第4話

 夕日は落ちて、辺りも暗くなり、俺は室内の魔法灯を点ける。


「ただいま~」


 爪楊枝つまようじを口にさしたエレナが、ぬるま湯に浸かったような顔で部屋に入ってきた。


「エレナ、こちらはリリー・バンドックさんだ。弟のフィンさんがパーティー内の仲間割れで失踪中らしい」


「あ、クラックですね」


 俺は眉間みけんしわを寄せ、エレナをにらんだ。

 へいへいと手を広げると、おどけながら俺のデスクに座って聴聞書ちょうもんしょをとる。


 『クラック』は保安所で言うところの内輪もめを意味する。ギルド保安でナンバーワンのよくある依頼だ。


 ナンバーワンになるのには理由がある。ギルドメンバーはほとんどが元冒険者で、もともと一匹狼だった奴らが、力をあわせて難関なクエストに挑むわけだ。そこでよくある仲間割れ。

 互いの主義主張のぶつかり合い、もしくは報酬の不平不満。そうして最悪は殺し合いになる。こういった事件はギルド治安維持の観点で俺の仕事の範疇はんちゅうだ。


 誰がどういったことで悪事に手を染めたか調べ上げ、相応の罰を与えなければいけない。裁判所に引っ立てるのが御の字だが、従わない場合は強硬手段を選ぶこともある。正当防衛の状況証拠と裏付けがあれば、殺害することだってある。


 しかしながら、一般人の前で隠語いんごを使うのはいただけない。

 最近エレナの勤務態度も悪いし、あとでガツンと注意するか……。


「あの、フィンはもう百日近く帰ってきていないと思うんです。身内は弟だけで、父と母も早くに亡くなったものですから」リリーは上体を前のめりにして、俺を見上げた。「唯一の家族なんです! きっとどこかにいるって分かるんです! どうか探していただけないでしょうか……!」


 はやる気持ちを落ち着かせるためにも、俺は静かにうなずいて、エレナにフィンが加入していたパーティー『レジット』のクエストを調べるように指示した。


 リリーはそれに幾分いくぶん安堵あんどしたのか、ティーカップを持ち上げて紅茶を一口含んだ。


「そ、それは……」


 俺は彼女の上げた右手薬指をさした。

 見慣れた銀色の指輪をしていた。『二又のヒドラ』だった。


「これですか? ……えっと、恋人からもらったものですけど……?」


 見つめ返すリリーは、戸惑いながら答えた。

 恋人同士が同じ指に装着することで、互いの位置がわかるマジックアイテムだ。


 マイロンとの思い出が鮮明にフラッシュバックして、せっかく修復した傷跡を二首の獰猛どうもうなヒドラがえぐりだす。


 ――あれは、大道芸の旅団がもよおした夏の祭り。

 マロンちゃんと一緒に買った二又のヒドラを、青白い魔法灯の下で着けあった。

 真っ白な右手の薬指に輝く、銀色のヒドラ。二つ頭の爬虫類が、初心で無垢むくなマロンちゃんを汚すかのように指を締めつけている。


 俺の独占欲を満たし、あの祭りからずっと優越感に浸りながら生きてきた。

 でも……。もう……マロンちゃんは……別のヒドラの元へ……。


 パチーン!


 乾いた木材の割れる音が保安室いっぱいに広がる。目を開けると、俺はエレナから平手打ちを喰らっていた。


「おふぅ」あやうく左目が飛び出るところだった。


「ハーズさん。勤務中で依頼人の前ですよ。しっかりしてください」


「了解した……っ」


 俺はまた渋い顔にもどるが、左頬が痙攣けいれんしていたのでリリーにどう見えたか分からない。


「とりあえず、依頼は承りました。調査は始めますが、フィンさんが失踪して長い期間が経っていますので……。受付のエレナに連絡先を伝えておいてください。何か分かれば連絡します」


 リリーは目を丸くしたまま急いで聴聞書に連絡先を書いた後、機敏な動作で保安室を去っていった。


 ああ、首が痛い。今日は厄日やくびだ。

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