7.幻想龍の歓喜と悔恨。

ウォルを抱きかかえたステアはシェーズィン・ロイアの城の中心を目指す。

この城にいるのはシェーズィンの街の行政官に兵士たち、それに“幻想龍”配下の竜だけだ。普段から“幻想龍”が来ても止まらずに職務を遂行するよう命令してあるので、彼らはステアが廊下を歩いていても会釈をしたり挨拶をしたりするだけに留まっている。

そのおかげでステアはとても早く城の中心部に位置する昇降機エレベータの発着場にやってくることができた。

円形の部屋の中央に、円形に八つの昇降機エレベータがある。

周囲には武装した兵士に乗車を管理する竜。それに床に緻密に書かれた防衛術式が侵入者を阻んでいる。

ステアが軽く手を挙げると、机に座った竜が頭を下げて机のレバーを下げた。

それに合わせて開いた扉から、円筒形の昇降機エレベータに乗り込む。

中に入ったステアは、壁にある三つのボタンの一つ目を押す。すると扉が閉まり、その円筒の箱は上昇を開始した。最初は城の内部の様子を透明な壁を通して見ることができるが、昇降機エレベータのみが伸びている場所まで来れば箱は少しづつ加速していく。

緻密な重力制御によって、中にいる人は掛かる重力のみならず気圧の変化すら感じない。にも関わらず、その箱の速度は最高で龍速の一.五倍にまで達する。

見慣れた景色を眺めながら、ステアはこれからのことを考えた。

『ウォルを寝かせて、一度下に戻った方がいいかしら。ホールンから何か聞けるでしょうし。あとは“世界龍”様が動いている人間族の国の件についても話をお聞きしなければ。』

これでもエンデアの最高統治者『仙天楼の五龍』の一角。

ウォルの存在で気が緩みがちだったが、引き締めねばとステアは自戒した。

そんなことを考えながらすこし待てば、すぐに上に到着する。ステアは開いた扉から、自分の家に足を踏み入れる。


シェーズィン・ハイン。“幻想龍”の持つ楼にして、世界最高高度に存在する建築。『仙天楼の五龍』の由来となった天楼である。

龍力と神力を浴び続けた特殊な金属を編み込んだ籠の中に建築物が入っている二重構造で、元々空中に自浮する浮遊都市であった。“世界龍”による半島形成の後に街ができると、その街とつなぐように昇降機エレベータが設置された。この際に空気が存在しこの星の重力を強く受ける『空』と星の重力をほとんど受けず生物の生存に適さない『宙』の境までこの都市を上昇させ、固定したのである。


ちなみに、竜はその翼で空気を捉えて羽ばたいたり滑空して飛行する為、活動範囲は『空』に限られる。だが龍はその翼は姿勢制御の役割がほとんど。ほぼ龍力の放出による推進で飛行する為、理論上は『空』だけでなく『宙』、『水中』すらも飛行可能なのである。

現在『宙』での飛行を成功させたのは“世界龍”、“白金龍”、“幻想龍”そして“銀角龍”だけ。

前者三龍は神力を纏うことによって過酷な環境を克服し、“銀角龍”は能力である大気操作を用いて無理やり自らの体に大気を巻きつけることによって呼吸するという荒技をやってのけた。


この天空都市の内部はというと、魔術などの力を機械と組み合わせた魔導機器によって空気や重力などを発生させることで地上とほぼ同じ環境が保たれ、周囲に幾重にも張り巡らされた防御障壁によって有害な光線や熱が遮られている。

三つの層に分かれており、上階層は“幻想龍”の私室を中心に書庫や研究室、生活に必要な全てが詰まっている。中でも最上階は“幻想龍”が本来の龍の姿に戻ってなお広さがある大部屋になっていた。


ステアは広いリビングにベッドをひとつ出現させる。そこに抱えていたウォルをそっと下ろし、優しく毛布をかけた。

もしウォルが私のいない間に起きたら、と考えて近くの机に書き置きを残す。

ウォルが寝ているのを確認して、そのまま下の階層に続く階段を降りていく。ステアの個人所有する上階層は全て扉や壁がなく一つに繋がっている。それぞれ外壁に沿って外側にある大きな階段で昇り降りすることができた。

