6.半竜人族の少女、学び舎の街へゆく。

ウォルが“幻想龍”、“銀角龍”と共に飛んでいるこの道は、エンデアの陸地の最西端である巨大な半島まで続いていた。

遥か上空を飛ぶ三人の見る景色に海の青が侵入する。大陸が切れ、一気に広がる青。

ウォルの目に円筒形の巨大な建物が映る。それは道の側、海と陸の境にある。真下の道の周囲の建物が小さく見えるほどの大きさだ。

「あの丸いのは?」

「あれが、この国の防衛の要『ガズウェ』よ。

 半島に行く前にあそこに立ち寄ってみましょ。」

凄まじい速さで飛ぶ三人はあっという間にそこに近づく。その建物には四方八方に空中門 ー 接地していない門 ー が開いている。

飛んでいる流れで一番入りやすい門目掛けてステア、ウォル、ホールンさんの順に入る。

建物の中で、ウォルはなんとか体勢を保ったまま浮遊していた。思い返せば、術式の解除方法を教わっていなかったのだ。

「どうすれば…いいの?」

「ウォル、術式を切りたい場合はそれを体内に仕舞うイメージをしてみてください。」

ホールンさんの素早い助言を受け、ウォルは“自由なる大気の翼リバティウイング”を解除する。

「ようこそ、ガズウェへ。

 “幻想龍”様、“銀角龍”様。そちらのお嬢さんも。

 今回はご視察でしょうか。」

三人を出迎えたのは白い服の人と赤い服の人。

どちらも重厚なローブで、中央部分にそれぞれ違う紋章が入っている。

胸にはいくつもの煌びやかな勲章がついていた。

「ご苦労さま。今日は観光途中に立ち寄っただけだから、迎賓体制を解いていいわ。」

「はっ。かしこまりました。」

「あ、でも近海域の防衛の話をしておきたいわね。すぐ済むから今いる師団長を集めてちょうだい。」

「はっ。作戦室でよろしいでしょうか。」

「ええ、そこでいいわ。ウォル、ちょっと待っててくれる?」

ステアと二人の竜は階段を降りていく。

しばらく帰ってこなさそうなので、残されたウォルはホールンさんからこの場所と、エンデア国軍についての説明をしてもらうことにした。


ガズウェ軍飛空船拠点港・基地。

ここは円筒形建築の軍用飛空船基地であり、運用されている軍用飛空船の半数以上である約千五百基がある。他にも常時二十師団が常駐しており、半島や首都防衛を担っている。

大きな特徴としては、地上の門だけでなく竜がどこからでも出入りできるように各階に空中門が設けられている点だ。なので外から見ると穴だらけの巨大な筒と言った見た目になる。

巨大な建築として一つの観光地にもなっており、見学のツアーが開催されているほど。

そして内部はというと…。


「飛空船を見に行ってみましょう。ここからの景色は壮観ですよ。」

ホールンさんに連れられて、ウォルは円形の建物の内側に向かって歩く。

ウォルの目の前に突如として広がったのは大きすぎる円形の穴。この建物は内側に空洞を持つ輪のような形をしているのだ。

「今私たちはこのガズウェの最上部にいますから、下に見える平らな部分が外の地面と同じ高さです。」

壁には格子状にびっしりと穴が空いている。気持ち悪くなってしまいそうな規則正しさだった。

「あのひとつひとつに飛空船が入っています。船渠ドックになっているんですよ。

 近隣の有事の際はこの中央に船を進め、この上に開いた天井門から発進するんです。」

ウォルが身を乗り出して眺めていると、ちょうど左側の船渠ドックから飛空船数基が中央部分に進み出た。

頭上の天井門が絞りが開くように開いていく。

「あの船はどこにいくの?」

「定期の巡視船ですね。海岸線や都市部以外を一定時間ごとに見て回るんですよ。」

入れ替わるように同じ数の飛空船がこの建物の中に入ってくる。これだけ大きな建物だと、飛空船が点のような大きさだ。

ウォルは目を凝らして遠くを飛ぶ飛空船を観察する。どの船も青い旗を後ろに掲げていた。


エンデアは色によって分けられた軍構成を運用しており、種族や着ている服で判別することができる。

龍が所属する黒衣集は言わずもがな。

“原初”を頂点とする『赤・第一軍』はその強固な竜鱗と、“原初”の支援に高い適性を持つ赤系統の竜が所属し、この国の盾として国防を担っている。また特殊な訓練を受け、エンデアの国旗を単身で掲げることを許された旗掲兵もいる。

