第27話


         ※


 玄関先に現れた人物と挨拶を交わしながら、伝芭充希は何事かと不安をかき立てられていた。自分が幽霊との一件に関わってから、ちょうど一週間が経っていた。


 来訪者は二人。幽霊にさらわれた自分を救出してくれた女性刑事と、奇妙な片側眼鏡をかけた背の高い女性だ。


「ど、どうぞ……」


 散々迷った挙句、紅茶よりコーヒーを出した充希は、恐る恐る話に乗ることにした。


「それで、お二人のご用件は……?」

「あなたが地下のドームから脱出した時、あなたの祖父の祖父を名乗る人物がいたことは覚えているかしら? ジャック・デンバーというイギリス人男性なのだけれど」

「あっ、はい。突然ナイフを取り出したので怖かったですけど、あれは私を助けるためだったんですよね?」

「その通り。じゃあ、彼が自ら地獄へ飛び込んでいったのも目にしていたわね?」


 地獄。その言葉に一際重みを感じながらも、充希は頷いた。

 すると、麻琴はなにやら独り言を呟き出した。


「ええ、そうですね、神﨑さん。ジャックの身柄を地獄から現世に戻さなければ」


 傍から見れば変人だろうが、確かに二人以外の来訪者の気配はしている。誰か幽霊になってこの場にいるのだろうか。

 すると今度は、初対面の女性――柏田と名乗っていた――が口を開いた。


「あたしたちは彼を地獄から現世に引き戻すことを考えているの。彼を地獄に落ちるよう促したのは、もちろん敵の策略。もしかしたら、ジャックが戻ってくれば相手の弱点を突けるかもしれない」


 淡々と語る柏田。その時充希の胸に去来したのは、責任感より恐怖感だった。

 また飛び込むのが怖かった。あの場所、あの時間、あの空気感に満ちた場所に。


「あの、そのジャックさん、っていう人が私のご先祖様だって話、本当なんですか?」

「ええ。それは確定事項と見做していいわね」


 指を組み合わせた拳をテーブルに載せながら、麻琴が語る。

 

「だから彼の末裔であるあなたの感覚が必要なのよ、充希さん。地獄から彼を現世に戻す。そのために、身内としてのあなたの勘を頼りにしたいの」


 麻琴からも柏田からも、威圧的な感じは受けない。自分を脅迫してはいないのだ。

 だからこそ、充希は動揺した。二人が真摯に自分に頼んでいるということがひしひしと伝わってきたから。


 ごくり、と唾を飲んで、充希はゆっくりと言葉を紡いだ。


「一つだけ訊かせてください。ジャックさんは私なんかを守るために、百年以上も幽霊として存在してきた、ってことですか? こんな気弱な、互いの顔も分からないような末裔のために?」

「そうよ」


 断言したのは柏田だった。


「あたしたちも、大切な人を亡くしたの。でもその人は、今もここで私たちを見守ってくれている。重要なヒントもくれた。その鍵を握っている人物こそ、ジャック・デンバーなのよ」

「えっ、お二人の大切な人? 今もここにいるんですか?」


 最初は驚いた充希だが、納得するのに時間はかからなかった。

 さっき二人が入ってきた時に感じた違和感。その正体が、二人と面識のある幽霊だったということか。


「それで、ジャックさんを救出してから何をするんです?」

「天海悠馬、ロイ・バートン、及びそのお守り役であるルシス。彼らの存在を白日の下に晒して、裁きます。ジャックはそのための重要参考人」


 麻琴ははっきりと言い切った。

 しかし、幽霊を裁くなんてどうするんだろう? そもそも、自分が二人に協力できるほどの力を持っているなど、簡単には信じられない。


 そんな不安と疑念が顔に出たのか、柏田はこう言った。


「確かに、あなたが要領よく事を済ませられるという保証はないわ。けれども、上手くこなすのにあなたの力が必要であることも事実なのよ。あなたの身は、私たちが必ず守り切る。だからどうか、協力してほしい」


