番号、P1243だ」と言い残して廊下に消えていった。


 しばらくしても、俺の心臓は小鳥のそれのように激しく脈打っていた。

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