第29話

 目の前にいるのは、現代日本の少年にしか見えない存在。

 だが、そこから立ち昇る霊力は隠しきれるものではない。


 その光景に、麻琴は初めて自らの死というものを意識した。自分はこれからどうなってしまうのだろうか。

 だが同時に、今の状況を分析している自分がいるのも事実だ。刑事としての勘が失われたわけではないらしい。


 充希は今も神﨑を援護して、地獄でのジャックの居場所を探っている。やや離れたところで柱の陰に入っている柏田は、自動小銃の弾倉を交換中だ。

 自分が後退してロイから距離を取れば、すぐにでも銃撃を加えてくれるだろう。

 短刀とバリアの両方を展開させたロイには通用するかもしれない。


 だが、味方の援護に期待してばかりはいられない。

 じりじりと距離を詰めてくるロイ。これでは隅に追いやられ、麻琴は間違いなく命を奪われる。


「こっち! こっちだ化け物っ!」


 麻琴の視界の隅で、柏田が動いた。自動小銃を腰だめに構え、銃撃を仕掛けようとする。

 ロイの注意が逸れたのを見て、後ろに飛び退こうとする麻琴。だが、今回の柏田の銃撃は一発もロイに届かなかった。結界に阻まれたのだ。


「二度も同じ手を喰らうわけがないだろう……。さて、弾切れのリボルバーを構える哀れな刑事さん。まずはあなたから死んでもらおうか」


 ロイは手元で短刀を弄びながら、距離を詰めて立ち止まった。ナイフを投擲する気なのだろう。

 せめて、気持ちで負けることは避けなければ。麻琴がぐっと顎を引き、銃把が震えるほど強くリボルバーを握り締めた。


 その時だった。


「えいっ! このこのこのこのっ!」


 なんとも子供じみた叫びが、ドーム内に木霊する。


「くっ! 何をするんだ!?」

「それはこっちの台詞だ! よくもジャックを!」


 驚いたことに、そこにいたのはエンジェだった。結界の隙間から滑り込んで、ロイを殴りつけている。


「エンジェ! あなた、天国に戻って別な任務に就いたはずじゃ……?」

「何言ってるのさ、麻琴! この案件はまだ終わってないよ! ジャックが現世に戻ってくる可能性があるんだから!」


 何だって? 神様直轄のエージェントであるエンジェが、ジャックの存在を肯定した?

 再度視線を端の方に飛ばす。そこでは、神﨑が地獄への通路を維持していた。そして充希が、金色の糸を垂らしている。


「ほう、エンジェさんはそちらの可能性に懸けるのか。でも、僕が神﨑さんの動きをマークしていないわけがないだろう?」


 するとロイは、大胆にも麻琴に背を向けるようにして片手を振りかざした。

 直後、ドォン、と雷鳴のような音が轟いた。


「危ないっ!」


 神﨑は充希を突き飛ばし、自らも落雷の直撃をなんとか免れた。

 が、せっかく開いておいた地獄との通路は一瞬で消し去られてしまった。


「残念だったね、皆。もう少し長く地獄とのバイパスを維持できていたら、ジャックを現世に連れ戻さたものを――」

「誰が誰を連れ戻すって?」

「なっ!?」


 唐突に聞こえた、朗々とした傍若無人な声。それは、ロイのみならず麻琴にも聞き覚えのある声だった。

 エンジェはすぐさま臨戦態勢に入るものの、声の主に攻撃性は感じられない。


「残念だったな、ロイ。新しい任務を与えられたのはエンジェだけじゃないんだ。俺もだよ」

「ル……ルシス! どうしてここに!?」

「だから言ったでしょ、これは俺に与えられた、新しい任務なんだ。ジャック・デンバーを現世に戻して、正々堂々ロイと戦わせろってさ」


 ルシスがぱちん、と指を鳴らす。すると、神﨑が地獄との通路を開こうとしていたその場所に、易々と大穴が空いた。


「充希さん、自分の手先から金色の糸が伸びてるのは見えるかい?」

「はっ、はい!」

「それを身体から引き離さないように注意して。神﨑、俺とあんたとでジャックを引っ張り上げるぞ」

「了解だ!」


 ロイは慌てて二本目の短剣を作り出し、神﨑とルシスの方へ振り返る。そして二人を攻撃しようと試みたものの、見事に失敗した。麻琴が一瞬の隙をついて弾丸を込め直していたのだ。

