第21話【第五章】

【第五章】


「んっ……」


 意識を取り戻した時、伝芭充希は自分がどこにいるのか分からなかった。

 瞼が妙に重い。ぼんやりとした淡い薄紫色の光だけが、僅かな隙間から目に入ってくる。


 だが、より重要なのは耳から入ってくる情報だ。目は閉じることができないが、耳はいくら疲れていても情報を拾ってくれる。


「酷くやられてしまったね、ロイ……。君にはしばらく休んでほしい」

「痛み入ります、天海様。しかし――」

「自分は僕の負の感情の強さに引き寄せられて、地獄から現世へ戻ってこられた、と言いたいんだろう? 何度も聞いたよ」

「失礼しました、つい」

「ああ、誰も面倒に思うことじゃない。そんなに畏まらないでほしい」

「分かりました」


 充希は指先から動かせないかと試行錯誤しつつ、この会話を聞いていた。二人の人間が話し込んでいる。

 内容はさっぱり分からなかったし、自分が今置かれている状態も極めて曖昧だが……。


 瞬きができるようになって最初に目に入ったのは、しかし人間ではなかった。

 背中からコウモリのような羽を生やした、三十センチメートルほどの小人だ。全身黒ずくめであることと、童顔でいることとのギャップが激しい。


「あっ、悠馬! ロイ! 人質が目を覚ましたみたいだよ!」


 空中で振り返りながら、三人目の人間――というより悪魔のような装束の小人は声を上げた。


「そうか、分かったよルシス。僕も今そっちに行く」


 充希は咄嗟に身を起こし、自分の状態を確かめた。身体に痛みはなかったし、制服にもこれといった傷はなかった。


「あっ、あの、ここはどこですか?」

「どこって、牢屋だけど?」


 再び目を瞬かせる充希。その問いかけに応えたのはルシスだった。


「えっ、えぇ? 私、どうして牢屋なんかに……? 私が何かしたんですか? 犯罪か何か――」

「違うよ、伝芭充希さん」


 穏やかながらはっきりとした声が響く。するとルシスはさっと引き下がり、代わりに少年――天海悠馬が充希の正面にしゃがみ込んで、ゆっくりと語り出した。


「突然誘拐するだなんて、とんでもない悪行だ。誠に申し訳ない。代わりに、君の身の安全と一週間以内の解放、それにそれまでの衣食住の面倒を見させてもらいたい」


 不服だろうけど。

 そう言って天海は微笑んだ。


「じゃあ、一つ質問してもいいですか?」

「どうぞ、ご遠慮なく」

 

 相変わらず笑みを浮かべて、天海は頷いた。


「これ、牢屋……なんですか?」

「ああ、これね。君のような普通の人間にも見えるようにはさせてもらったんだけど、いわゆる結界、というものだね。霊的な力をぶつけないと、破砕することは難しい。残念だけれど、今はこのスペースで勘弁してもらえるかな?」


 はっとして充希が振り返ると、ようやく彼女も僅かながら理解した。確かに自分は、このアメジスト色の半透明な立方体に閉じ込められているらしい。


 試しに恐る恐る触れてみると、湖面から水鳥が飛び立つかのように、円が描かれた。同心円状に、次々と。

 同時に充希は感じていた。確かにこれは、頑丈な壁なのだと。もう一度、立ち上がって周囲を見渡す。結構広いスペースだ。トイレやシャワールームも完備されている。こちらはちゃんと見通せない壁で覆われていた。


 この悪魔や少年が、どの程度の人格者なのかは測りかねる。が、今自分は致命的な状況ではないらしい。


「一応スペースは整えたつもりだけど、他に必要なものはあるかい?」


 はっとして正面、天海の方へ振り返ると、軽く首をかしげて天海が一言。


「ああ、電話や通信機材は勘弁してね」

「ええっと、今特には……」

「分かった。何かあったら、そこで跳び回ってるルシスに伝えてね」

「はい」


 喫緊の危険はなさそうだな、とは思う。

 しかし、自分が理解していることなど、氷山の一角なのだろう。

 結界? 霊力? 一体彼らは何の話をしていたのだろう?


 こんな状況下ですぐに落ち着けるようになったのは、充希自身の身の上のせいだ。


「お父さんやお母さんが生きていたら、きっと心配されるんだろうなあ……」


         ※


 エンジェは迷っていた。

 完璧なまでの仲違いをしてしまったジャックと麻琴。どちらについていくべきだろうか?