一番下の階まで来ると、唯一の扉に手をかける。その先にある螺旋階段を降りれば、中階層だ。

「誰かいるかしら?」

そう声をかける。


中階層は“幻想龍”直属の配下達が住み、研究を行う居住階層だ。二つの料理店レストランや大浴場、娯楽施設を完備し、全てこの階層で生活を完結させることができる。

使用した水や排泄物なども、濾過浄水機器や再生利用リサイクル機器を通じて全て循環させている。食糧や消耗品は八つある昇降機エレベータの内のひとつを改造し、物品供給用として上に引き揚げている。

この階層は壁でしっかりと区切られており、事務的な雰囲気を漂わせた。


「イリアル様!ここにシーンがおります。」

ステアの声に反応して進み出た女性。水色のローブを着たその竜は二対の腕を持っていた。

彼女らは多翼竜。多翼龍である“幻想龍”によって生み出された竜の種族。

ステアは人の姿の時一対いっついの腕だが、彼女らはあえて翼を腕として残すことで複数の腕を獲得していた。

竜の頭脳を持ってすれば二対の腕を自由に動かすことなど容易にできる。単純計算で普通の竜の二倍の速度で机上の活動を行うことができるのだ。この優位性を活かし、“幻想龍”の配下は実験を含む学問や物の製作という領域で他の竜の一歩先を進んでいる。

幻想楼はこのエンデアという国のトップの研究機関なのだ。

「あら、シーン。ちょうどよかったわ。

 上に私が連れてきたウォルという半竜人族の少女がいるの。今疲れて寝ているけど、起きたら下に来るように書き置きをしたから、もし来たら料理店レストランで待っているように言っておいてほしいの。案内してくれると嬉しいわ。」

「わかりました。ウォルという少女が来たら、料理店レストランに案内すれば良いのですね。」

「そうよ、よろしくね。」

頭を下げるシーンと名乗ったその竜をその場に、ステアはさらに下の階層を目指す。


下階層は『幻想舎』。子供達の個人の部屋と談話室に、体を動かせる大部屋、それに壁に強固な防御障壁を張っている、古代魔術オールド・ソーサリーなどの練習ができる練習室もある。食事や風呂などは中階層にあるものを利用するので、大きな階段で上と繋がっている。

『幻想舎』は高等舎であり、下のシェーズィン・ロイアにある一般舎を出た優秀な子供達が推薦や志願を経て集まる。ここには『仙天楼の五龍』直属となる職を目指す者と、黒衣集となる龍が古代魔術オールド・ソーサリーや神力を利用した力など高度な技術を学んでいた。


子供達にバレないよう、完全に気配を遮断して降りていく。練習室を窓から覗けば、それぞれが古代魔術オールド・ソーサリーを練習しているのを見ることができた。

「うまくできているのは三人。もうちょっとなのが五人。あとの二人は苦手なようね…。」

ここではステアも教鞭を取り、教授陣に混じって子供達を教えている。時々このようにこっそりと見に来て、教える内容を考えるのだ。

「そう考えるとウォルの古代魔術オールド・ソーサリーは術式の構築時間、威力、制御率、どれを取っても遥かに高いものね。

 あとは龍力や神力にどれほど適性があるかだけど…。一度測定しなければわからないわね。」

子供達の現状を把握したステアは当初の予定通りロイアに降りることにした。

幻想舎の中にある昇降機エレベータの扉から、ステアは下降する箱に乗り込んだ。


ロイアの城に着いたステアは、ホールンや集まっていた数人の黒衣集と合流する。

「“幻想龍”様。」

「ご苦労様。どんな様子ですか?」

「サイルヴァの聴取によりますと、国外遠征時に何者かに『四つの文字クアドラスペル』による錯乱効果を与えられたようです。現在、遠征先の国家を中心に調査を行っています。」