“白金龍”を頂点とする『白・第二軍』は赤鱗以外の一般竜が所属する。中でも特殊な咆哮を使うことができる白鱗の竜は『白鱗ホワイトスケイル』と呼ばれ進軍時の先頭を担う精鋭部隊。

『二十九評議会』を頂点とする『青・第三軍』は、竜人族や体の小さな竜で構成され、軍用飛空船を扱う。竜では不可能な制圧戦は、第三軍が所属する竜人族の歩兵を軍用飛空船による輸送で派兵している。

そんな『青・第三軍』の操る軍用飛空船。攻撃力として古代魔術オールド・ソーサリーを扱える魔術師の他に人形態でも咆哮を放つことのできる竜が乗船し、さらには船自体に火砲も備えている。防御力は船体に張り巡らせた金属製の擬似龍鱗と三重の防御魔術で鉄壁を誇る。一基あたり百人の乗組員がいる軍用飛空船は運用開始百五十年を超え、二桁の戦争を経験しているが、未だ不沈を貫いていると言う超技術オーバーテクノロジーの結晶だ。

他にも支援兵站を担う『緑・第四軍』や、“祈龍”麾下の神官団などエンデアは多くの兵力を抱えている。


エンデアが最強の国家であると言われる所以は、『龍』という存在以外にも、単身で他国家の大隊規模の兵と戦うことができる竜や竜人族が組織的に訓練を積み、武装しているからなのだ。


と、ここでウォルはある物を見つける。地面に半分埋め込まれるように、この建物の中心にある黒い半球状のもの。金属の装飾が施されているが、その大きさは建物から逆算しても飛空船数十基分の直径はある。

「ホールンさん、あれって、“祈龍”が持ってる…。」

そう、ウォルが初めて五龍の会議場に行った時、“祈龍”がその手に取り出していたそれ。それの巨大版が地面に埋まっていた。

「“祈龍”…?ああ、令珠オーダーオーブのことでしょうか。あの黒い球のことですか?」

「そう、小さいやつを“祈龍”が持ってるのを見たんだけど…。」

「よく覚えていますね!令珠オーダーオーブは大小二つが対になった通信機。小さい方からの声を文字として大きい方の表面に表示することができるんです。

あの黒いものは特別なもので、小さい方が三つあります。一つは五龍の居る五角卓に。一つは二十九評議会の会議場に。最後の一つは軍議場に設置されているんですよ。」

ウォルは記憶を手繰り寄せて当時の“祈龍”の言葉を思い出す。『派兵しますか。』その言葉に、もしその場でそれが決まれば即座にここに命令が伝達されていたことを知る。

「じゃあ、それを囲んでいる模様はなに?」

ホールンさんが付きっきりで居てくれるので、質問し放題だ。

「あれは大規模転移ゲートですよ。令珠オーダーオーブと連動して、遠距離の派兵先へ直接ゲートを繋ぐんです。四重に模様があるでしょう。内側の三つがそれぞれ座標を示しています。それの組み合わせであらゆる場所に繋ぐことができるんです。」

「すごい!」

素直に驚くと、ホールンさんはとても嬉しそうに微笑む。


それもそのはず。“銀角龍”ことホールンは、技術者としての一面も持つ。

“世界龍”、“祈龍”と共にこの国の殆どの機構を開発、設計しているのだ。固有技能である金属の能力は即座にあらゆる金属を加工できるため、場所、手間がかからない。機械工学、古代魔術オールド・ソーサリー、龍力などなど…。あらゆる手段を駆使して数多の仕組みを作り上げた、この国の発展の功労者なのだ。

