第7話

「僕が自衛官として訓練している間に、猛勉強したようですね、彼女」

「もしかして、お前が出会う前の麻琴の身に起こったことと関係があるのか?」

「さあ、そこまでは本当に、神のみぞ知る、といったところです」


 ジャックはふん、と鼻を鳴らした。こればっかりは、本人に訊いてみるしかあるまい。だが、まだ気になることはある。


「ところで神﨑」

「はい?」

「お前、こんなことをやってていいのか?」

「こんなこと、とは?」

「言っただろう、これは世間的に見ればオカルト的な、気の狂った人間の行いだ。どこで資金調達した?」

「ああ、両親に学費だと偽って頂戴しました」

「んぐ!」


 危うくジャックはコーヒーを吹き出すところだった。


「頂戴しました、って……。これだけの施設、建造にはだいぶ金がかかっただろう? 自衛官としての立場だってあったはずだ。それを投げ打ってまで、一体何がお前を霊能力の研究なんぞに駆り立てたんだ?」

「親友が殉職しましてね」


 唐突な告白に、ジャックは黙り込んだ。エンジェがガジガジと板チョコを頬張る音だけが響き渡る。

 

「僕が大学生の時、彼は高卒で自衛隊に入ったんです。そして、災害派遣での救難作業中に、誤って命を落とした。僕も自衛隊の幹部候補生を目指していましたから、彼は親友であり先輩でもありました」


 ことり、と神崎がカップを置く音が妙に大きく響く。


「彼は早くから前線に出ることを望んだ。人命救助のために。そんな現場主義で志の高かった彼が殉職するなんて、当時の僕には考えられることではありませんでした。今もそうかもしれない。そんな僕に、組織絡みの人命救助ができるほどの精神力は残っていませんでした」

「だから大学を辞めて、都内で炊き出しなんてやってたのか」

「仰る通り。自分も他人も傷つけずに、人を助けられますからね」


 すると神﨑は立ち上がり、ジャックに背を向けた。どうやら壁に貼られた写真に見入っているらしい。ジャックは敢えて、その背中から目を逸らした。


 そこから先の神﨑の生き方は、ジャックにも簡単に想像できた。

 その親友の思いに少しでも近づきたいと、神﨑は思ったのだろう。だからこんな研究に勤しむようになったのではないだろうか。


 もしかしたら、両親や親族からは疎まれ、勘当されてしまっているのかもしれない。

 それでも自分の意志を貫こうとしているとすれば、こいつは思ったよりも大した男なのではないか。


「ごちそうさまでした!」


 沈黙を破ったのは、板チョコを食べ終わったエンジェだった。


「あれ? 二人共どうしちゃったの?」

「何でもない、大人の会話だ」

「あーっ! 酷いなあ、ジャック! あたしも混ーぜーてー! あたしだって神様の使いだよ? 人間よりずっと長く生きられるんだから! ジャックなんて、産まれて間もないひよこちゃんも同然――」

「説教はよしてくれ、エンジェ。大人の話だと言ったろ」

「むきー!」


 すると場の雰囲気を保つためか、神﨑が口を挟んだ。


「エンジェちゃん、チョコレート、まだ食べるかい?」

「おいおい神﨑、下手に餌付けしないでくれ。調子に乗られても困る」

「えーっ! ジャック、天使をペットみたいに言わないでよ!」

「へいへい」


 麻琴が研究室に戻ってきたのは、ジャックが手をひらひらさせている時だった。


「で、何の騒ぎですか、これは?」


 そう言う麻琴の姿に、ジャックはやや意表を突かれた。思っていたより凹凸の強調された姿をしている。

 

「麻琴、何だその格好は」

「パジャマです」

「防弾ベストは?」

「着けていません。ただ、念のため拳銃は装備しています。


 確かに、パジャマの上からホルスターを提げている。


「麻琴、俺が寝ずの番をするから、お前は休め」

「幽霊に睡眠は不要だと?」

「そうだ」

「そうですか」


 と言いつつ、麻琴はホルスターを外そうとはしない。枕の下にでも仕込んでおくつもりなのだろうか。


 実際のところ、麻琴に訊きたいことは山ほどあった。だが、彼女にはしっかり休んでもらわなければ。百年以上前の、肉体を得ていた頃の自分の記憶がよみがえる。

 あの時、自分が霊体化できる力を持っていたら、妻子を救えたかもしれない。


 麻琴と神崎には見えないのをいいことに、ジャックは思いっきりかぶりを振った。これ以上、あの悪夢のような光景を脳内再生する必要はない。

 ただ、守りたいだけなのだ。この島国にいるであろう自分の末裔を。


 だからこそ、ジャックには日本で活動する上での案内役が必要だったし、麻琴はこれ以上ない適任者だったのだ。自分の言葉を聞くことができ、ましてや姿を霊視することさえ可能なのだから。