答えたのは右の黒衣集。ホールンからの連絡を受けて転移で駆けつけた内の一人だ。

その報告を受けてステアは頭を抱える。その攻撃は龍以外防御する術を持たないからだ。

「【原初の言葉オリジンズ・スペル】とは厄介な。しかも『四つの文字クアドラスペル』ときましたか。

 遠征に出す竜の人数を絞ります。任務を終えた者から即座に帰還させ、検閲を敷いて異常がないか確認しなさい。

 …サイルヴァ、何の文字ですか。」

「【・仮時来乱・《時、来れば乱す》】ですね。

 時限式の文字なので、突発的に錯乱状態に陥ります。うまく仕組まれていますよ。」

『チッ!』とステアは思わず周囲に聞こえる音で舌打ちをしてしまった。

だがその気持ちはこの場に集まる黒衣集も同じ。このまままではどこで誰が今回のような状態になるかわからない。

今回は現場に黒衣集のホールンがいたから被害者はひとりで済んだものの、竜が本能のままに暴れ出したらまず同じ竜族では止められない。良くて相討ちによる沈黙。それまでにどれほどの被害があるか…きっと目も覆いたくなるほどだろう。

さらに、国外に遠征に出る竜は、たとえ友好目的や研究の一環であったとしても軍に所属する中で中堅以上の強さを持つ者が厳選されている。

竜が住む都市を容易に壊滅できる時限爆弾を抱えているようなものだ。

「過去に遠征経験のある者を全員ガズウェに集めなさい。急がねば惨劇が起こってしまいます。」

「承知しました。早急に伝令を飛ばします。

 それと、“幻想龍”様。今回の件“世界龍”様も動かれるとのことです。

 関連して半竜人族の少女が元いた国とその周辺域についてお話しがあるとか。」

「了解。ありがとう。」

自分から行こうとしていたら、向こうから呼ばれてしまった。

それぞれ命を受けて散る黒衣集。ホールンだけがステアと共に残った。

「私は数日間ここに滞在することにしますよ。

 シェーズィンの警戒監視と、ウォルの古代魔術オールド・ソーサリーも気になるので。」

「そう、私は多分動かなければいけなくなるから、貴方がいてくれれば安心ね。

 ハイン、中階層の一部屋が空いているから好きに使ってちょうだい。」

“世界龍”との話が終われば、ステアはその命を受けて動かなければいけないだろう。

ウォルをひとりで残していくことを心配していたのでホールンの申し出はとても心強いものだった。

「おや、それはありがたい。遠慮なく使わせてもらうよ。」

「ま、貴方も久しぶりにゆっくりすれば。

 こんな状況下だけど、あんたいつも三つ以上同時並行で仕事しているでしょ。」

「そういうお前もそんなもんだろうが。」

どんどん口調が砕けていく。お互いを軽く小突き合い、二人は笑って別れた。


普段は『仙天楼の五龍』“幻想龍”と黒衣集筆頭“銀角龍”の立場だが、元はと言えば居を同じにして育った姉弟なのだ。実はこの二人と“祈龍”の三龍は他の龍と比較してもかなり同時期に生まれている。昔は事あるごとに反発し、特にこの二人がお互いの得意なところでボコボコにし合うという怪我の絶えない喧嘩仲間だった。

子供でも、龍同士の喧嘩といえば天変地異である。両親はというと、“白金龍”は毎度のことに呆れて何も言わず、“原初”に至ってはもっとやれ、と囃し立てる始末。

“世界龍”が来たところでやっと喧嘩を止めるので、当時の災害の半数は彼らによって引き起こされていた。


そんなことを思い出しながら、“幻想龍”は一気に首都の宮殿まで跳ぶ。


ステアが宮殿の前の白い広場に立った時、視界の中に青い服を見る。

「お、来たな。少しお茶を飲みながら話さないか。」

“世界龍”はステアがいつもの白い階段の前に転移してくるのがわかっていたようで、一人でそこに待ち構えていた。

「はい、分かりました。」

このように“世界龍”が誘ってくるのもいつものことだ。

何か話をする時、“世界龍”はお茶や食事に誘いたがる。それは何もステアのような『仙天楼の五龍』に限ったことではない。黒衣集や研究室の竜、果ては宮殿で下働きをする者までこのように声をかけてくる。