この令珠オーダーオーブは彼と“祈龍”、ゲートは彼と“世界龍”の合作だった。


「ウォル、楽しんでいるかしら?」

その声に振り向くとステアがこちらに歩いて来ていた。手には何か飲み物がある。

「うん、この転移門と、令…珠オーダー…オーブ?の仕組みがすごい!」

「あら、ウォルは技術に興味があるのね。よかったわぁ、案内がホールンで。

 ほら、リーツのジュースよ。」

差し出されたのは赤色の飲み物。海岸特産の柑橘、リーツのジュースだった。

「もし興味がおありでしたら、こちらをどうぞ。」

ステアの後ろからついてきていた青いローブの竜人の男性。差し出されたのは飛空船の模型だった。細部まで異様なほど緻密に作り込まれている。

「今開発中の小隊規模小型強襲飛空艇のプロトタイプ模型です。特殊な製作方法ですので、落としたくらいでは壊れませんよ。」

「うわぁー!すっごい細かい!ありがとう!」

ウォルはジュースを安全柵の端に置き、両手でそれを受け取る。

ステアはそれを微笑ましく見ていたが、ホールンさんはその竜人になんとも言えない視線を向ける。当の竜人はその視線に気づいて露骨に目を逸らした。


ジュースを飲み終わっところで、そろそろ出発しましょうか、とステアが言う。

そう、ここは幻想舎に向かう中間地点なのだ。

「ウォル、その船を預かるわ。飛んでいたら落としてしまいそうだわ。」

「確かに!はい、お願い!」

「ありがとう。“幻想の箱庭イリアル・ガーデン”!こう言う時もこれ、便利なのよ。」

青い光に包まれて、ステアの手から模型が消える。

ウォルはそれがどのような力を持つ古代魔術オールド・ソーサリーなのかを知っていたので、安心して預けることができた。

赤と白の服の竜、それに模型をくれた竜人に別れを告げて、三人は再び飛び立つ。

二回目なので、ウォルの術式を使う速度もかなり上がっている。ホールンさんのように自然に大空に飛び上がった。

飛び上がったところで、白い道の先に水平線から天に向かって向かって伸びる細い針のようなものが見えた。

「あそこにいくのよ。」

「あそこに!?」

三人はどこまでも続く深い青の上を加速していく。

ウォルはふと、身体の周りを渦巻く風の形を変えたらどうなるんだろう、と考えた。

『もっと身体を水平にして、風が三角形に尖ったら、もっと早く飛べるんじゃないか。

足の裏を風で押したら、加速できるかも?』


古代魔術オールド・ソーサリーは、意志、そして想像力によってその術式は作られている。既に使っている術式について、さらに想像力を働かせるとどうなるか。


こうなるのだ。


「“自由なる大気の翼リバティウイング”<強化リィンフォース<“颶風の箭サイクロン・ダート”」

無自覚に漏れたウォルの声。

「「「え?」」」

三人の声が重なった。

その瞬間、ウォルの周りを圧倒的な質量を持つ風が吹き荒れる。ウォル思い通り、前方にやじりを作り出し、後方からはウォルを押す強い力となる。

ウォルはステアとホールンさんを置き去りにして飛び出した。空中で受け身を取ったホールンさんはましだったが、ステアはその暴風に煽られて体制を崩す。

「それはぁぁぁぁーー古代魔術オールド・ソーサリーのぉぉぉぉーー高等技術なはずなんですがぁぁぁぁーーーー!」

遠くにホールンさんの声を置き去りにして、ウォルは空を貫いて飛ぶ。

予期せぬ事態にウォルもパニックに陥っていた。数時間前に初めて飛んだと言うのに、現在竜の飛行速度を超える速さで空中を爆進している。前に見える細い針はまだ大きくならないので何かものを指標にして自分の速度を目測することはできない。それでも、あり得ない速度で飛んでいることはウォルも体感で分かっていた。