 お願いします。二人はそう言って立ち上がり、深々と頭を下げた。


 両親も兄弟姉妹もない自分。そんなたかが一人の女子高生を頼るなんて、この人たちはどうかしていると思う。

 でも、ここで二人の頼みを無下にしたら、自分の存在意義はもっと希薄になってしまう。きっと、ジャックが失望するほどに。


 充希はふっと息を吸い、自らも椅子の横に立ち上がった。


「……よっ、よろしくお願いします!」


         ※


「どうやら、勝負あったみたいだな」


 そう言いながら、神﨑は自らを実体化させた。が、しかし。

 それを見た充希は悲鳴を上げ、ぺたんと尻餅をついてしまった。


「ちょ、ちょっと神﨑さん! 中途半端な実体化はしないでください!」

「え?」


 見下ろして、神﨑はやっと自分の身体の左半分が内臓剥き出しになっていることに気づいた。


「わっ! ごめんごめん、そんなに怖がらないで、充希さん!」


 目を回した充希を介抱するのに、麻琴たちはしばし慌て回ることになった。


「で、でも、登場のタイミングは計画通りだっただろう?」

「そりゃあ、充希さんが幽霊の話を信じてくれたら、って言いましたけど……。それでも神﨑さんの実体化は不自然ですよ!」

「あーあー、分かったよ麻琴ちゃん。これからは気をつけるから」


 さて、ここからは僕の仕事だな。

 高らかに言い放ち、神﨑は部屋の中央に向けてさっと円を描いた。その指先が描いたとおりに、床面に穴が開く。

 その穴は、地獄へ通じる結節点の一つとなっているのだ。


 なんとかその穴から逃れようとする充希。しかし他の三人は、見慣れたような顔でその穴を覗き込んでいる。


「ん? あ、ああー……」

「どうしたの、礼くん?」

「マズいな。ここからジャックを引っ張り出すのは不可能だ」

「どういうこと?」


 麻琴の投げた問いに、神﨑はふむふむと頷く。


「どうやら幽霊を地獄から召喚するには、その幽霊が跳び込んだのと同じ穴から捜索しないと厳しいようだ」

「え? それってつまり……」

「そうだよ、零ちゃん。僕たちはジャックが地獄に落とされたあの地下ドームに行かなくてはならないようだ」

「そんな! 流石にそれは……!」

「分かってるよ、麻琴ちゃん。確かに、僕と充希ちゃんがジャックの救出をしている間、麻琴ちゃんと零ちゃんには敵の目を惹きつけてもらう必要がある。厳しい戦いになるね」


 すると麻琴は振り返り、背を向けながら携帯端末を操作し始めた。


「何をする気だい、麻琴ちゃん?」

「本庁に応援を要請します! 礼装弾はまだまだあるんでしょう? SATの出動要請ができれば――」

「やめといた方がいいと思うな、僕は」

「そんな! どうしてですか、神﨑さん?」

「麻琴ちゃん、君は幽霊の存在を信じている。それは正解だ。しかし、それを他人に納得させるのは難しい。そもそも、君は霊能力が評価されたから刑事になれた、ってわけじゃないだろう? 君は自信満々かもしれないが、こんなオカルトじみた話、一体どれだけの人が信じてくれるのやら……」

「そっ、それは……」


 幽霊信仰、単独行動、無許可での銃火器の使用。こればかりは隠し通せるものではない。

 そんな人間が声高に、幽霊の駆逐ということを喚き立てても、誰も気に留めやしないだろう。

 まあ、神﨑にだけは指摘されたくなかったが。


「ん……」

「あっ、どうしたんだい、零ちゃん? 険しい顔をしてるけど」

「礼くん、あれを見て」


 柏田に続いて穴を覗き込む神﨑。

 その先に映った光景を見て、面倒なことになったな、と一言。


「どうしたんです?」

「麻琴ちゃんにも見えるかな……。この暗闇の奥、薄い紫色の発光現象が起きているのが分かるかい?」

「は、はい、でもあれは何なんです?」

「どうやら、天海たちの力が強大なものになりつつあるらしい。目的は本人に訊くしかないが、現世に大きな被害をもたらしかねない負の霊力が集まっている。一刻の猶予もないな」

「そんな! じゃあ、早く向かわなくちゃ! 私たちだけでも!」

「そうだな……。礼装弾は間に合うかい?」

「オッケーオッケー、あたしがちゃんと用意してきたよっ!」


 流石だな、零ちゃん。

 そう言って、神﨑は柏田と麻琴に手を繋がせ、自らも実体化した手を麻琴に差し出した。


「さあ、充希さん。君はここに」

「はっ、はい!」


 こうして四人は円を描くように並び、僅かに床のフローリングに体重をかけた。


「ここから少しだけ、皆を霊体化させる。手を解くと実体化してしまうから気をつけて」

「どこかにワープ……でもするんですか?」

「似たようなものだね、充希さん。正確には、一瞬だけ地球をすり抜けるんだ。ここからなら、あの地下ドームにすぐ到達できる。そこから先は出たとこ勝負だ」


 神﨑の言葉に、残る三人は頷いてみせる。


「一瞬のことだ。すぐ武器を抜けるようにしておいてくれ」


 その言葉と共に、麻琴たち四人の身体は勢いよく降下を開始した。

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