第8話


         ※


 翌日。

 麻琴は、思ったよりも自身の身体が重く感じられることに気づいた。

 あの大口径リボルバーを、一晩であれだけ撃ったのだ。腕に疲労が残っていてもおかしくはない。初の実戦を経たともなればなおさらだ。


 しかし、そんな悠長なことを言ってもいられないだろう。詳しくは聞いていないが、ジャックと情報共有をしておかなければ。


 もちろん、敵の敵は味方、という発想もあった。ここで警視庁の助けを求めれば、自分はジャックから逃げられるかもしれない。


 しかし、そう上手くいくはずがないと、麻琴の本能が訴えていた。

 目的は分からないが、敵勢力が自分たちと遭遇した時、自分や神﨑をまともな人間として認識してくれるだろうか? ジャックに無理やり従わされている憐れな子羊だなどと、信じてくれるだろうか?


「……ないわね」


 麻琴は即断した。

 もしジャックに同行者がいることに気づき、その人物を救おうとしていたのであれば、昨日の東京湾沿岸で行われたような戦闘事態には発展しないはず。


「でも……」


 ジャックの目的は何だ? 自分は知っておくべきではないのか? いやそもそも、そう簡単にジャックの心の深部に踏み込んでいいのか?

 ジャックがかつて、処刑された身であることを思えば。


 結局、麻琴はベッドから上半身を起こし、その淵に腰かけながら愛銃を眺めるしかなかった。

 軽快なノックの音が響いたのは、ちょうどその時だ。


「麻琴ちゃん、おはよう! ちょっといいかい?」

「何、神﨑さん」

「朝食を摂るのと新型装備を受け取るの、どっちを先に――」

「あるなら早く寄越して、その新型装備」

「了解だ」


 麻琴の素っ気ない態度に構わず、神﨑は入室した。スライド式のドアが、壁面のタッチパネルに反応するようになっている。


「麻琴ちゃん、おはよう!」

「二回目だよ、その挨拶」

「そうかい? まあいいや、これを見てくれ」


 神﨑は両手に収まるくらいの大きさの箱を、三つ重ねて持ってきていた。


「弾丸?」

「そう! しかも聞いて驚くなかれ、礼装を施した、対幽霊用の特殊弾頭を搭載しているんだ!」

「え?」


 これには流石の麻琴も目を丸くした。


「こういう事態に備えて、随分前から研究していたんだ。さっきジャックさんに見せたら、確かに有効だ、とさ」

「こんなものがあるなら早く渡してよ!」

「そんな言い方はないだろう、麻琴ちゃん! まさか、本当に幽霊を相手に銃撃戦をやる日が来るなんて、君も思いやしなかっただろうに!」


 わざとらしく傷ついた振りをしながら、おどける神﨑。


「口径は君の愛銃に合わせてある。だが、予備のオートマチック用の弾丸は量産が間に合わなくてね。可能な限り、リボルバーでの戦闘に徹してくれ」

「私もそのつもりでしたよ。当然じゃないですか」


 僕も君がそう言うだろうとは思ったよ。

 そう言い残して、神﨑は踵を返した。


「ああ、朝食はスクランブルエッグだ。装備が完了し次第、ダイニングに来てくれ」

「了解」


 そう答える頃には、麻琴の興味は完全に礼装弾丸に移っていた。


         ※


 少なくとも、麻琴にとって時間はあっという間に過ぎた。気づけば、神﨑に対霊弾丸を与えられてから二時間が経過している。

 普段なら、一食を抜いても構わずに新装備について分析を行うところだ。現に今もこうして、弾頭を指で挟んで吟味している。


 問題は今日の朝食のみならず、昨晩から何も口にしていないということだ。

 それほどに、幽霊に対抗し得る攻撃手段を得ることは、麻琴にとって優先度の高い事柄だった。


「流石にお腹減ったわね……」


 麻琴はさっさと部屋を出て、洗濯室に向かった。無論、パジャマの上からホルスターを吊っている。

 一晩で洗濯・乾燥された服を着て、警視庁の警察手帳とバッジを装備する。まあ、幽霊相手に抑止力になるとも思えないが。


 パジャマを洗濯機に放り込み、ようやく麻琴はダイニングへと足を向けた。

 ダイニングと言っても、やや縦長のスペース長机と数脚の椅子が並べられただけの空間だ。衛生面がきちんとしているのは、流石自衛隊上がりの神﨑らしい配慮である。


 そこに、一つの人影、正確には一人の幽霊とその頭上を跳び回る天使の姿がぼんやりと見えた。