 リボルバーから発せられた弾丸は、ロイの右大腿部に直撃。鮮血の代わりに薄紫色の鱗粉のようなものを巻き上げながら、ロイの右足は千切れ飛んだ。


「ぐっ! この程度……!」


 一度散った鱗粉状の物体は、素早くロイの右足を再構成する。

 同時にロイは結界をより広く展開。その勢いで、神﨑と充希は吹っ飛ばされた。


 だが、これこそまさに僥倖だった。充希の指先から伸びた糸の先端に、見慣れたシルクハットがついてきたからだ。


「これは、ジャックの帽子!」


 もうすぐ。ジャックが来てくれるまでもうすぐだ。

 麻琴と柏田は、残弾僅かなリボルバーと自動小銃の全弾をロイに叩き込んだ。


 これには流石に分が悪いと判断したのか、ロイは大きく跳躍してその場を離脱する。しかし。


「くっ! 新しい身体に蓄えられていた霊力はこの程度か!」


 霊力の展開が困難さを増すロイ。その正面、地獄へと通ずる穴から、一つの人影が飛び出してきた。


「ん……んん……」


 釣り上げられた人影はどさり、と地面に落ちて、がたがたと震えていた。それは生まれたての小鹿を連想させたが、形は人間のものだし、べたべたに濡れてもいない。


「ジャック!」

「ジャック、大丈夫か? あ、俺はルシスだけど、今はあんたの味方だ!」


 神﨑とルシスが交互に声をかける。

 ジャックは嘔吐するように咳き込んだが、何も口にしていなかったためか、唾液が滴るにとどまった。


「貴様ら、揃いも揃って……!」


 先ほどまでの冷静さを完全に投げ打って、ロイは猛然とジャック、それに神﨑とルシスの方へと駆け出した。

 

「充希さん、こっち!」


 柏田が充希を抱き込むようにして安全を確保する。麻琴は残り五発の弾丸を、ロイの背中に向けて連射した。


「させるかっ!」


 ロイも今度は背後にも結界を張っている。

 しかし攻撃に集中するあまり、礼装弾による貫通を許してしまった。


「チイッ!」


 背中や肩から鱗粉を撒き散らしながら、それでもロイは向かっていく。

 ジャックは立ち上がり、ふらつきながらも神﨑とルシスの二人を両端に突き飛ばした。

 トレンチコートを脱ぎ捨てる。その時、彼の右腕には、ナイフというにはやや長すぎるような、大振りの刃物が握られていた。


「ここで会ったが百年目、ってな。今日こそ俺は、この惨めな人生にケリをつけてやる」


 なんとか治癒魔法でリボルバーによる傷を治すロイ。だがそんな彼を前にして、ジャックはこう言い放った。


「誰も手出しはするなよ!」

「なんですって?」


 すぐに反応したのは麻琴だ。


「あなたは地獄から戻って来たばかりなのよ? それなのに援護もなしで……」

「ロイだって同じだ。治癒魔法ってのは、それなりに霊力を使うものだからな。お互い様だろう」


 侮辱されたとでも思ったのだろうか、ロイは顔を醜く歪ませた。


「僕の力を過小評価しているのか?」

「その言葉、そっくりお前さんに返すぜ」


 二人の殺気なのだろうか、一瞬だけ強風がドーム内を吹き荒れ、残っていた煙幕や硝煙を一気に消滅させた。


         ※


 麻琴が目を拭った時、既にジャックとロイは床を蹴っていた。

 ジャックの振るうナイフを、ロイはぴたりと受け止める。白刃取りの要領だ。


 するとジャックは、もう一本のナイフを腰元から取り出した。ロイを腰から上下に叩き斬る勢いのナイフ。だが、ロイはそれをギリギリで回避してみせた。

 一瞬だけ足元に結界を作り、それを蹴ってナイフを跳び越えたのだ。ジャックの斜め上方を取ったロイは一本目のナイフを手放し、ジャックの後方へ。


 それを予想していたのか。ジャックも深追いはしなかった。敢えて前方へ跳ぶことで、ロイから距離を取りながら振り返る。

 まるでクジラやイルカのような、滑らかな所作だった。


「馬鹿が!」


 そう言ったのはロイだ。両手に霊力を集中し、機関砲のような勢いで霊気のこもった弾丸を連射する。

 しかしそれを見過ごすジャックではなかった。二本のナイフを器用に扱い、弾丸を斬り、あるいはいなすことで、全弾を回避した。一歩も動かずに。


「なあロイ、地獄ってのは意外と悪くないものだ」

「何を言ってる? 地獄は暗くて冷たくて――」

「それは合ってるがな、ロイ。加えて危険がいっぱいなんだ。地獄は初めから地獄なんじゃない。トラップにかかる方が、単純に地獄に落とされるより恐ろしいんだ。それを経験したからこそ、今の俺は戦い方を変えた。案外苦労するのも悪くないものだ」

「そう言って僕を惑わせてッ!」


 ロイは遠距離攻撃ができるというメリットを捨てた。右の拳を振りかざし、勢いよく水平に跳んだのだ。その先には、二刀流となったジャックがいる。

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