自分の飛ぶ行路が下に見える白い道からずれないようにするので精一杯。

「ホールンさんっ…ステアっ…助けてぇぇぇーー!」

涙目でそう叫ぶが、すぐにその音はその空間に固定されるようにウォルから剥がれていく。

どれだけそうしていただろうか。体感時間なのでおそらく現実ではかなり短いはずだが…

キィィィィーーーーーン…

という音が後ろから聞こえてくる。

ウォルがなんとか体勢を捻って後ろを見ると、超加速してウォルに追いつこうとする巨大な銀色の龍が飛んでいた。その龍は一度ウォルから大きく離れてそれぞれがお互いの風に巻き込まれないように迂回し、ウォルの前までやってきた。

ウォルには凄まじい密度の龍力がその龍の後方に撃ち出されているのが分かる。

「ウォル、最初の飛行術式は消してしまわないように、二個目の術式を消してみてください!二個目の術式を剥がすイメージですよ!大丈夫、失敗しても私が受け止めます!」

ホールンさんが飛びながら龍形態から人に戻る。体積が小さくなったが、元龍の体があったところには莫大な龍力が残っている。

『こうやって龍は姿を変えるのか…。』

思わず現実逃避してしまったウォルだが、ホールンさんの鋭い一声で意識を戻す。

「ウォル!」

ウォルはふわっと飛ぶ感覚を残して周囲の乱流を消すことを試みる。

ウォルの意識下で、目の前に文字が現れる。そこから、上に覆いかぶさった文字だけを剥がしていく。最後まで剥がれた時、被さっていた文字が消え、ウォルはゆっくりとその飛行速度を落とした。ホールンさんとウォルの周囲の景色が元の速度に戻る。

それに合わせて速度を落とすホールンさんの技術も凄すぎるが。

「そうです!初めてでこれだけ制御している者を初めて見ましたよ。

 次からはウォルが今の力を使いたいと強く思わない限り発動することはありません。安心してくださいね。よく頑張りました。」

ホールンさんからは称賛と労いの言葉がかけられる。

「はい…。」

深呼吸をしながらウォルはなんとか返事を返す。

そこからはゆっくりと二人で細い針を目指す。しばらく飛んでいると、ステアが追いついてきた。

「やっと追いついた…。すごいわ、ウォル。今のは応用アプリケーションの<強化リィンフォース>!?」

「突発的でしたからね。ウォルは古代魔術オールド・ソーサリーにとても高い適性を持っているようです。」

動揺と急な疲れて声も出ないウォルの横で、二人が話を進めていく。

「それにしても、一緒にいたのがホールンで助かったわ。」

「確かに、それはありますね。確実にウォルの速さは龍の飛行速度と同程度もしくは上回るものでした。黒衣集の中でも龍速を超えられるのは数人ですから…。」

もし一緒にいたのがホールンさんではなかったら、そのままウォルは速度を落とせずに延々と飛び続けるか、どこかに激突してしまっていただろう。

さらに、ホールンさんの口から驚愕の事実が語られる。

「さらにいえば、今のものは古代魔術オールド・ソーサリーの継続移動の術式の中で最速なのではないかと思います。龍速を超える術式、今まで見たことがありません。

 …衝撃波、出ていましたし。ぶっちゃけいえばウォル、ここでよかったですよ本当に。」

早すぎる質量を持つ物体は周囲に破壊を撒き散らす。周囲が海と強固な道だったからこそ被害がゼロで済んだのだ。

その言葉を聞いてウォルは戦慄すると同時にほっと胸を撫で下ろした。

一連の出来事で、あの加速する術式もウォルの古代魔術オールド・ソーサリーとして任意に発動が可能となった。それは即ちこれ以降事故であれを発動することは無い、ということだ。


さらに飛び続けること数十分。

とうとう細い針の根元が姿を現した。白い道の続く大きな島。島全体が山のような形で、巨大なカルデラを形成している。

カルデラの内側の壁にはびっしりと建物があり、中央はこれまた巨大な城のようなものが建っている。その城の中心部から天に向かって真っ直ぐにあの針のようなものが伸びている。

ウォルはそれがどこに続くのかと視線を上に向ける。すると、遥か上空、今ウォルが飛んでいる高さよりも上に白いコクーンのようなものが浮いていた。三角錐の底をくっつけたような、菱形の何かだ。