 まともに考えてみれば、ジャックの援護に回るべきだろう。

 当然だ。自分は神様から勅命を受けて、ジャック・デンバーの見張り兼助っ人に抜擢されたのだから。

 

 しかし心配の度合いで言えば、間違いなく麻琴につくべきだ。

 突然幽霊同士の戦闘に巻き込まれ、自らの過去を振り返り、しかも両親を悪霊退治で喪っているという。


 エンジェは羽をはためかせつつ、腕を組んで首を捻った。なんともシュールな姿勢である。

 だが結局、エンジェはジャックを選んだ。


「やっぱり神様のご意志に逆らうべきではない、よね」


 そう呟いて左右を見渡すと、ジャックが霊体化して大通りに出るところだった。


「お前まで来ることはなかったんだぞ、エンジェ」

「好きで来たんじゃないよ、神様のご意志を尊重したいだけ」

「ふん、勝手にしろ」


 互いに一瞥もくれることなく、ジャックとエンジェは徒歩で子孫の家、すなわち伝芭充希の住むアパートに向かうことにした。


         ※


 麻琴は交通課の軽自動車を拝借し、バイパスを走行していた。

 ジャックやエンジェには及ばずとも、鋭い刺激を感じてはいる。そしてその刺激は、ジャックから発せられていたものと極めて近い。


 というより無関係な人間が、こんなに彼に近い精神的波動を発しているはずがないのだ。


 しかし、気になったことが二点ある。

 一つは、感知された波動が一点だけだったということ。ジャックの末裔は一人しかいないのだろうか?

 もう一つは、感覚に妙な振動が加わっていること。やや捉えづらいきらいがある。もしかしたら、今頃地下鉄にでも乗っているのかもしれない。


「厄介だな……」


 東京の地下鉄網の中でこの人物に追いつくのは、間違いなく至難の業だ。

 さて、どうしたものか。アパートの玄関近くで張り込みでもしてみるか。


 そう考えつつ、麻琴の脳裏に一つの疑問が浮かんだ。

 何故元々無関係だった自分が、ジャックの末裔の下へ行こうとしているのか? 挙句、悪霊から助けようとしているのか?


 まず真っ先に思いついた理由。

 それは、自分は幽霊の行動を見聞きできる特殊な体質だからだ。それに、悪霊退治は自分の両親の仇を取ることにもなり得る。


 そう思えば。ジャックが末裔を守るために戦っている、という事実に賛同したのは自分ではないか。

 

 この世でジャックをナビゲートできるのは、自分しかいない。

 エンジェもいるにはいるが、仮に彼女が気を失うようなことがあったら、自分が代理をできなければ。


 バイパスを降りた麻琴は、そばのコンビニでアンパンと中華まん、それにエナジードリンクを買い求めた。

 それからしばらく住宅街を走り、目的のアパートのエントランスを捕捉した。それが見える位置にちょうどコインパーキングがあった。すかさず軽自動車を停める。


「さて、ジャックはここまで来てくれるかな……」


 肉まんに歯形を付けながら、麻琴はもごもごと呟いた。


         ※


 その頃、ジャックは僅かな霊力を辿っていた。充希が毎日学校への行き帰りに使う通学路だ。

 ジャックとエンジェは霊体化し、地面に膝をつく格好で霊力の残した線を追っている。


「どうやらこのまま行くと学校に行き着くようだが――」

「ちょっ、ジャック! こっちに来て!」

「どうした?」


 ふっと立ち上がったジャック。彼にも、エンジェの言わんとすることがすぐに察せられた。


「結界を構築した跡、か」


 そこにあったのは、最早何の意味もなさない霊力の抜けた壁だった。

 その向こう側から、真新しい霊力の線が薄くなっている。


「恐らく俺の末裔は、登校中にこの結界に踏み込んでしまったんだろう。エンジェ、お前が戦った悪魔――ルシス、だったか? あいつの空気感がある」

「ということは……?」

「この場所で待ち伏せされて、誘拐された可能性がある」


 ジャックは目を細めて道路を見遣った。


「戻るぞ、エンジェ。こうなったらこの線を逆向きに辿って、末裔の居住地を突き止めてみるしかない。そこで何か手掛かりをつかむんだ」

「分かったよ、ジャック。あたしも同行して――ッ! 伏せて!」


 それは一瞬の出来事だった。小人といっていい小さな影が、ジャックの頭上から降ってきたのだ。二本のナイフを握り締めて。


 伏せるだけでは回避できない。そう察したジャックはわざと転倒し、小さな影――ルシスの凶刃をギリギリで躱した。


「ジャック、先に行って。こいつの相手はあたしがする」


 エンジェの言葉に、ルシスは満足げに笑みを見せる。


「了解だ、とにかく無茶はするなよ!」


 それだけ言い放ち、ジャックは向こう側へと駆け出した。

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