第18話


         ※


 高速道路上でのジャックとロイの戦闘は、まさに一進一退となっていた。

 斬りかかってくるジャックに対し、ギリギリのところで回避を繰り返すロイ。


 ジャックのナイフは礼装済みで、実体にも霊体にも通用する。が、ロイにはそれが一目で分かったらしい。

 二メートルを越える巨躯でありながら、するり、するりとジャックのナイフを躱しきる。


「随分と柔らかい身体をしてるんだな」


 そう言って、ジャックは一旦距離を取った。呼吸を整える。

 お互いにまだ相手に致命傷を負わせることはできていない。霊力だけがどんどん減っていく。


 そんな中、ロイは再度、紫色のオーラを纏った球体を生成し始めた。


「ッ!」


 発射のタイミングを見切ることができたのは、ジャックが何度も荒仕事をこなしてきたからだ。他の悪霊と戦ってきた経験もある。

 ジャックは思いっきり後方に宙返りし、放置された乗用車を跳び越えた。その自動車を蹴り上げる。それが盾となって、ロイの球体を防ぐつもりだった。


 だが、事態はそう簡単には進まなかった。ロイの球体がガソリンタンクを直撃したのだ。


「おおっと!」


 ジャックは自分のブーツの裏以外を霊体化した。自分の身体を通り抜けていく爆炎が見える。

 その爆炎を蹴るようにして、身を捻りながら跳躍。爆風を足場にしたような形だ。

 ブーツの裏面に当たった爆風は、ジャックの全身を吹っ飛ばす。高速道路を左右で挟み込む防音壁に向かって。


 ロイはジャックの軌道を読み切れず、球体を発するのを躊躇っている。


「やはり霊力には限界があるみたいだな!」


 ジャックはそう叫んだ。さらに防音壁に全身をぶつけ、跳ぶ。それから放物線を描くようにして、斜め上方からロイに跳びかかった。

 一瞬の出来事だ。いつの間に取り出したのか、新たなナイフを握っている。


 自らもバックステップするロイ。だが、間に合わない。

 やがて、礼装を施された白銀の刃は、ロイの胸部に深い裂傷を負わせた。

 しかし。


「がはっ! くあぁあ!」

「ぐっ!」


 呻きながらも、ロイは全身をアメジストのような発光現象で包み込んだ。目くらましを喰らうジャック。その隙に、ロイは短めのジャブをジャックの顎に叩き込む。


「がっ!」


 霊体化した身体を霊体によって殴られれば、ダメージは普通に入ってしまう。ジャックはよろめき、慌てて身を引くも、脳内が揺さぶられるような感覚を回避するのは不可能だった。


 ロイは形勢逆転とばかりに、ミドルキックを放つ。凄まじい衝撃に、ジャックは身体をくの字に曲げながら吹っ飛ばされた。

 ここで退くわけにはいかない。慌てて実体化し、防音壁に張りつくジャック。背部から鈍痛が広がり、血の味が鼻腔を満たす。


 その時、淡い紫色の光が漂った。再びロイの身体からオーラが発せられている。きっと瞬間移動で、最後の決め技を放つつもりだ。ここまでか。


 しかし、いつまで経ってもジャックの意識が消滅することはなかった。一時的に聴覚が利かなくなっていたために、気づかなかったのだ。麻琴と神﨑がロイに向かい、弾雨を見舞っていることに。


