第31話 申し出

 薄暗くなった住宅街をいつもよりもゆっくりと家まで帰る。


 あの後、心春とどんな話をしたのかはあまり覚えていない。

 心春の母親が帰宅して、まもなく小城宅を後にしたのだと思う。

 本来は家に向かいながらも、心春の反撃が明日以降どう作用するのか、師範に連絡し自分と同じ高校に進学した者はいないかの聞き込み、なりたい自分は何なのかの答え……。


 やるべきこと、考えるべきことはたくさんあるのに、未だ体は火照ったまま、思考は停止に近い状態だった。

 むしろ一人になってから妙に先ほどの心春の反撃が思い出される。


「なんだよもう……」


 少しだけ考えようとしてみれば、浮かんでくるのはやはり心春のことばかり。

 柚木はこれまで女の子のことなど真剣に考えたこともない。

 心春のことについても、負けたくない相手という認識が強く、突然居なくなってしまったこともあって異性としてどうとかなど考えようともしてこなかったし、そんな余裕などなかった。


「はあ……」


 深いため息とともに思い出されるのは、入学早々の悠斗の言葉。

 異性を意識するっていうのはこういうことなのかな……?

 剣道一筋だったこともあって、それすらもわからない。


 今夜も竹刀をまともに振れるかどうか。


 思えば心春に再会してから、振り回されっぱなしで、剣道以外のことを考えてばかり。それでも短い間に本当にいろんなことを学んできた。


 しかもそれは剣に確実に活きている。


 今回のこれもきっととポジティブに思わずにはいられない。

 そう切り替えた途端、彼女の天真爛漫な表情が一気に思い出され、かああと体が熱くなった。


「ちがっ、違う、違うんだ!」


 ぶんぶんと否定するように頭を振るう。


 仕事帰りのOLたちがくすっと柚木を見て笑みを浮かべる。

 そんなに顔が赤いのだろうかなんて考えてしまう。

 とりあえずいつも通りの自分に戻らなければと額を何度か軽く叩く。


 そんな時、胸ポケットに入っているスマホが短く振動する。

 メッセージらしいが、心春だったらどう返信しようかとみる前からあたふたする。

 深呼吸をして画面を見てみると、


「ごめんね。葵ちゃんに迫られて、君の進学した学校と住所教えたら問答無用で飛び出して行っちゃった」


 それは心春からではなく、水城からの物だった。

 何か用事でもあるのだろう。深くは考えずに大丈夫ですとだけ返信する。


 その後10分くらいかけ、住宅街を抜け大通りに出たところで、柚木の側に見慣れない外車が止まる。

 後部座席が開き、出てきたのは……。


「見つけました。ごきげんよう、倉木君」

「っ! お、おま、はやくね……?」


 高貴な挨拶と、それに似つかわない剣道着姿の葵だった。

 過密な日程でメニューを組んだのか、その表情には疲労の色が浮かんでいる。


「今すぐに私と試合をしてください」

「……」


 用件を伝える葵。どうやらそのために訪ねてきたらしい。

 

 左手の中指、薬指、小指はタコになっている。

 それは正しい振り方で、数えきれないくらい振ったのだろう。

 その姿を見て、数日前に見た動画が鮮明に蘇る。

 柚木を目標に、腕を磨き挑もうとする様はかつての自分とやはり重なって、それと同時に心春のことでのドキドキが薄れ、胸が熱くなってくる。


 その申し出は絶対に受けたいし、軽んじられるものじゃない。

 だが、全力を出して戦わなければ失礼な気がして、今の自分でそれが可能かと考える。


「……聞いていますか、倉木柚木君?」

「お、おう。聞いてる。随分と腕を上げたみたいだな」

「今なら小生意気なあなたを倒せます、その自信があります」

「……」

「さあ乗ってください。試合を」

「えっとだな……掌出してみ」

「はあ……? いたっ!」


 片付けなければならない現状の問題が頭にすっかりと浮かんできていた。

 葵のおかげですでにいつも通りの自分だった。

 軽く触れる程度に葵の手を押すと、その表情を歪める。


「それで全力だせるのかよ。万全じゃないだろ、お前……休むことも練習だと、こはじゃなくて、友人も言っていたしな」

「そんなことを言って、逃げるのですか……?」

「……逃げも隠れも、居なくなったりもしねーよ。早く試合したい気持ちはわかるし自信もあるんだろ、でも俺は万全のお前と戦いたい。それに、実はこっちもな……」


 会いに来てくれて、手間が省けたとも思う。

 柚木は冷静になりながら、かいつまんでここ最近の出来事を彼女に伝えていく。


「――そんなことしているんですか、あなたは……」

「ああ。だからこの件が片付くまで試合はちょっと待ってほしいんだよ」

「焦らし作戦、ですか?」

「ちげえよ。他のことで頭がいっぱいの俺に勝ったって葵だって嬉しくはないだろ?」

「……卑怯なことを。だいたいあなたなんで私にぺらぺらと喋ってるんですか?」

「だってお前に協力してもらうには、事情を話さないといけないだろ」

「つまり頼みごとをすると……?」

「ああ、十中八九今回のことをやらかしてるのは剣道経験者だ。だからお前の通ってる道場の門下生で、俺の通ってる高校に進学したやつがいないか調べてほしいんだよ」

「……それは破門や今は剣を辞めた人を含めてということですね」

「そう……」

「しかも出来る限りはやく」

「はい……まあ無理にとは言わない。あぶねえ奴だしな、関わることで標的にされないとも言えないし」


 柚木はじっと葵の返答を待つ。


「焚きつけるような言葉を……あっ、いつの間にかあなたのペースに……そういうところが気に入りません。人使いも荒いです。まあ、私ならそのくらいのことを調べるのは造作もありませんが」

「悪いな、このお礼は必ずするから」

「片付いたら試合です。いいですね?」

「おう」

「それ……どうやら私と戦いたいは戦いたいようですね。その反応に免じて少しだけ待ってあげます」


 武者震いというやつかもしれない。

 葵の言葉に自分を見つめれば、体が小刻みに震えていた。

 今の葵と、強い相手と、負けるかもしれない相手と戦える。

 そう思えばワクワクしないわけがない。


「あれ、なんかこの感じ前にも……」

「では今日のところはこれで」

「……あっ、せっかくだからさ、ちょっとそこまで乗っけてってくれよ」

「まったく図々しい人ですね……なら、はやく乗ってください」


 まずはやるべきことをやらないと。

 柚木が通っている道場には同校の人はいないはずだが、念のため確かめておこうと葵に道場へ送ってもらうことにした。

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