「おい、麻琴」

「はい?」


 ゆっくりと振り返る麻琴に向かい、ジャックはっとした。引き留めずに休ませるつもりだったのに。


「何です、ジャック?」

「ん……。一つだけ教えてくれ。麻琴、お前はどうして俺の提案に乗ったんだ? 俺は生身の人間じゃない、幽霊だぞ? おまけに武器を携帯していて、殺そうと思えばお前を殺すことができる。その逆は困難だがな。そんな条件下で、どうして俺のバディになった?」


 しばしの沈黙が訪れた。

 神﨑もエンジェも、緊張感をもって事の成り行きを見守っている。

 すると、麻琴は一言。


「私が話したくなったら話します」


 それから無言で麻琴は廊下へと出ていった。


 ジャックは神﨑に視線を遣ったが、彼もまた肩を竦めるばかり。

 神﨑にも知らされていない事実を、麻琴は胸に秘めているのだろう。


「苦労人の多い国だな、日本というのは」

「否定はしませんよ、ジャックさん」


         ※


 研究室を出てしばらく歩き、麻琴は自室へのスライドドアを開けた。

 前回、一ヶ月ほど前に来た時と何も変わっていない。狭い地下空間であるにもかかわらず、神﨑は麻琴の部屋を設けてくれているのだ。


 何故か警視庁の宿舎よりも居心地のいい六畳間を見渡しながら、麻琴は神﨑に感謝した。

 父親代わりにしては若すぎる。が、兄代わりという言い方はできると思う。

 ゴムボートで移動中に緊急連絡を発して、駆けつけてくれたのも彼だ。


「ちゃんと感謝しなくちゃな……」

 

 ジャックは休むようにと言ってくれたが、あんな戦闘の後で休めるはずがなかった。

 

 まさか今夜はこれ以上攻めてこないだろう。

 そう呟きつつ、ベッドに腰かけ拳銃の分解掃除を始めた。


 銃器の整備をしている間というのは、意外なほど心が落ち着くものだ。だから、普段なんとも思わないようなことを考えたり、感慨に耽ったりする。


 今日、というより今思うのは、つい先ほどの会話のこと。

 自分はジャックに、何故バディになったのかと尋ねられた。思えば、ジャックの目的も生前の素性も、何一つ知らないままに。


「私、どうかしちゃったのかな……」


 色恋沙汰? まさか、それはあるまい。

 だが、ジャックの立ち振る舞いや言葉運びが、なんとなく気にかかる。自分の過去と、強い関わりがあるような気がするのだ。


 しかし、思い出そうとすればするほど、その記憶は両手で掬った砂のように、僅かな隙間から零れ落ちていく。


 やっぱり疲れてるんだ。

 そう自分に言い聞かせ、麻琴はようやく眠気が湧いてくるのを感じた。

 ベッドにうつ伏せに横たわる。右手に拳銃を握らせ、枕の下に忍ばせたままで。


         ※


 東京都内某所に、神﨑の研究施設と似たような構造物がある。

 ただし、神﨑のそれに比べて格段に広い。


 半球状のその形状から、この構造物に立ち入った者は必ずこう口にする。『ドーム』と。淡い青色で着色された、明るい空間だ。

 そのドームの奥には、大理石でできた玉座のような、あたりを高みから見下ろせる椅子がある。その主は、トントンと指先で膝掛けの端を叩きながら、ある霊体の言葉に耳を傾けていた。


「だから、僕が思っていたよりずっと強力だったんだよ、あの天使は! 僕の消耗具合を見れば分かるだろう、悠馬!」

「ああ、それは分かるよルシス。しかし、飛んで火にいる夏の虫とは、まさにこのことだね」


 玉座の人物は、冷たい声音で応じる。だがその声に、興奮の色が混じっているのは感じられた。


「今度はボクも挨拶に出向くよ。ルシス、案内を頼めるかい?」

「もちろん!」

「不測の事態に備えて、君にも一緒に来てほしい。どうだい、ロイ?」

「かしこまりました、我が主」


 二メートルを超える体躯の幽霊が、悠馬と呼ばれた少年に向かって腰を折る。


「では、今日は解散。ゆっくり休んでね、皆。ルシスは特に」

「はいはーい」


 その返答を聞きながら、玉座の主――天海悠馬は腰を上げた。

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