第18話 神崎結奈の変貌

 太陽が沈みかけた夕暮れ時、両親には今日は夕飯は外で食べると伝え2駅先にあるショッピングモールにある映画館を目指す。


 引きこもっていた萌々は玄関を出るときも一瞬躊躇っているようにぎゅっと両の手に力を入れていたが、柚木の袖をつかむと重い足取りだが少しずつ前に進みだした。


「おっと、強い引きだな。だ、大丈夫かよ……?」

「へ、平気。舞台挨拶見たいもん。兄貴がいるし」

「じゃあゆっくり行こ。まだ時間あるしな」

「う、うん……」


 いつも剣道ばかりだったこともあり、妹が何で引きこもっているのかその理由を知らない柚木。両親がしつこいくらい聞いてたのを目にしてたが、辛そうにしている  

 萌々の顔をみればそんなこと聞かなくていいんじゃないかとさえ思っている。

 やむにやまれぬ理由があるに決まってるんだから。


「練習きついよね」

「先輩厳しすぎ」

「そういえば先輩の好きな人、判明したんだけど」

「マジっ、だれだれ?」


 運動部の部活帰りらしい中学生とすれ違えば、萌々は途端に柚木の後ろに隠れ顔を伏せる。同中の子に遭遇しそうなところまではそんな感じだったが、電車に乗ると、それまで抑えていたように鑑賞する映画の内容を饒舌に説明してくれた。


 モール内の映画館に着いたのは時間ギリギリだった。

 以前買い物時に心春とやってきたのもこの駅から近いモールだ。



 チケットを引き換えると萌々はそのままグッズ売り場に直行する。

 開演の時間が迫っていることもありざっと見ただけで、人が少なくなった売店を指さし、


「あっ、ポップコーンのセット、ドリンク二つ付いてるしお得だよ兄貴。萌々はお小遣いが底をつきてて……」

「あー、はいはい。そのくらい買ってやるよ」

「さすが太っ腹。キャラメル味がいい。帰りにグッズもお願いします」

「……お、おう。ほどほどにしておけよ」

「はーい。やったぁ」


 釘を刺しておかないと、際限なく買うかもしれないからな。


 飲み物などを携え、少し空いた列へと並ぶ。

 すでに開場していることもあり、ほどなくしてスタッフさんにチケットを魅せると来場特典ですとミニ色紙を渡してくれた。


 上映のスクリーンは、500人弱の座席数がある館内で一番大きいところらしい。

 薄暗くなった室内でもほとんどの席がすでに埋まっているのがわかる。

 その中で柚月たちは比較的周りに人が少なかった一番上の左端の席へゆっくりと移動する。


 予告編を目にしながら、映画館に来たのはいつ以来だと考えてみても思い出せない。小さいとき家族で見て以来かもしれないな。


 それくらい結構年月が経っていて、だからか特にアニメ映画の予告編が流れるたびドキドキしてまた見に来るかと思い始める。

 やがて館内が完全に暗くなると本編が始まった。


 萌々が話してくれたこと以外全く予備知識もなかったが、どうやら高校生で再会した幼馴染の引きこもりの男の子とアイドルの卵の女の子がひょんなことから旅行に出かけ、事件に巻き込まれながらも互いの秘密を打ち明けていくという内容らしい。

 主役である二人の感情を上手く表情や仕草で表現していて、主人公、特にヒロインの台詞が心に響いてきて、その迫力に圧倒される。

ラスト付近を迎えるころには、感極まってしまい涙を流してしまったほどだった。

 ハッピーエンドでほっとして主題歌と共にエンドロールが流れるころには、あちこちですすり泣く声が聞こえてきていたほど。


「よかった。想像以上に凄かった……」

「だな……」


 ハンカチで涙を拭う萌々を見ながら、柚木はほっと息を吐いて座りなおす。

 始めから終わりまで画面に、そうだ、剣道の試合の時みたいに集中していたなと思う。


 5分の休憩をはさみ、まだ余韻が冷めぬ中で再び館内が暗くなり舞台挨拶が始まった。


 アナウンサーらしい司会の人が主人公、ヒロインと順に演じた声優さんの名前を紹介していく。


「ヒ、ヒロイン役を演じさせていただいた、神崎結奈さんです」


 主人公よりも会場に響く拍手の雨。

 彼女は作中でヒロインが来ていた黄色のワンピース姿で登場。


「うわっ、めちゃ美人じゃん、神崎さん」

「あのなんかやらかしそうな感じが萌えるんだよね」

「神、神だ。本物の神崎結奈さんだ」


 中継されている柚木達がいる劇場でもその拍手の大きさとざわつき具合はすごい。

 萌々もその大画面を興奮したように見つめる。

 壇上の中央に向かう際に躓いたようで転びそうになりながらもなんとか体制を整えて丁寧に頭を下げる姿は、柚木にはなんだか危なっかしく見えてしまう。


 さっきみたスクリーンの中のヒロインとはイメージが全然違うように感じた。


「なんか頼りない感じだな……」

「兄貴、ちゃんと見てなよ。神崎さん、ほんと凄いんだから」

「おう……」


 彼女が震えた手でマイクを受け取ると、最初は恐縮した様子だったが、挨拶を経て演じたキャラの話になればその言葉は熱を帯びてくる。


「今回、演じさせていただいたヒロインの真白ちゃんは、人に言えない秘密を抱えていて、でもそんなこと微塵も感じさせない言葉と行動力で、明るく前向きでどっしりしていて、原作を読んだ時から大好きな子でした。大福好きなこともあって、私もなりきろうと毎日のように食べてしまって、ちょっとお肉がとマネージャさんに指摘されちゃって、ああ、でもでも甘いものは大好きなので」


 頬を赤く染めながらも、演じたキャラを語る彼女は、心春がりよたんのことを話すそれと類似していてなんだか微笑ましい。クラスでもこんな子いるのかも、凄いというわりには案外普通の子なのか。

 愛嬌もあって、あちこちからくすりと笑いも零れている。


「えっと、オーディションの話を貰った時から、自分とは正反対にも思えちゃう真白ちゃんをどうしても演じたくて、が、頑張りました。この作品を、ヒロインの真白ちゃんを大好きになってくれたら嬉しいです。今日は劇場に足を運んでいただきありがとうございました」


 一度観客に頭を下げ、再び顔を上げた彼女はその表情さえも変わって見える。


「それでも隣に居たいなら、絶対離れずについて来て!」


 離れているのに会場の空気そのものが、演じたキャラのごとく熱くなって、その空気の中で、彼女は劇中で最も印象に残っていた台詞を口にする。

 その瞬間に映画のヒロインと重なって見えた。


「うわっ、真白じゃん……」

「ほんと、変身するみたいに切り替わるんだから……」

「神崎さん、マジで神だ……」


 それは周囲も同じようで、あちこちから感嘆の声が漏れる。


「うわああ、やば、やばっ、本物だ。結奈ちゃん、マジ神……兄貴見た、あれが神崎結奈さんだから」

「お、おお」


 大画面で本物をみて、興奮したように萌々は柚木に潤んだ瞳を向けた。

 柚木はと言えばそのすごさに妹同様に両手を握りしめて震えてしまう。


 ただ声を吹き込むだけじゃないのか……。

 そのキャラに、違う自分になれる。それが声優さん。


「すげえ……」


 心春がどうして声優に惹かれたのか、その理由がなんとなく柚木にもわかった気がした。

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