第16話【第四章】

【第四章】


 天海悠馬が目を覚ました時、既に上半身はベッドから起き上がっていた。

 喉の痛みによって、自分が叫び声を上げていたことに気づく。


「はあ、はあ、あぁ……」

「大丈夫ですか、天海様」


 ゆっくり頭部を巡らすと、ロイがそばに立っている。

 

「僕は……、またうなされていたのかい?」

「はい」


 短く答えたロイは、ゆっくりと片膝をついてひざまずき、手にした盆を掲げた。精神安定剤と、水の入ったコップが載っている。


「ありがとう、ロイ」

「いえ。わたくしがあなた様にお仕えしたいだけであります」

「ん……。僕の霊的な状態はどう見えているか、教えてもらえるかい?」

「はい。ここ数日、荒波が立っているような感覚です」


 大きな溜息をついて、天海は自分の胸に手を当てた。


「人質になりそうな人物は見つかりそうかな?」

「残念ながら。東京都内ということしか感知しておりません。誠に申し訳ございません」

「いや、いいんだ……。人質を取るというのは飽くまで保険だからね。あの男性の霊を抹殺すれば、僕も君も解放される。そうだったね、ルシス?」


 無造作に声を掛けると、ベッドの裏側からルシスがひょっこり現れた。


「そうだよ、悠馬! ジャック・デンバーをやっつければいいんだ!」

「左様です、天海様。しかし昨日お話したように――」

「向こうにも天使がいる、という話だったね」

「はい。ルシスも手こずるほどの霊力を宿しています」


 立ち上がり、背筋を伸ばしながらそう告げるロイ。彼もまた軽傷を負って帰ってきたところからして、ジャックという幽霊とその仲間はかなりの実力――霊力を有しているようだ。


「ふう……。少しは薬が頭に回ってきたみたい。いつもすまないね、ロイ」

「どうぞお気になさらず。あなたはわたくしを、この世界に召喚してくださったのです。礼を尽くすのはわたくしめの方なのです。わたくしはこの一命、いえ、一霊を懸けてあなたさまを――」