しかもどのような高価な食事でも、全て“世界龍”が持ってくれるのだ。対価に何かを要求するわけでもない。何かの命があるのかと付き従ったが、本当にただおしゃべりをしただけという実例が後を絶たない。

「実はね、先日ご馳走してもらった柑橘オレンジの砂糖漬けがなかなか気に入っていてね。私がいつも飲む紅茶と合わせたいと思ったんだよ。

 これから行く先でそれを頂くことはできるかな。」

「は、はい!もちろんです!」

ステアは思ってもみなかった言葉に驚愕する。なんと“世界龍”がステアが五龍にお茶を振る舞った昔のことを覚えてくれていたのだ。しかも気に入っているからまた食べたい、と言っている!

「ところであれはどのように作っているのかな。かなりのこだわりだったと記憶しているが。」

「はい、あれはイルリク島の柑橘オレンジを使っていましてー…」

嬉しさのあまり細く話し始めてしまったステア。内心でしまったと思ったが、“世界龍”がうんうんと頷き、ステアのこだわりを聞いて驚いている様子を見てこれで正解だと思い直す。

ステアがすっかり製法を説明し終わった頃、二人は目指していたカフェに到着する。

案内されたのはテラスの一番端の席。通りがよく見渡せる、“世界龍”の特等席だった。

お使いください、と店の人が皿を出してくれる。そこにステアは取り出した大瓶から砂糖漬けを盛り付けた。

「これこれ。頂くよ。」

“世界龍”が優雅に砂糖漬けを食べる。運ばれてきた紅茶のカップを持って口に運べば、デキる男のティータイムだ。

しばらく二人は紅茶と砂糖漬けを楽しむ。

先に口を開いたのは“世界龍”だ。

「あの半竜人族の少女…ウォルと言ったかな。の様子はどうだね?」

「はい、元気にしています。

 ホールン…“銀角龍”の教えを受けて、すぐに飛行の古代魔術オールド・ソーサリーを習得したんです。」

ステアが目を輝かせて話す様子を見て、“世界龍”も安堵したようだった。

「それは良かった。家族と離れたり、衝撃的な出来事に遭遇したばかりだったからな。

 それにしても、これほどまでに早く古代魔術オールド・ソーサリーを習得するとは。将来黒衣集にすることを検討してみてもいいかも知れぬな。…っおっと、今のは聞かなかったことにしてくれ。

 やはり幻想舎に編入したのは正解だったな。」

「はい、その通りでした。

 その後も、その飛行の古代魔術オールド・ソーサリー応用アプリケーションの<強化リィンフォース>で強化することに成功したんです。

 “銀角龍”によると龍速すら上回る速度だったようです。」

それには“世界龍”も予想外だったようだ。

「それはすごい。古代魔術オールド・ソーサリーへの適性がずば抜けているのだな。」

ここぞとばかりにステアはウォルの話をする。

メレイズから戻ってきた後の話が一通り終わると、“世界龍”はゆったりとした姿勢から一転、机に手を置き改まる。


「さて、ここからは堅苦しい話になってしまうが…。」

“世界龍”がそう切り出した。

「シェーズィンでの出来事だが、あの人間どもの使っていた槍に根本のところで関係している。裏に【原初の言葉オリジンズ・スペル】を使うことができる存在がいることは間違いない。私の簡易探索に引っかからないことから神域存在の可能性もある。

 その存在が我ら龍を害しようとしているのは明らか。黒衣集に調査を続けさせるとして、私も対抗手段を構築して対応しようと思っている。」

「はい、承知しました。

 私や黒衣集では対抗範囲に限りがありますので、とてもありがたいです。」

ステアとしても【原初の言葉オリジンズ・スペル】は難解なものだ。“幻想龍”でも追いつけない領域であるが為に遅れをとる可能性があった。これのプロフェッショナルである“世界龍”が対応を代われば容易にこの国を護ることができる。

