第17話

 彼らの視線の先にいたもの。それは、実体化したロイだった。その後方には、何台にも渡って走行不能になった車両が無様に押し退けられている。


「しくじったか」


 そう呟くジャックに、麻琴が疑問のまなざしを向ける。

 

「俺たちは、霊力を頼りに敵を探していた。だが実体化されてしまうとたちまち感知できなくなるんだ。まさかあの形相で、こんなところまで歩いてくるとはな……」

「つまり車を横転させたのはロイ、ってこと?」

「むしろ奴しかおらんだろう」


 今はフードを深く被っているから、その相貌が見られることはあるまい。だが気味悪がられたことは容易に想像できる。それに、ここに来る間にもどれだけの人を殺傷してきたのかを考えるとぞっとする。


 同時に、麻琴の正義感に火が点いた。幽霊だろうが人間だろうが、目の前の骸骨のような男は紛れもなく犯罪者だ。身柄を確保しなければ。


 クラクションと悲鳴に掻き消されないよう、麻琴は思いっきり大声で叫んだ。


「そこに立っている骸骨! 両手を頭の後ろに組んで這いつくばれ! 殺人と傷害の容疑で現行犯逮捕する!」


 この自動小銃で威嚇しようか。そんなことを考えていると、反対車線からパトランプがするすると流れてくるのが見えた。

 拡声器を通した地鳴りのような声が、全員の耳に突き刺さる。


《こちらは警視庁交通機動隊だ! 全員武器を捨て、大人しく指示に従え!》

「ッ! 来ちゃ駄目だ!」


 麻琴は反射的にそう叫んだ。何故なら、見えてしまったからだ。骸骨――ロイが両手を合わせ、瘴気を纏った紫色の光弾を生成するのが。


「待て! 皆、逃げろ!」


 直後、ロイは無造作に後方へと光弾を投げ放った。振り返りもしない、大胆な攻撃。

 しかし、その威力は凄まじいものだった。

 光弾はアスファルトに当たり、接触部分を溶解させながら先頭のパトカーを直撃。そのままぐしゃん、ぐしゃんと跳ねながら後続車両を押し潰していく。

 そして数秒の間をもって、先頭車両が大爆発を起こした。


「うっ!」


 爆光と爆風から身を守るべく、その場に伏せる麻琴。後続の車両もまた、次々と爆炎を上げて原型を失っていく。


「麻琴ちゃん、無事か!」

「か、神﨑さん、今のって……」

「間違いない、霊力を物理エネルギーに変換した攻撃だ。きっと僕らが山中で出会ったのと同じ奴だよ」


 やや爆音が遠のき、辛うじて会話ができるようになった時点で、ロイはこう告げた。


「ジャック・デンバー、いるのだろう? 貴公に恨みはないが、我が主のため、地獄に落ちてもらう」

「ほう、幽霊風情の俺と同格の貴様が、一体何を言い出すかと思えば……。なら実力で俺を陥れてみりゃいいさ」


 ジャックは後部座席の天井を押し開け、顔を覗かせる。そして座席に置いていたグレネード・ランチャーを取り出し、肩に担ぎ上げた。セーフティを解除し、六発の礼装弾が装填されていることを確かめる。