「あっ、ちょっと、これ見てよ!」


 唐突に声を上げたルシス。ロイはそれを眼球のない顔で睨みつけたが、すぐに事態の重大さに気づいた。ルシスの持っていた水晶玉を受け取る。


「悠馬様、これをご覧ください!」


 ロイは片手で水晶玉を浮かばせながら、もう片方の手で指を鳴らす。

 すると、まるでプラネタリウムのように、何かが天海の部屋の天井に展開された。


 それは地図だった。天海が目を凝らすと、それが東京都内のものだと察せられる。


「これは今のジャックの位置を示しているのかい、ルシス?」

「そうそう! 人間にも分かりやすくすると――ほら!」


 ルシスがすっと水晶玉を撫でる。直後、地図上に赤い点が映し出された。ジャックの現在位置だ。地図の縮尺からして、かなりの速度で移動していることが分かる。


「何か乗り物で移動しているようだね……。高速道路かな」

「悠馬様の仰る通りかと存じます」

「そうか。じゃあ、早速だけど影たちに命令を」

「またわたくしが前衛に出ます。影たちにも、彼らがいかに危険かについては周知させます」


 天海ははっとして、ロイに視線を映した。


「ロイ、君はまだ傷が癒えていないんだ! 万全の状態でかからないと危険なんじゃ――」

「一度は捨てた命です。地獄に封印される覚悟はできております」

「そっ、そんなこと言われても……」

「あなたはお優しい少年でいらっしゃる。そんな方に、偶然とはいえ召喚されたこの身。どうか存分にお使い潰し下さい」

「……分かった。じゃあ、十分に気をつけて」

「御意」


 無感情な声でそう告げたロイは、するりと寝室のドアを通り抜けて退室した。


「僕はどうしようか、悠馬?」

「ルシス、君には人質候補の人物の居場所を突き止めてほしい。頼めるかい?」

「お安い御用さ! じゃ、僕も行ってきまーす」


 ルシスは空間移動能力を駆使して、自らの身体を瞬間移動させた。

 こんなことまでできるとは、流石天使と渡り合うだけのことはあるな。

 天海は胸中で呟き、ゆっくりと床に足を下ろした。


 自らを悪魔と称していたルシス。だが、天海は彼こそが天使であるように感じていた。

 自分もしゃきっとしなければ。そう思いを新たにしながら、天海はこの地下空間に設けられたバスルームへ向かった。


         ※


 ロイが天海の部屋に駆けつける一時間ほど前のこと。麻琴たち一行は、柏田のアジトの玄関にいた。


「ほいっ! 火器弾薬、ありったけ持ってきなっ!」

「おお、気前がいいね、零ちゃん。有難く頂戴するよ。ほら、麻琴ちゃんも見てごらんよ!」

「うわあ……」


 彼らの前に展開されていたのは、礼装を施された火薬・弾丸・砲弾各種と、それを撃ち出すための射撃武器だった。

 自動小銃、狙撃銃、手榴弾にグレネード・ランチャー。まさに選り取り見取りである。


 さっとそれらに目を配った麻琴は、すぐに選別作業に取り掛かる。

 今のところ、こちらの武器はジャックのナイフ、麻琴のリボルバー、神﨑の自動小銃に対戦車ライフル。

 弾薬の残量はもとより、銃器そのものの量が足りていない。心細い状態だ。


 だが、柏田はそれを呆気なく提供してくれた。


「零ちゃん、帰ってきたらお礼は何でもするよ」

「あら礼くん、本当に? じゃあ、研究室の掃除でも手伝ってよ!」

「え? そいつは厄介だな……。何でもする、なんて軽々しく言うもんじゃないね」

「またまたぁ、照れちゃって! 礼くん」


 そんな茶番を見せられていた麻琴は、ごほん、と空咳を一つ。


「私はこの自動小銃と手榴弾を頂きます。神﨑さんは、グレネード・ランチャーを装備してください」

「ほう、なかなか豪儀だな! 了解だ」


 ほっそりとしている神﨑だが、ランチャーを軽々と担ぎ上げた。自衛隊在籍時に相当鍛えたのだろう。

 ジャックはジャックで、投擲用の短剣をトレンチコートの中に仕込む作業にあたっていた。


 しかしこれでは、一般人から見たらナイフが編隊を組んで浮いているように見えてしまう。それを指摘しようとする麻琴に、ジャックは手をひらひらとさせた。


「心配無用だ、麻琴。礼装が施されているお陰で、俺の好きなタイミングで霊体化させられるようだ」

「そう、なんですか」


 ところで、と言いながら、麻琴は柏田の方に振り返った。


「柏田さん、私たちがここに滞在したせいで、あなたの下にも悪霊が送り込まれてくるかもしれません。早くどこかのセーフハウスへ――」

「心配いらないよ、麻琴ちゃんっ! 魔よけのお札、そこら中に貼っておいたから!」


 いや、それよりは生活拠点を移した方がよくはないか? 

 そうツッコミたいのは山々だが、自分より幽霊に詳しい柏田がそう言うならきっと大丈夫なのだろう。


「そういや零ちゃん、移動手段の手配を頼めるかい?」

「モチのロン! このビルの裏手に盗難車を隠しておいたんだ。ナンバープレートも変えてあるから、自由に乗り回してくれて構わないよっ!」

「感謝するよ、零ちゃん」

「なぁーに水臭いこと言ってんの、礼くん! ジャックさんの末裔にあたる人を探しに行くんでしょ? どのくらい大変なのか分からないし、もしかしたら相当危険かもだけど、とにかく皆が満足のいく結果を納められるようにあたしも願ってる!」

「よし、そうと決まれば、目的地を捕捉して向かうだけだな! 僕は車を用意するから、麻琴ちゃんたちはここで待っててくれ!」

「は、はあ」


 唐突に話題を振られ、麻琴は間の抜けた声を喉から発した。


         ※


 そして現在。

 神﨑が駆るワゴン車は、首都高を目指して走行中だった。後部座席の天井が開くタイプで、身を乗り出せば敵を迎撃することもできる。

 今は天井を封鎖して、あたかも普通のワゴン車ですよ、という体を装っているが、何もしていないわけではない。


「エンジェ、敵の動きは?」

「まだ見えないね。ロイやルシスといった強力な敵の気配はまだ――」


 麻琴に向かってエンジェが答えようとした、まさにその時だった。


「全員伏せろ! 対ショック姿勢!」


 神﨑の怒鳴り声が響き渡る。すると、前方を走行中だった軽自動車が、思いっきり突き飛ばされるところだった。軽自動車はワゴン車のフロントガラスを直撃し、防弾仕様のガラスに僅かにひびを入れた。


「つかまってろよ、皆!」


 後続車との距離が十分であることを確認し、神﨑は叫びながらワゴン車を停めた。

 横向きに滑り込んだ車体から、麻琴は自動小銃を手にして飛び出した。その背後では、後部座席の天井を展開してグレネード・ランチャーを構えるジャックの姿がある。


 さっきまで、またチョコレートにぱくついていたエンジェ。彼女も天井をすり抜け、結界を構成した。

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