「あれは…?」

「あれが私の幻想楼よ。」

ウォルは遂に幻想楼の下までやってきていた。

「学都市『シェーズィン・ロイア』にようこそ、ウォル。」


エンデア最西端の陸地にして首都から伸びる『中央線セントラルライン』の終着点。そこはありとあらゆる様式、大きさの建築物が所狭しと立ち並ぶ釜地カルデラ都市。

首都が治政の中心であれば、こちらは学問と研究の中心地。龍達のあらゆる研究室と、『舎』がここシェーズィン・ロイアに集まっていた。都市人口も、子供が過半数を占める。

その中心から伸びるのは軌道昇降機オービット・エレベータ。それは“幻想龍”の拠点である楼へと続いている。この空中都市『シェーズィン・ハイン』はその位置が高すぎるが故に龍の加速力でなければ直接飛んで行くことは不可能。竜といえど昇降機エレベータを使わねばの地に到達することができないのだ。

さらにこの地には加速風という自然の脅威が存在した。大陸と海洋から吹く強風がこの半島に巻き上げられ、複雑な風となって学都市・空中都市『シェーズィン』の周囲に吹き荒れている。不規則にその強さと向きを変えるその風は、昇降機エレベータの中間地点にある監視階にて常時警戒されている。最悪の場合龍すらも飛行不能になって墜落することとなるその風は脅威であると同時に強力な防御機構として成り立っていた。


ロイアの一角、竜の離着陸場に着いた三人。

やっとの思いで地上に着いたウォルを落ち着かせるように、ホールンさんがウォルの肩に手を置いた。

「ウォル、大丈夫ですか?」

ウォルは両足で地面を踏みしめながらゆっくりと頷く。

ホールンさんはウォルの息が普通の拍に戻るのをそのまま待っていてくれた。

「今日は風が収まってますね。このまま昇ってしまいますか?」

「んー、このまま昇るとウォルが危ないかも。少しロイアを見て回ることにしましょう!」

ウォルは差し出されたステアの手をとって繋ぐ。

ステアに着いていく形で三人は離着陸場から雑踏の中へ踏み出す。今二人は龍力を制御して消しているので、“幻想龍”と“銀角龍”だとはあまり気づかれない。それでも、中には二人を見て驚いたような顔をする者もいるが、ホールンさんが『静かに』と合図をすると少しだけ頭を下げて通り過ぎていく。

ウォルは首都とも違う街の景色を楽しんだ。どこを見ても同じような建物が無い。おもしろ建築を集めましたと言わんばかりの様相だ。

木の板を組んで作ってある道は、今にも壊れそうな見た目だった。木の隙間からはなんと下にある建物が見えている。

市場マーケットいこうぜ!」

「よっしゃ、誰が一番に着くか競争だ!」

三人の横をうわぁーっと駆け出していく子供達。流石学都市。ウォルとすれ違う三分の二ほどが子供だ。

首都を『活気がある』と表現するならば、こちらは『騒がしい』だなぁとウォルは思う。

「なかなか騒がしいですよねぇ。でも、慣れてくれば楽しいですよ。」

そんなウォルの思考を見透かすようにホールンさんが声をかけた。

ゆっくりと道なりに歩いていると、道が広くなっていくつもの店が出ている場所にたどり着いた。

「ウォル、ちょっと遅い時間だけれど何かおやつを食べる?

 ちょうどそこに屋台があるわ。」

鉢巻きをしたおっちゃんが、鉄板の上に黄色い液を流し落としていく。しばらく見ていると、あたりにとてもいい香りが広がった。ヘラを使って丸く焼けている分厚い生地がひっくり返されると、ちょうどいい塩梅に狐色の焦げがついていた。