「ほう、礼装弾か……。貴公らも恵まれているな、それほどの飛び道具を与えられているとは」

「降参するなら早い方がいいぞ、ロイ」

「確かに厄介な相手ではあるが――」


 そこまで言った直後、ロイの姿が消えた。まるで一瞬砂嵐に呑まれたかのようになって、消え去ったのだ。


「――こうやって接近すれば、元も子もあるまい?」

「奴はどこに消えた!?」

「神﨑さん、後ろ!」


 麻琴が振り返って叫ぶ。ロイは既に高速移動を完了し、神﨑のワゴン車の天井に立っていた。無造作に繰り出された爪先が、ジャックの頭部を強烈に揺らす。

 かと思えば、ジャックはこの蹴りを防いでいた。グレネード・ランチャーを無理やり盾代わりにして。かたん、と言ってランチャーが落ちる。暴発しなかったのは幸いだ。


「この野郎!」


 ジャックは素早く霊体化し、展開した天井からするりと抜け出した。

 その隙に、身体を実体と霊体のまだら模様にしながら、ロイがジャックに再度蹴りを繰り出そうとする。


 素早くエンジェが割って入り、結界を展開。やや窪んだものの、結界は見事にジャックを守り切った。ジャックはワゴン車の上から後方に跳び、すっと地面に下り立つ。


「麻琴、神﨑、撃ちまくれ!」


 はっと正気に戻った麻琴は、神﨑と共に礼装弾による銃撃を開始した。パタタタッ、パタタタッ、と残弾に注意しつつ発砲する。

 礼装弾は、実体にも霊体にも効果的な兵器だ。これを食らわせれば――。


 しかしロイの身体捌きも凄まじい。ばさり、とローブを揺らめかせると、礼装弾は呆気なく地面に落下した。一発もロイには届かなかったのだ。


「まさか……!」


 神﨑が呻くような声を上げる。それに対し、ジャックに視線を下ろしたまま、ロイは語った。


「左様、やや使い勝手は悪いが、このローブは天使や悪魔の有する結界を展開できるのだ。残念だが、飛び道具は通用せん」

「ほう、白兵で勝負をつけようってか」


 スッ、という微かな擦過音を、麻琴は聞き逃さなかった。ジャックが礼装済みのナイフを抜いたのだ。


「神﨑さん、バンの後方で近接戦闘です! 左側から回ってください、私は右側から!」

「了解! ジャックを援護する!」


 こうして、爆炎と黒煙に塗れながら、幽霊たちは互いの四肢を存分に尽くして戦うこととなった。


         ※


 同時刻、東京都世田谷区。

 一人の少女が、地面を見下ろしながら黙々と歩を進めていた。


 ただ歩いているわけではない。周囲の同級生から巧みに距離を取り、慎重に歩んでいる。


 今日は一際寒い朝になったな……。何故だろう。

 そう思いながら、掌を擦り合わせる。


 少女はちょうど、自分の通う高校へと向かうところだった。最近あった模擬試験の結果が返却されるという。今の自分には、なかなか重苦しい状況だ。

 

 勉強ができないわけではない。それ以前の問題だ。

 もし彼女が然るべき医療機関に相談を持ち掛けていれば、何らかの精神的な苦痛をケアする処置を施されたことだろう。対人恐怖症、というレッテルと共に。


 しかし、そんな事態に陥ることを良しとする彼女ではなかった。

 やや脱色したような茶髪に、日本人よりもやや青みを帯びた瞳。何世代か前、自分の先祖に当たる人物が日本にやって来て居を構え、永住権を取得したと話には聞いている。


 しかし、この中途半端な容姿はどうにかならなかったのか。

 お陰で随分からかわれてきた。


 だが、少女が気にしているのは自分が虐められるという結果ではない。

 どうして自分のような人間が生まれてしまったのか、という問いの答えとなる原因だ。

 きっと今も、誰かに後ろ指を指されているに違いない。だって、少し後ろには同級生のアイドル的な女子とその取り巻きたちが、喧しい声で談笑して――。


「って、あれ?」


 少女はようやく違和感に気づいた。自分以外の人間が消え去っていたのだ。

 ブロック塀のお陰で確かに見通しは悪い。だが、誰も見えず、声も聞こえない。これは何事だろうか?


「いったい、何がどうなって……?」


 立ち止まり、前後を見渡す少女。眼鏡を外し、ごしごしと目を擦って瞬きを繰り返す。同時に、どこからか音が聞こえてこないものかと聴覚を冴えさせる。

 それでも結果は同じだった。ここには、自分以外に誰もいない。


 膝が震えだしそうになるのを、少女はなんとか押さえつけようとした。しかしそれも、十数秒ほどのこと。ようやく人の声が聞こえてきたのだ。正確には、人を模して創造された存在が。


「こんにちは、お嬢さん」

「ッ!」


 悲鳴を上げかけて、彼女はどうにかそれを堪える。


「ああ、心配はいらないよ。君に危害は加えない」

「あなたは――」

「僕は天使、いや、悪魔かな? どっちでもいいや、とにかく神様に仕える者だよ。名前はルシス。ちょっと厄介事が持ち上がってね、君の力を借りたいんだ。助けてもらえるかい、伝芭充希さん?」


 少女――充希が震えて答えられないとみるや、ルシスはさっと手を彼女の頭上に翳した。

 地面に膝を打つようにして、がくん、と充希の身体が崩れ落ちる。まさに、糸を切られた操り人形のように。


「おおっと」


 彼女の上半身を抱えるルシス。ここは結界の中だから、何があっても外部には伝わない。そして、ルシスが最も自らの能力を発揮し得る状況でもある。


「ご同道願うよ、伝芭充希さん。君を傷つけずに済むように、僕らも精々努力するからさ」


 言うが早いか、結界の中央部に真っ黒な球体が現れた。これはいわば瞬間移動の霊力だ。球体に触れると、その人物は目的地へ向けて引っ張り込まれる。天海のいるあの地下構造物へと。


 ルシスは彼女の身体を宙に浮かせ、自分もそれに続くように、球体の内部へと身を投じた。

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