 再び銃声の轟く高速道路上。


「神﨑さん、これより強い火器はないの!?」

「あるにはあるけど、対戦車ライフルくらいだぞ!」

「分かった、私がロイの気を引くから、あなたが狙撃して!」


 その言葉に、神﨑は眉をつり上げた。


「こんな近くから狙撃するのか?」

「そう! 私たちの今の装備で一番強いのは対戦車ライフルでしょ! 早く準備して!」

「りょ、了解!」


 麻琴に押し切られる形で、慌ててワゴン車に戻る神﨑。

 ちょうど弾倉内の弾丸を使い切った麻琴は、次の弾倉を自動小銃に叩き込んだ。ただし、この弾倉に含まれているのはただの礼装弾ではない。曳光弾だ。


 麻琴はロイの側面から後方へと回り込みながら、再度銃撃を開始した。走行中に目標に弾丸を当てるのは困難極まりない。だが、麻琴の狙いはロイの気を引くこと。それだけだ。


「こっち! こっちだ化け物!」


 だが、麻琴が思うよりもロイの聴覚は冴えていた。

 無造作に背後に腕を回したかと思うと、そこからビー玉大の球体を連射し始めたのだ。


「馬鹿な刑事さんだな!」


 慌てたのは麻琴だけでなく、ジャックもだ。

 僅かばかり間が空いたのをいいことに、ジャックは再度深呼吸を一度。それから、霊体化して回避しようとしているロイに向かい、勢いよくナイフを投げつけた。


 当然、ナイフは実体がある。霊体化しているロイには当たらない。

 だが、その先にいる人物に当てることはできる。もちろん、ナイフの柄の部分だけを、麻琴の額に。


「きゃっ!」


 思いの外可愛らしい声を上げて、麻琴は後方へと倒れ込んだ。仰向けになった彼女の頭上を、小さな球体がヒュヒュヒュヒュッ、と通り抜けていく。

 その先にあった乗用車は蜂の巣になり、やはり大爆発を起こした。

 その乗用車の乗員が逃げ出していて、なおかつ麻琴が爆炎に巻き込まれなかったのは僥倖だ。


 事態の推移に気を取られ、ロイは一瞬立ち止まる。

 そのタイミングを、神﨑が逃すはずがなかった。


 ダァン、という轟音と同時に、ロイは大きく吹っ飛ばされた。対戦車ライフルによる狙撃だ。

 

 神﨑の第一弾は、精確にロイの胸部を貫通していた。

 唇を湿らせながら、第二弾を装填する神﨑。

 スコープを覗き込むが、しかしロイはまだ立っていた。


「嘘だろ……?」


 今の神﨑には、胸部から瘴気を立ち昇らせながら胸に手を当てるロイが見えている。がくっとよろめきながらも、倒れ込む気配はない。

 

 いや、自分の方こそ慌てている場合ではない。

 ぎゅっと目を閉じ、自らを落ちつかせる神﨑。


「今度は頭部を……」


 しかし、ダァン、と二発目が発射された時、ロイはフードを翻していた。それを貫通することは叶わず、弾丸はかちん、といって道路上に落下する。


 舌打ちしそうになるのを堪えて、どうにか第三弾を装填する神﨑。だが、完全にこちらの場所はロイに知られてしまっている。

 向かってくるなら散弾銃で応戦するか。そう思って、ワゴン車の天井から引っ込もうとしたその時。


「あっ、あ、あれは……!」


 ロイと初めて戦闘に陥った時、ロイはジャックを狙って赤い光の波を発してみせた。その威力もまた、神﨑の記憶に新しい。

 その赤い波が、今度は自分に向かって真っ直ぐに向かってきていた。


 ジャックが何事か叫び、ナイフを投擲。それはアスファルトに食い込むように突き刺さり、赤い波を相殺しようと霊力を発した。

 だが、それで完全に波が終息したわけではない。


「マズいっ!」


 神﨑は対戦車ライフルを放り捨て、ワゴン車の天井を転がって回避を試みる。が、まるで精密誘導弾のように、波は軌道を変えて神﨑に向かってきた。


「こんなところで……!」


 研究課題を放っておけるか。

 そう言おうとした神﨑だったが、間に合わなかった。


 ザシュッ、という音を立て、彼の左肩から右腰部にかけて裂傷が走った。

 今度は麻琴が何かを叫んでいるのが分かったが、何と言っているのかまではさっぱり分からない。

 ただ一つ分かっていることは、自分が死というものに限りなく近づいているということだ。


「ああ……」


 こうして神﨑は、自分の作った血だまりに向かって、ワゴン車から転がり落ちた。


         ※


 寝そべる姿勢の神﨑の身体から、鮮血が噴出する。それが、麻琴にははっきりと見えてしまった。


「か、か……」


 喉が掠れて声も出ない。そんな状況で、麻琴に戦えというのは酷というものだ。

 ずっと兄代わりと言える立場だった神﨑。そんな彼が、無残に斬殺されたのだから。


「……! 麻琴!」


 ジャックの声に振り返る。我ながら、自分の挙動が随分ゆっくりしているように感じられた。

 目を上げれば、ロイの放った赤い波が自分に迫ってくるところだった。


 それを見た麻琴の脳裏に、回避するという考えは浮かんでこなかった。

 ここが自分の死地であるかのように感じられる。

 両親よりも付き合いの長い人物が殺された。保護者でいてくれた人物が真っ二つにされた。


 足元がふらつき、その場に崩れ落ちる。誰がどうやっても、麻琴を回避させることは不可能に見えた。ただ一人を除いて。


「麻琴ーーーっ!!」


 エンジェだ。ジャックとロイの戦闘に介入できなかった彼女は、幸運にも自分の身体を麻琴と赤い波の間に飛び込ませることができた。

 

「死んじゃ駄目だ、こんなところで!」


 エンジェは素早く結界を展開し、赤い波を押しとどめようと試みる。


「くっ……!」


 霊的エネルギーからなる赤い波を止めるには、これしか方法がない。


「麻琴! 早く、逃げて……っ!」

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