「そこでだ。私が対応予定であった人間の国だが…。

 直後に派遣した黒衣集が手厚い歓迎を受けたそうだ。帝國之覇剣アームズ・オブ・エンパイアを使わざるを得なかったと言っていた。

 なので当初の予定通り派兵することにしたんだが…その…指揮者がいないのでな。

 やってもらいたいと思うのだ。頼まれてくれるかね。」

まあ、そうだろうとは思っていた。だが、他にも“白金龍”や“祈龍”などの役に足る者はいる。“世界龍”はなんと言っても“世界龍”なのだ。ここで“幻想龍”を選んだのには理由があるのだろう。

「もちろんです。ウォルの…あの半竜人族の少女の一件からの関わりでもありますし。

 それに私ということは『制圧戦』ということでしょうか。」

「ああ、調査によるとあの力持つのは上層部のほんの一握りらしい。それで殲滅というのはちょっとな。それに、あの槍を作り出した者を是非捕縛してほしい。そこから何かわかるかもしれない。」

「槍の創造者…【原初の言葉オリジンズ・スペル】を扱える者ということですね。

 他の、槍を持つ人間はどうしましょうか。」

その言葉に“世界龍”から発せられる圧が強まった。

「そこのところも“幻想龍”に任せるが、あれは竜を傷つけている。

 私としてはそれ相応の礼をしなければならないであろうと思うぞ。」

要するに、投降すれば牢獄行き、歯向かえば命の保障はないと言ったところだ。

「直ぐにでも派兵しますか?」

「そうだな、宣戦の布告も今、行っている頃。派兵は三日後でいいだろう。

 それまでに私がガズウェのゲートをあの大陸まで繋いでおく。」


『竜の国』エンデアが、海を隔てたアルデイア大陸にある武装国家ディグロス皇国へ宣戦を布告した。


エンデアによって全世界に大々的に報じられたそれは各国を駆け巡る。

ディグロス皇国は『竜殺しの騎士ドラゴンスレイヤー』を抱えると噂される強国。そこに世界最強と名高い帝国、エンデアの剣が向けられたのだ。

エンデアが派兵するのは実に三百年振り。その威容を知る由も無い人間の国はその実力を知る絶好の機会とこぞってディグロス皇国や隣国であるメレイズ王国に密偵を送り込んだ。特に激戦地になると予想されたのはメレイズ王国。ディグロス皇国の最大隣接国でありながらエンデアと協定を結んでいる。戦争になれば皇国が兵を送り込むのは明らかだった。

対して三百年以上前から生きる者のいる長命種族の国は冷ややかな反応だった。なぜなら過去のエンデアの派兵した戦争はほぼ一日のうちにエンデアの蹂躙劇となり終結している。距離を無視した大規模派兵が可能なことも知られている為、今回もエンデアが質と量の双方で押し潰す結果になるだろうと予想したのだ。

そしてその予想は現実のものとなる。

まずメレイズ王国は黒衣集が二人駐在している。前回は守るべき“幻想龍”や使者、それに王国の国民がいたので後手に回っていたが、今回はそのようなことはない。こちらに向かってくるのがわかっているので有利な地点で迎え撃てばいいのだ。人間の国の師団級の戦力がその一人に収束されているのだ。そんな存在に人間が勝てるわけがない。黒衣集に勝てるのはこの世界でも『仙天楼の五龍』や少数の神域存在だけだろう。

さらに、ディグロス皇国の首脳部は宣戦布告を受け、その軍の到着が速くても数週間後であると予測していた。冷静に考えれば、メレイズ王国での一件と宣戦布告の期間からそれよりも早い時間でエンデアが兵を展開できることが分かるのだが…。そして、皇国はエンデアの戦力を見誤っていた。槍を防ぐ黒服だけ警戒すればいいと考え、他の兵に対しては一方的な攻撃を与えられると慢心していたのだ。

派兵のためガズウェに召集された竜の兵士たち。その胸にはエンデアの紋章が彫られた金属のプレートが付けられている。それは“世界龍”が作成した特別製の強化具。それを付けるだけであの槍を弾くことができるようになるのだ。

