第23話

「あなた、何者なの?」

「ああ、今は警戒しなくていいよ、エンジェさん。僕はただ、傷ついたルシスを助けに来ただけだ」

「答えになってない!」


 エンジェは羽をばたつかせ、盾と槍を構え直す。


「だってそうでしょう? あなたがただの人間だったら、あたしやルシスの姿は見えない。それどころか、触れることだってできないはず。もちろん、結界を破ってここに入ってくることもね」

「できてしまうんだからしょうがないよ」


 まくし立てるエンジェ。それに対する謎の人物の言葉は素っ気ない。


「随分酷くやられたようだね、ルシス。珍しいこともあるものだ」


 そう言いながら、謎の人物はルシスを優しく両手で包み、エンジェに背を向ける。


「ちょっと、待ちなさい! でないと、あんただってルシスと同じ目に――」

「ではさよならだ、エンジェさん。僕は天海悠馬という。君たちに苦労をかけてしまっていることは謝る。けれど、僕にだって事情があってね。ルシスやロイは、その手伝いをしてくれていたんだ」


 見逃してもらえると嬉しいんだけどね。

 そう言う天海の顔には笑顔が浮かんでいる。しかし、ところどころに影が滞留している。


「ルシス、僕たちを霊体化することはでいるかい?」

「ん、ああ……。大丈夫だよ」


 さっと手を翳すルシス。すると、彼と天海の二人の姿が霊体化するのが見えた。


「ではまた会うことがあったら、よろしくね。エンジェさん」


 天海はこちらに背を向けている。仕留めようと思えばできる距離だ。

 しかし、エンジェにはそれができなかった。


「情が移った、なんて認めたくはないけど……」


 エンジェは二つの人影がふっと消え去るのを見届け、ジャックの向かった充希のアパート目指して飛び始めた。


「ジャックの反応は……こっちか!」


         ※


 エンジェが天海と対面している間のこと。

 ジャックと麻琴は、充希の部屋に踏み入っていた。余計な形跡を残さないよう、二人共霊体化している。


 一人暮らしをしているにしては、随分と整った部屋だ。短い廊下に洗濯機やガスコンロ、冷蔵庫が並び、その反対側はトイレやバスルームへと通じているらしい。


 リビングはフローリングの床で、デスクには小さめのテレビとノートパソコンが載っている。向かって右側にはベッド、反対側には本棚が鎮座している。

 本棚を覗き込む麻琴。そこの半分には小説、残り半分には小難しい哲学書が並んでいる。


「漫画なんて一冊もないのね」

「ほう、それはおかしいな。俺は機会があれば、日本のアニメをよく見ていたんだが」

「ざーんねん。アニメのDVDだって一本もないわ。ドラマもね」


 ふむ、と短く鼻を鳴らすジャック。


「って、部屋を漁ってる場合じゃないでしょ! どこに連れていかれたのか、根拠になりそうなものを探すのよ!」

「それを漁る、って言うんだろうが」

「……それもそうね」


 なかなか事態の進展が見られない中、ちょうどジャックと麻琴の脳裏に殺気が走った。


「麻琴!」

「ジャック!」


 互いを敵の射線から回避させようと、二人は腕を突き出す。相手を突き飛ばし、転倒させて無理やり回避させるつもりだった。

 が、ちょうど掌を合わせる形となり、互いを反対方向へと突き飛ばすことになった。


 二人の頭部があったところを、凄まじい量の光弾が通り抜けていく。ジュッ、という音が連続し、この部屋のクローゼットに焼け焦げの痕を刻み込んだ。

 二人合わせて顔を上げると、部屋の向かいにあった広い窓が無惨に穴だらけになっている。明らかに敵襲だ。


 敵の姿は明確に捉えられた。間違いなくロイだ。

 

