第22話


         ※


 あたりはあっという間に暗くなった。ここ数日、夕方頃に濛々と雲が湧き出してきて、太陽光を遮ってしまう。確か梅雨、というのだったか。ジャックは脳の片隅でそう認識する。


 それはともかく、今は充希の痕跡を追うのが最優先事項だ。誘拐された可能性が濃厚である以上、彼女が無事居住地にいるとは考えにくい。

 だが、何かヒントになるものはあるのではないか。そう思ったのだ。


 今のジャックの役割は、彼女をそばで守護することから、彼女を追跡することに切り替わっていた。


 もう一度、エンジェと共に見た結界の跡を思い出す。あのルシスとかいう悪魔が今回の首謀者だとしたら、もっと強力な、長時間もつ結界を作ることができたはずだ。

 しかし、実際の結界跡は呆気ないものだった。それはつまり、結界に取り込む対象――今回の場合は充希――の心が不安定だ、ということを意味している。


 結界を用いる際、自信家を取り込むのは困難だ。自らの目標をはっきりとさせているから。しかし逆に、やりたいことが見つからない、自分の人生は空虚だと思っている人間ほど、結界に取り込まれやすい。


「何かに悩まされているのか、俺の末裔は?」


 となれば、ますます彼女の身辺にあたってみる重要性が増してくる。


「何があったんだ……」


 そう呟きながら、ジャックは充希の住むアパートのエントランスに辿り着いていた。ここが俺の末裔の居住地か。


「しかし妙だな」


 エンジェと共に霊力の痕跡を辿ったところでは、末裔はまだ高校生のはず。今のこの国で、高校生で一人暮らしというのは珍しい。両親はどうしたのだろう?