皇国に刻一刻と滅亡の時が近づいている。


“世界龍”が思い出したように声をかける。

「そうだ、この砂糖漬けだが…少し分けてもらうことはできないかな。」

「はい、大丈夫です。

 私のところには大瓶がたくさんあるので、これをそのまま差し上げますよ。」

そう言ってステアは持っていた大瓶をそのまま差し出す。

「おお、そうなのか。こんなにもらって大丈夫なのか?」

驚いて笑いながらも“世界龍”は大瓶を受け取って満足そうだ。

「時間をとってもらってすまなかったな。また、私の方でも進展があればすぐに伝えるようにしよう。」

「はい。ありがとうございます。」

“世界龍”が大瓶を小脇に抱えて席を立つ。

あの“世界龍”が砂糖漬けの大瓶を抱えて立っているという異様な光景に、ステアは思わず吹き出しそうになってしまい、必死に堪える。

“世界龍”が通りを歩いて宮殿に向かうのを見届けてから、たまらず吹き出した。

『ふふふ、よかった、砂糖漬け気に入ってもらえていたんだ!』今までは甘いものを出していいのかすら分からなかったが、思わぬところで反応を知ることができた。

食べたい、ということは美味しいということ。“幻想龍”としてではなく『ステア』という個人として認められたような気がして、ステアの中に充足感が広がった。

「さて、しなければいけないことは終わったし、ウォルのところまで帰りましょうか。」

独り言を呟いてステアも席を立つ。案の定カフェの代金は“世界龍”が既に払ってしまっていた。なんでも限定生産の茶葉を使った超高級の紅茶だったようだが。


一気にシェーズィン・ハインに転移しようとして、思い留まる。

ウォルとホールンの三人で飛んでシェーズィンに向かった時、途中のアクシデントで私は何をしていたのだろう、とふと疑問に思ったからだ。

ウォルの起こした風でバランスを崩されて吹き飛ばされ、あの時は危うく海に落下するところだった。結局ウォルに追いついて助けたのもホールンだ。挙げ句、後からウォルに追いついた私がなんと言ったか。『すごいわ、ウォル。』である。今思えばもっと他にかける言葉があったのでは無いか。『大丈夫だった?』『少し止まって休みましょうか。』そう心配して、気を配ってあげるべきだったのだ。

『この私は“幻想龍”よ。仙天楼の五龍にして、ウォルの目標となるべき存在。

 そんな私がこのままではいけない!』

そして、『そういうお前もそんなもんだろうが。』あの愚弟を思い出す。

悔しさと、自身の愚かさから、思わず叫ぶ。

「絶対に負けられない!」

ステアは宮殿前の白い広場でその姿を人から龍に変えた。六つの翼を一気に羽ばたかせて飛び上がる。

円門を出るまでは周囲を気遣って翼で飛んでいたが、円門から一気に上昇し建物が小さくなるまで上に向かって疾る。そこからは、ステアにとってもかなり久しぶりの全力飛行。

思いの全てをその速度にぶつけるように“幻想龍”は空を駆ける。

自身の龍力を細く圧縮して、後方に打ち出す。全身で感じる空気の痛さ。本来は身体全体を龍力で纏いその痛みを軽減させながら飛ぶのだが、今はわざとそれを止めた。

感覚が狭くなっていく。音など既に聞こえない。

それでも、もっと速く、と加速に使う龍力を増やしていく。

『もっと、もっと速く!どんなものにも負けない速さを!』

突然体に掛かる圧が軽くなる。『臨界点』。今“幻想龍”が出せる最速。

それに気づいて慌てて速度を落とす。六つの翼を広げて、無理やりその巨体を止める。

眼下には半島、そして目の前には昇降機エレベータの線が見えていた。

身体を逸らして昇降機エレベータを自身の進路から外す。そのままの速度を利用して、螺旋を描くように登っていく。シェーズィン・ハインが直ぐ目の前にあった。




〈エンデア派兵詳細〉

遣将 “幻想龍”

黒衣集 十名

赤・第一軍 一個師団

白・第二軍 三個師団

青・第三軍 五個師団

緑・第四軍 一個師団


計 龍 十一

  竜 五百

  飛空船 五百基

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