第16話 振れなくなったわけじゃない

 廊下を走りながらも、


『いま、熱心になってるもの、一番に考えてる物を軽く見られたり、ぞんざいに扱われたら相手はどう思うよ?』


 悠斗の言葉と諭すように言ってくれたその表情が頭の中で何度も反芻はんすうする。

 心春と試合をしたい、そんな実力もんじゃないだろって気持ちが先行して全然心春のこと考えられてなかった。

 膝をついて床をばんばん叩きたい、そんな悔しい思いが湧き出てくる。


「くそっ……」


 頭を抱えたい気分だった。

 一刻も早くという気持ちで勢いよく食堂や心春の教室を覗きこめば、そこに彼女の姿はなく肩透かしを食らう。


「あ、あの、心春どこに行ったのか知らない?」

「あれいないね……」

「心春ちゃんなら、次の授業の準備手伝ってるよ」

「次の授業……」

「うん、移動教室だから」

「そっか、ありがとう」


 一言礼を告げ教室から離れ、職員室の方へと向かう。


「今日はコンビニに柚木と行くはずだったのに……」

「倉木君も色々と思うことあるんじゃないかな」

「わかってるけどさ……」


 ちょうど、化学実験室の隣の資料室から心春と涼子が出てきた。水無瀬涼子、心春とよく一緒にいてカラオケの時も盛り上げていた女の子だ。


 視線に心春の姿を捉えただけで、ほっと息を吐く。

 謝ろうと近づいたのだが、柚木より先に心春たちの後ろから担当の教師が2人に駆け寄った。


「ごめん。ちょっと量が多いけど、この資料も運んでおいてもらえる」

「えっ!」


 少し慌てた様に掌を出した心春は大量に重ねられた用紙をちゃんと受け取ることが出来ずに廊下にばらまいてしまう。

 その音に周りの生徒が何事かと視線を向けた。

 手元が滑ったのかとも思った。だけどその左手からすり抜けるように落としたように感じ、なんだか心が無性にざわつき、ブレザーを握りしめた。


「こ、心春ちゃんに急にそういうものいきなり渡しちゃダメです!」

「そうだった。申し訳ない」

「いえいえ」


 けろっとした様子の心春とは違い、柚木の方は涼子のその言葉を聞いて一瞬頭の中が真っ白になる。


 そういえば教室での立ち合いも、昨日の試合も心春は柚木の力を込めた一振りを受けていない、というより受けられなかったのかもしれない。

 心春の気迫や姿勢に目が行きがちだったけど、竹刀を持つ左手は強く握らずに添えていただけのような気さえしてきてしまう。

 それが、なんでと思った昨日の試合の疑問の答えなのか……。


「こ、心春ちゃん、プリントの配布私がやっておくよ。く、倉木君が用があるみたいだしね。ごゆっくり」

「えっ……あっ、柚木じゃん」

「っ!?」


 その瞳が柚木に向くと、思わず目を逸らしてしまう。


 心春はいつも楽しそうに剣を振っていた。

 悠斗の話を聞いて、それを改めて思い出して剣を嫌いになるわけないと確信もしていた。

 それが、怪我で思うように振れないのなら……そう思えば自分のことのようにさらに胸が締め付けられる。

 なんていっていいか言葉が見つからず、謝罪も忘れ立ち尽くしてしまう。


「怪我でさ、左手、握力ほとんどないんだよねー」

「っ! それで剣をやめ……」


意外なことに心春はあっけらかんとした顔で言ってのける。


「でも――『さっ、始めよっか!』」

「っ!? な、なんで……?」


 深呼吸して構えれば、何かスイッチが入ったように心春の周りの空気が変わったような感じで、気がつけば彼女に気迫が漲っている。

 柚木も丸腰で咄嗟に構えを取ってしまったほどだ。


 竹刀を持っていないのに、ここまでひしひしと圧を感じるなんてどうやったんだ?


 そういえば、ひったくり犯と対峙した時や買い物に出かけた時に何度か感じたもののも同じ感じだ。

 言葉と構えだけなのにまるで真剣を持っているような、今にも踏み込んできそうなそこには意志があって、柚木はごくりと喉を鳴らす。


「ねっ、剣を振れなくなったわけじゃないでしょ?」

「まさか、それで声優……」

「ふふーん」


 心春の浮かべるその屈託のない笑顔を見れば、どういう形なのかピントは来ないが、竹刀を振れなくなっても、剣は振ってきたのだとわかる。

 それがどれだけ柚木をほっとさせ、前向きにしてくれたかわからない。


「ほんと変わらねえな……俺は、俺はさ」

「んっ?」


 自分に困難やどうしようもない壁が立ちふさがった時、心春みたいに打ち破れるだろうかと考えてみるも、自信を持って出来るとはとても言えない。

 だけど昔と同じように、それでも心春みたいになりたいと心の底から思わずにはいられなかった。

 そして、


「今のすげえ心春をいつか超える」

「っ! それは剣以外でもってこと?」

「お、おう」

「ならあたしはそんな柚木をさらに超えちゃう、みたいな」

「だ、だったら俺はさらにさらにだな……」

「あはっ、めっちゃ欲張りじゃん。でも、柚木らしいや」


 その満面の笑みに当てられたかのように、大きく柚木のお腹が鳴った。

 そういえば朝ごはんもお昼もまともに食べていなかったなと思う。


「……」

「ぐうの音、でかっ! あははは」

「あんまり食べてなかったから、ってか、笑いすぎだろ……そうだ。これだけは……昨日のこと、ごめん」

「っ! そんな改まって頭下げなくても、あたしたちの仲じゃん。でもまっ、午前中避けてた方のが大問題だぜ!」

「悪かった……」

「うんうん、ありがと。お互いさらけ出して、なんかもっと仲良くなれそうな気するじゃん。あっ、ちょっとコンビニいこっ。コラボスイーツをぜひ柚木に食べてもらいたくてさ」

「いや、もうちょっとでチャイム鳴るんじゃ……」

「そこはダッシュで」


 いつも通りに心春は柚木の手を引っぱっていく。

 引きずられそうになりながらも、自分の知らない心春のことをもっと知りたいと思い始めた柚木だった。

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