 親兄弟も含めて、ジャックは五人くらいの家庭を想定していたのだが。


 ジャックがエントランスに足を踏み入れようとした、まさに次の瞬間だった。


「動くな!」


 そんな威勢のいい声と共に、鋭利な殺気がジャックを貫いた。

 かと思ったら、すぐにその鋭さは摩耗していく。やれやれ、さっき別れたばかりだというのに、またここで遭遇してしまうとは。


「俺に何の用だ、麻琴?」

「あっ、ジャック……」


 リボルバーを下ろしながら、麻琴は覇気のない声を上げた。突然の雨で、リボルバーを構える麻琴の姿が一般人に見られなかったのは幸いだ。


「麻琴、俺もまたここに来るとは予想していなかったのか?」

「そ、それは……」


 自らの視野の狭さを指摘されたようで、麻琴は俯いてしまった。


「生憎、このまま待機しても、俺の末裔は帰ってこないぞ」

「えっ?」

「彼女はまだ高校生のようなんだが、通学路の途中で結界の残滓を見つけた。何者かに誘拐された可能性が高い」


 麻琴ははっと息を呑んだ。


「誘拐? 何のために?」

「恐らく俺を釣る餌にでもするつもりなんだろう。ゲスな連中だ」

「ふむ……。ところでエンジェは?」

「あのルシスとかいう悪魔と交戦中だ。どうなるかは分からん。天使と悪魔の戦闘に俺の介入する余地はない」


 もう一度、ふむ、と言って顎に手を遣ってから、麻琴は言った。


「今はエンジェを信じて、私たちは当該人物の部屋を探索してみましょう。何か部屋主に繋がるヒントになるものが転がっているかもしれない」

「了解。だが、いいのか?」

「何がです?」

「俺は神﨑の死を、お前との結束の機会として利用しようとしたんだぞ?」

「その話は後で。民間人に被害が及ぶ可能性がある以上、今の私たちにできるのは、彼女に追いつくことだけです」

「そう、か」


 意外と思い切りがいいのだな。

 ジャックは胸中でそう呟いた。


「私は管理人室に行って鍵を――」

「そんなものはいらん」


 短く言い捨てながら、ジャックはすっと麻琴の頭上に手を翳す。すると、麻琴の身体を半透明になった。一時的な霊体化だ。


「このまま進むぞ」


 ジャックに続き、麻琴もまたメインエントランスをすり抜けた。


「目的の部屋は三階のようです」

「俺にも見えてるよ。三〇一号室、といったところか」


 クイズの答えを思いがけず知ってしまった子供の気分で、麻琴は軽く頬を膨らませた。


「それにしても、エンジェちゃんは大丈夫かな……」


         ※


「さて、君との戦いは飽きないけれど、いい加減始末しないとね。僕の面子に関わることだから」

「随分と向上心が強いのね、ルシス」

「褒め言葉と受け取っておくよ、エンジェ」


 そう言葉を交わし合う、二体の天使。

 共に神からの命を受けながら、相反する行為に走ってしまった運命。


 まったく、神様は何をお考えなのかしら――。

 そう胸中で呟くエンジェの前で、ゆらり、とルシスの姿が滲んだ。一時的に自分の霊力を集中させ、武器を顕現させようとしている。


 今までは短剣二本だったルシス。その取り出し方は素早く、そして巧みだった。

 しかし今回は、エンジェを警戒しつつもゆっくりとした所作で武器の生成を行っている。

 そして、それは見事に成功した。


「……随分とお似合いね」

「ありがとう。ま、この姿の方が人間をビビらせるのにちょうどいいからさ」


 その時ルシスが手にしていたのは、巨大な鎌だった。ルシス本人の体高より大きい。

 ここはこちらも違う武器で応戦すべきか。

 そう思ったエンジェは、右手にレイピアを、左手に盾を生成した。


「ほう、君も趣向を変えてきたね」

「ええ。悔しいけれど、今までのランスであなたの攻撃は防げない」

「英断だね」


 ルシスはぶんぶんと鎌を振るい、自分を中心に球体を描くような所作を見せた。

 直後、そばの電信柱に音もなく亀裂が走り、ゆっくりと地面に向かって傾き始めた。


 あの一瞬で、これほどの斬撃を繰り出すとは。ごくり、とエンジェは唾を飲んだ。

 そして、電信柱の上部がアスファルトに落着し、水たまりをばしゃり、と跳ね飛ばした。


「ふっ!」

「でやっ!」


 天使と悪魔は互いに空を蹴って急接近した。

 にやり、と口元を歪めるルシス。手にするのは、今までよりも遥かに威力の乗った凶刃。

 無表情で急停止するエンジェ。差し出したのは左手、加護の宿った超硬質の盾。


 ギィン、と鋭利な音が響く。次の瞬間、盾には薄い真一文字の傷が走っていた。

 しかし、エンジェは気にしない。盾の陰から上半身を現し、そのままレイピアを突き出す。

 奇襲したつもりだったが、ルシスは首を傾げるだけでこれを回避。手の中でくるり、と鎌を反転させ、エンジェの頭部に向けて横薙ぎにする。


 これをエンジェは、盾を掲げることで防御。再び盾に傷が走ったが、防御性能は落ちていない。

 それより、軽く足を曲げて身を隠す方が大変だった。返す鎌で振りかざされる第三撃。間違いなくルシスは、盾のすぐ下を斬り払ってくるとエンジェは読んだ。


 曲がったエンジェの膝あたりに、僅かな裂傷が生まれる。それでも致命傷は避けきった。


「ほう! やるねやるねぇ!」

「あんたと何戦目だと思ってんのよ! あたしだって勉強するわ!」


 そう言ってルシスの警戒感を逸らしながら、盾の裏でエンジェはレイピアに霊力を込めた。僅かな白光が発せられる。

 次の瞬間、エンジェの右手に握られていたのは、やはり槍だった。ただし、前回よりも短く、接近戦仕様となっている。


 再びの斬撃を繰り出すルシス。そのモーションに入った瞬間を、エンジェは逃さなかった。

 身体を回転させながら、盾を投げ捨てたのだ。


「!?」


 大鎌よりも短い槍の方が扱いは容易だし、小回りが利く。ここで鎌を振り切った姿勢のルシスを仕留める、というのがエンジェの作戦だった。

 ダンッ、と音を立てそうな勢いで、エンジェは空中で屈伸した。


 鎌の有効範囲の、さらに内側に入り込む。そしてエンジェは、思いっきり右腕を突き出した。


「はあっ!」

「しまっ……!」


 ルシスは鎌を放り捨て、結界を展開しようとした。が、遅い。

 咄嗟に左腕を胸部に翳し、防御態勢を取るルシス。その左腕に、エンジェの霊力の乗り切ったレイピアが食い込む。


「はあああああああっ!」


 最初はルシスの腕で止まったレイピア。それがずん、ずんとルシスの身体を空間に縫いつけていく。


 やがてルシスの腕は貫通され、だんだんと左胸に食い込み始めた。


「畜生、身体が、動かない……っ!」

「このまま、くたばれえええええええ!!」


 うおらあっ! という気迫のこもった叫び。

 それがエンジェの口から発せられる。そうして、ルシスの左胸は左腕と共に貫通された。


「ぐはあぁあっ!」


 エンジェは自らの勝利を確信した。その時、乱入者さえ現れなければ。


「ルシス、大丈夫かい?」

「ゆ、悠馬……」


 エンジェは結界に入り込んできた人物を警戒した。槍を引き抜き、盾を拾い上げて構える。

 当然だ。ただの人間がこの結界を破って戦場に入ってきたとすれば、只者ではないからだ。

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