「くっ!」


 やはりあの時、もう少し深手を負わせておけばよかった。

 そう後悔するジャックだが、一つ気づいたことがある。


 ロイに喰らわせたダメージからして、僅か半日でここまで回復するとは。いくら何でも再生速度が早すぎる。


「貴様、ロイなのか?」

「そうだ」


 声には張りがあり、先ほどあんな負傷をしたのと同一の幽霊だとは思えない。


「お二人には、私に同伴していただきたい。さもなくば、このアパートを丸ごと消し飛ばす」


 驚きに目を見開く麻琴に対し、ジャックは努めて冷静に尋ねた。


「随分と強引になったものだな。紳士的なお前が、無関係の人間を巻き込もうと考えつくとは」

「残念ながら、私の主にはあまり時間が残されていないんだ。君たち二人を早急に、連れて行かなければならない」

「主、って何者なの?」


 麻琴の問いかけに答えたのは、ロイではなかった。


「名前は天海悠馬。あたしがルシスをボコボコにした時に、ルシスを迎えに現れたんだ」

「エンジェ! いつの間にこの部屋に?」

「たった今だよ、麻琴。天海悠馬の部下、というか天海に仕えてる、って感じだ」

「ほうほう、随分と自分の部下の扱いには慣れているようだな。奇襲で俺たちを殺させようとするとは。――っておいおいおい、何やってるんだ!?」


 ジャックの眼前では、ロイが霊力を込めた球体を手の間で生成している。


「主をけなすことは私が許さん。今ここでこの球体を放ったら、このアパートは前壊するぞ」

「それで私たちを脅すつもりなの?」

「左様。本来、こんなやり方は我が主が許さん。だが時間がない。ご同道願おうか、ジャック、麻琴、それにエンジェ」

「ちょ、ちょっとぉ! 人をおまけみたいに言わないでよ!」

「黙ってろ、エンジェ。なあロイ、お前が俺たちを連れて行きたいのは分かった。だが、その先では俺たちの安全が保障されていない。それをどう説明する気だ、ロイ?」


 すると、ロイは球体を縮め、両手の間で引っ込めた。


「今言った通り、主の体調が優れない。我が主の身体は生きているが、霊体化も可能な特殊なものだ。過去に何があったのかは、私にも分からん。だから残念ながら、これよりも強く諸君の安全を保証する、とは言うことはできん。ただし、私が命を受けたのは諸君の抹殺ではなく説得と誘導だ」


 しばしの沈黙が、充希の部屋に降り積もる。

 どうしたらいいのだろうか。自分だったらどうすべきか。麻琴は脳を高速回転させたが、自分でもよく分からない、というのが本音だった。


 なにせ、今回の出動が初めての本格的な戦闘に及んだのだ。そう安易に自分が決定できるものではない。


「ふん、話にならんな」


 そう言い捨てたのはジャックだった。


「ロイ、お前の話では、お前たちにとって有利な状況下に俺たちを連れ出そうとしているようにしか感じられない。そんな茶番、俺に通じるとでも思ったか?」


 すると、ふうっ、とロイは溜息をついた。


「正直、こんな手段を取るのは本望ではないのだがな……」


 そう言いながら、ロイは再び球体を生成し始めた。

 麻琴は怯んだが、ジャックとエンジェは落ち着いて注視している。


 今度は透明の球体が、ロイのもとに現れた。

 

「これを見てもらいたい」

「ん……」


 ふわり、と球体を手の上で浮かせ、ゆっくりとこちらに向かって差し出した。

 ゆらゆらと揺れながら、ジャックの手中に収まる球体。その中で映像が展開されているのを見て、麻琴はこれが水晶玉だということに気づいた。


 そこに映し出されていたのは、一人の少女だ。高校生なのだろうか、紺色を基調としたセーラー服を身に着けている。ぼんやりと正座したり、体育座りしたりというのを繰り返しながら何かを待っている様子だ。


 すると、映像の端から別な人影が入ってきた。


「彼が天海悠馬だ。今、この少女――伝芭充希に説明をしているのだろう」

「でんば、みつき……。デンバー?」

「どうやら俺の子孫は、早々にこの国に逃げ延びていたらしいな。名乗るのに苦労して、伝芭という苗字を名乗ったのだろう」


 しかし、麻琴はその言葉を聞いてはいなかった。

 これが本物の人質というものか。てっきり、刃物や銃器で脅されて動けなくなる図を想像していたのだが。


「ロイ、この子をどうするつもりなの?」

「私は主の命に従うのみだ」

「天海とやらの命令とあれば、少女を殺すのに躊躇いはない、ということだな?」

「私の望む結末ではないがな」

「ほう、そうか」


 ジャックはさっとナイフを引き抜き、ダッと床面を蹴った。が、その直後。

 ロイが右腕を差し出した。そこに現れたのは、凄まじい霊力を有する球体だった。

 しかし、今までの暴力性を感じない。


「これは、いったい……? って、きゃあっ!」

「うわわわっ!」


 慌てる麻琴とエンジェ。


「吸い込まれる! ジャック、聞こえますか!?」

「ああ、完全に不意を突かれた! だがこれは、俺たちを強制的に移動させるための渦巻きだ。負傷する恐れはない、というか今はロイに従うしかない!」


 気づいた時には、三人の視界は真っ暗になり、雷光のような亀裂が走る空間に投げ込まれていた。

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