「三つくださいな。」

「まいど!味はどうしやすか?」

ホールンさんからお金を受け取った屋台のおっちゃんは手早く紙を取り出し、鉄板から生地を取って乗せる。

「ウォル、なんの味がいい?リーツジャム、ベリージャム、クリーム、蜂蜜があるって。」

「ベリージャムがいい!」

「私もそれでお願いするわ。」

大瓶に入っていた赤色のジャムがこれでもかとその生地の上に乗せられていく。

生地を半分にしてジャムを包むと、おっちゃんはウォルとステアにひとつづつ渡す。

「私は蜂蜜で。」

今度は横の木箱から蜂蜜が取り出される。ウォルは液体かと思っていたが、その生地の上に乗ったのはたっぷりの蜜が染み込んだハニカムだった。今も蜜が垂れ流れている。

うわぁ、と感嘆するウォルの横で、ホールンさんが蜂蜜をこぼさないようにと一気に食べていく。

「ふっふっふ、やはりここではこれが一番ですな。」

口から垂れた蜂蜜を指で取って舐めながら、ホールンさんが満足そうに笑う。

ウォルも自分の手に持ったものにかぶりつく。

もっちもちの生地に、ほんのり甘さが広がる。その次にやってくるのはベリージャムの酸味と甘みだ。ウォルの疲れた身体にその甘さが染み渡って行った。

小腹を満たした三人は、いろいろな屋台やお店を見て回った。ウォルが初めて見るような物ばかり売っていて全く飽きない。

特にウォルが気になったのは紐を編んで作られた飾りだ。

いくつも手にとって眺めていると、ステアが魅力的な提案をしてくれた。

「ウォル、それが気になっているのなら買ってあげるわ。

 せっかくなら、私とお揃いにしましょ?」

「いいの!?ありがとう!」

「私の分も選んでちょうだい。

 これを二ついただくわ。」

会計を済ませるステアの横で、ウォルは紐細工を二つ選んだ。悩みに悩んで選び出したのは、ウォルとステアのそれぞれの鱗の色の中間色。唯一ゆいいつ二本同じものがあった、浅葱色の比較的細いものだ。

「とってもいい色ね!ありがとう。」

ステアに渡すと、とても喜んですぐに腕に結んでつけてくれた。

ウォルもステアと同じように自分の腕に結ぶ。元々つけていたホールンさんの腕輪ブレスレットとの兼ね合いもいい感じだ。

ホールンさんはというと、どこからか見つけ出してきた二つの本を抱えている。

「いい掘り出し物がありました。やはり市場マーケットは良いですねぇ。」


散策していると、突然前の方が騒がしくなった。瞬時にホールンさんが行動に移す。

「イリアル様、ウォルをお願いします。」

ホールンさんがそう言って素早い身のこなしで喧騒まで駆けていく。

ウォルとステアはその後を追って、人をかき分けながら前に進んでいった。

ウォルとステアがホールンさんに追いついた時、そこには銀の剣に囲まれた竜と、腹部と頭部から血を流し、倒れている竜人がいた。周囲の人々が何事かとその周りを取り巻いている。

ウォルが倒れている竜人に駆け寄ろうとしたが、後ろからステアに止められた。

「気持ちはわかるけど、すこし待ちなさい。他にも危険が潜んでいるかもしれない。」

ステアはその手に水色の霧を纏う。周りにわからないようにそれを倒れている竜人に飛ばした。

「今ので出血を止めて傷口を塞いだわ。私たちはあまり動かないようにしておきましょう。」

ステアはウォルの肩に両手を置いて、目立たないように一歩身を引いた。

「名前と所属を言え!光竜ライト!」

ホールンさんが龍力を放って威嚇する。

「ゔあぁぁぁあ!」

光竜ライトはホールンさんの威嚇と剣を意に介さず爪を使って攻撃を繰り出す。

ホールンさんは焦らず一歩下がり、的確に対応していく。

「“無限遠の間インフィニティ・スペース”、【・明過事実・《明なる過ぎたる事の実》】。」

その攻撃を止めつつその竜をくまなく観察していたホールンさんが叫ぶ。

「離れろ!強力な錯乱状態だ!」

フードを脱ぎ、銀の長髪を見せたホールンさんは誰の目から見ても“銀角龍”だと分かる。その声を聞いて一定の間隔で取り巻いていた人たちは潮が引くように距離を取る。

「“銀角龍”の名において奪識して捕縛する。“至昏の撃トランス・ストライク”、【・銀縛鎖・《銀の鎖の縛り》】!」

ホールンさんの古代魔術オールド・ソーサリーを受け、スローモーションのようになっていた竜が突然くの字に昏倒する。続けてホールンさんが作り出した赤橙色の文字が金属光沢を放つ鎖となってその竜を縛り上げた。