「おはようございます、ジャック、エンジェ」

「おう、随分遅かったな。もう冷めてしまったぞ、神﨑の料理」


 構いません、と言いかけて、麻琴は口を噤んだ。せっかく用意してくれた神﨑に申し訳ないと思ったのだ。ジャックは続ける。


「あいつのスクランブルエッグ、なかなかのものだ。麻琴、お前も食べておけ」


 配慮してくれているのか、おちょくっているだけなのか。判断しそびれた麻琴は、無言で最寄りの椅子に腰かけ、自分に与えられたトーストとスクランブルエッグの皿を引っ張った。


 と、ここで一つの疑問にぶち当たる。


「神﨑さんはどこにいるんです?」

「今ここにはいない。買い物だそうだ」

「え? 外出してるんですか?」


 うげっ、という顔になった麻琴に対し、ジャックは彼女の危惧するところを察した。


「安心しろ。神﨑は昨日と違って、まともなルートを辿って地上に出たそうだ。きっとひとけのないところに、別な出入口があるんだろう」

「まあ、そうでなくちゃ困りますけど」


 すると、ジャックはテーブルに肘をつき、ずいっと身を乗り出した。


「麻琴、真面目な話があるんだが」

「何です?」


 温め直すこともせずに、黙々と食事を平らげていく麻琴。


「ああいや、お前が食事を終えてからの方がいい。気分のいい話じゃないからな」

「そうですか」


 麻琴は速度を変えずに、しかし実に手際よく朝食を平らげた。


「ごちそうさまでした」


 ジャックは日本人というのは律儀さに感心する。しかし、話したいのはそんなことではない。

 シンクに食器類を置いて戻ってきた麻琴に向かい、ジャックは膝の上に手を載せる格好でこう言った。


「麻琴、まず一つ訊きたい。お前は今後も俺と行動を共にする気か?」

「そのつもりです。あなたという幽霊と一緒にいれば、今までの私の――失礼、話すのはあなたの方でしたね、ジャック」

「ああ。そこで、俺の行動目的を説明しておきたい」

「それは私にバラしてもいいことなのですか?」

「何を言ってる? 俺たちはバディだろう」


 ああ、そんな話をしたかもしれないな。そう胸中で呟いて、麻琴は昨夜の会話を思い返す。

 普通に考えて、目的の共有は最初にやるべきはずのことだった。


 しかし、昨日はそれどころではなかった。あれよあれよという間に戦闘事態に巻き込まれ、神﨑に救われてからすぐに休んでしまったので、こうして膝を突き合わせてジャックと話をするのは初めてかもしれない。


「俺は、ある人物を探している」

「ある人物……。日本人ですか?」

「そうだ。今のところはな」


 ジャックが身近な人間を守ろうとするのなら分かる気がする。しかし、彼が実存していたのは百年以上前の、それもイギリスだ。どうして現代人を守るのだろう。


「俺はここ半世紀ほど、自分の末裔を探していた。麻琴、お前の言葉を借りれば血筋、というものだ」

「それが今話題に出てきた、ある人物というわけですか」

「そうだ。今、その人物に魔手が迫っている。エンジェ、あれを麻琴に見せてやってくれ」

「はーい」


 ひらひらと飛んできたエンジェは、手先で何かをこねくり回すような動作をする。

 と、その場に唐突に球体が現れた。完璧な球体だが、今は黒い渦がぐるぐるととぐろを巻いている。


「例の人物の姿を映してくれ」

「りょーかい」


 エンジェがまるで、スマホを操作するかのように指先を振る。すると球体、すなわち水晶体の中で、黒い渦が別な形態をとり始めた。

 昨日から様々な現象に見舞われてきた麻琴だが、まだまだ驚くべきことがあるのだなと、認識を改める。


 十二、三秒が経っただろうか。水晶体の中央に、人の形を模した粘土細工のようなものができた。それがさらに細部を形成されていく。

 最終的に、一人の人間の姿が現わされた。セーラー服を着た、どこにでもいそうな女子高生だ。


「彼女が、あなたの末裔?」

「そうだ。普通に生活してくれているのならいいんだが、彼女の周囲に不穏な霊的動きがある。俺はそれを排除したい」


 百年かけて、ようやく見つけた末裔だからな。

 その言葉は、嬉しくもあり、やや悲観的な印象をもって麻琴の心に刺さった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る