「“完全回復フルレストレーション”!」

振り向き様に倒れた竜人に向かって回復の古代魔術オールド・ソーサリーを投げる。

ホールンさんが駆け寄って上半身を起こすと、竜人は咳き込みながら息を吹き返した。

「“銀角龍”様…。急に襲われました…。」

「そうでしょうね。大丈夫です、現状は把握していますよ。ひとまずあなたが一命を取り留めてよかったです。

 そこの兵、この竜人を救護棟まで連れて行きなさい。」

騒ぎを聞いて駆けつけてきた赤いローブの兵士達。ホールンさんは次々に指示を出す。

「周囲を警戒して待機しなさい。今回の件は黒衣集が対応します。

 無差別に周囲を害する者がいれば捕縛して黒衣集に即座に連絡しなさい。」

「「「はっ!」」」

二人の兵士が竜人に付き添って離れていく。残った兵士も一定間隔に散って周囲を警戒し始めた。

「ウォル、ここにいるのは危険だわ。私たちは一足先に上に行きましょう。」

ステアはウォルの手を引いて歩く。

「さっきのは?」

周囲の人の流れが元に戻って落ち着いたところでウォルはステアに聞いてみた。

「詳しくは分からないわ。この後ホールン達が調べて報告を上げてくれるはずよ。

 少なくとも、何者かの介入はあるわね。

 竜は支配や錯乱に高い耐性がある。それを突破しているということはかなりの使い手。」

「大丈夫なの?」

ウォルは心配になってきた。竜でもそうなってしまうのなら半竜人族の自分など支配するのは容易いだろう。

「少なくとも、昇降機エレベータを昇ってしまえば安全よ。

 上は私の力を含めた大量の防御機構がある。出入りが少数だからできる防御だけれども、入ってしまえば私たち五龍と並ぶ力が無ければ突破は不可能ね。」

二人は中央の城に繋がる橋を渡る。城から四方に伸びているその橋は今までの道と同じように木でできていて、ロープが編まれてできた柵に隙間のある床ととても恐怖を感じる造りだ。

「ねぇ、ステア。この橋って大丈夫なの?すぐ崩れそう…。」

「大丈夫よ。魔術式がかけられていて、金属以上に丈夫だから。」

そう言われては見るものの、やはり隙間から見える遥か下の家々は怖いものだ。ステアを引っ張るようにウォルは足早にその橋を渡り切った。

城に着いたかと思われたが、近くに来てみると城の壁には城と同じ壁を使った民家がたくさんあるのがわかった。カルデラに接地した橋の向こう側よりは人の通りは少なく、家は漆喰や瓦など粘土加工品で作られている。所々に大きな鉢植えが置いてあったり、隅々まで掃除されていて一転して高級住宅街といった印象だ。

「こちら側は薬品や火器を扱う研究室や実験室が多いのよ。だから耐火耐薬性のあるこの壁を使っているの。」

ステアに連れられて路地を歩く。

「今から行くのは上から入る通用口だから、ちょっと狭いけど、すこし我慢してね。」

道幅の広くなった場所に出た。その突き当たりには小さいが重厚な扉がある。

ステアが呼び輪ノッカーを叩くと、内側から扉が開いた。

「これは、“幻想龍”様。」

衛兵に招き入れられる形で二人は白い壁の建物へと入る。

その中は外の街からは想像できない整った綺麗さだった。

「今、ロイアの城に入ったからまずはひと安心よ。」

外の雑踏がかき消され、静かで落ち着いた城の中。

疲れから思わずウォルは座り込んでしまった。ステアがウォルを撫でつつ優しく抱きかかえる。

薄れゆく意識の中で、ウォルはステアの力強さを感じた。

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