第6話【第二章】

【第二章】


「着いたぞ、ここだ」


 がたん、と一度大きく揺れて、神﨑の車は停車した。沿岸地帯からだいぶ遠ざかった、開けた未舗装の道路だ。

 田畑だけが延々と続き、夜闇の中でも月明りで遠くの山並みが見える。


 ジャックは周囲を見回して、顔を顰めた。


「おい、ここがお前の住居なのか、神﨑?」

「住居? いやいや! ここは僕の立派な研究施設で――」

「隠れ家! それ以上でもそれ以下でもないでしょ、神﨑さん」


 麻琴に肘打ちを喰らわされ、神﨑は軽く呻き声を上げた。


「なるほど、ここなら確かに目立たんな」

「ジャックも納得しないで!」


 ジャックもまた肘打ちを喰らいかけたが、霊体化しているので痛くも痒くもない。

 麻琴は小さく舌打ちをした。


「麻琴ちゃん、君が舌打ちなんて珍しいじゃないか」

「放っておいて、神﨑さん。早く隠れ家に入りましょう」

「へいへい」


 すると神﨑は、ベルトに挟んでいた金属製の筒を取り出した。


「へーんしん!」


 足を開き、腕をぐるぐると振り回す神﨑。それに対して、ジャックは何事かと警戒したが、麻琴は呆れ果てた様子でかぶりを振るだけ。エンジェはなにやらワクワクしている様子だが、何が起こっているかはどうでもいいらしい。

 やがて軽い振動を伴い、そばの田圃の土面が割れて、金属製のダクトが姿を現した。


「さ、皆早く入ってくれ! ここは俺が引き受ける!」

「ああ、ジャック。これは神﨑さんのルーティンなんです。あんまり真に受けないでください」

「なるほど、これが日本人の言う中二病、というものだな。分かった。行くぞ、エンジェ」

「はーい」


 二人に続いて麻琴もダクトの梯子を下りていき、結局神﨑だけが地上に残された。

 普通の人間が見れば、神﨑を道化とでも思うかもしれない。しかし、ジャックは彼に対して不思議な感覚を得ていた。


「どうして俺の過去を訊こうとしなかったんだ……?」

「ん、何か言いましたか、ジャック?」

「いや、何でもない」


 そうですか、と一言残して、麻琴は慣れた足取りで横堀りされた金属製の狭い廊下を進んでいった。


「ちょ、皆少しは僕の雄姿を……!」


 と喚きながら神﨑が下りてきたのは、五分ほどが経過してからのことだ。


         ※


 狭い廊下を進んでいくと、確かに研究室らしい雰囲気の部屋が見えてきた。

 やや暗めの照明の下、複数台のパソコンとデスク、それに書き損じたらしいお札がぐしゃぐしゃに丸められてあたりに転がっている。


 これは麻琴には見慣れた光景だ。一方、ジャックとエンジェはそこら中に貼られたお札が自分たちにとって無害かどうか、確認するのに手一杯の様子。


「たまには掃除くらいしなさいよね……」


 そう言って、箒に塵取りで掃除を始める麻琴。一通りこの部屋のお札や結界の様子を確かめたジャックは、麻琴の背中を見つめながら逡巡した。


「麻琴、少しいいか?」

「えっ? 何なの、ジャック?」


 細くて射貫くような鋭さを帯びていた麻琴の瞳は、今はやや角が取れて穏やかに見える。

 だが、ジャックは続く言葉を失ってしまった。自分はまだ、麻琴の過去を訊き出すほどの信頼を得られてはいない。

 しかし、今手をこまねいていては、ずっと麻琴の協力は限定的なものになってしまう。


 再び何でもない、と言って顔を背けたところで、ようやく研究室のドアが開いて神﨑が入ってきた。


「皆、酷いじゃないか! 僕を置き去りにして!」

「神﨑、一ついいか?」

「ここは神聖なる僕の居城で――って、何だい、ジャックさん?」


 腕をバタバタさせながら振り向いた神﨑に、ジャックは意味深な目を向ける。そして幽霊と人間の間で、初めてとは思えないアイコンタクトが決まった。


「ああ、麻琴ちゃん。シャワーでも浴びてきたらどうだい? びしょ濡れだ」

「このくらいどうってことない――はくしゅっ!」


 意外なほどかわいらしいくしゃみをする麻琴に向かい、神﨑はバスタオルを放り投げた。


「うきゃっ!」

「変な声を上げてる暇があったら、バスルームに行ってきな」

「む、むう……」


 ジャックは、麻琴が赤面するのを初めて見た。

 なんだ、可愛いところもあるじゃないか。


「あっ、ジャック! もし壁をすり抜けて覗こうとしたら――」

「するわけがねえだろう、そんなこと。俺は既婚者だ」


 すっと左手を掲げて見せるジャック。その薬指には、確かに指輪が嵌っている。

 それで納得したのかどうかは定かでない。だが、麻琴は頬を膨らませながら研究室の奥、別な廊下に繋がる扉から退室していった。


         ※


「それで、ご用件は何ですか、ジャックさん?」

「ここは引き留めて悪かった、というべきか?」

「いえいえ、僕は気にしませんよ。さ、腰を下ろしてください」


 霊体でいる間は、重力の影響で疲れることはないのだが。そう思ったが、神﨑の厚意を無下にする気にもなれない。


「お言葉に甘えよう」

「飲み物は何がいいですか? イギリス出身だと仰ってましたが」

「いや、何でも構わない」


 すると神﨑はこちらに背を向け、戸棚をがさごそやり始めた。


「ああ、助かります。紅茶は切らしてますんで……ではコーヒーを。エンジェちゃん、チョコレートでよければまだあるけど?」

「本当に? わーい! いただきまーす!」


 コーヒーを淹れている神﨑の背中に、ジャックは問いを投げた。


「で、さっきの用件だ。聞きたいことがある。神﨑、あんたはいつ頃――」

「麻琴ちゃんに出会ったか、でしょう? そしてそれからどんな関係性を築いてきたか」

「お、お前、幽霊の心が見えるのか?」

「見える、っていう言い方が正しいかは微妙なところですがね」


 そう言って、ジャックの前にコーヒーカップを差し出す神﨑。

 驚きを隠しそびれたジャックに向かい、霊視ゴーグルを外しながら神﨑も腰かけた。

 ゆったりと背もたれによりかかり、無音で一口。


「インスタントで申し訳ないんですがね、よかったら。あなたの姿はコーヒーカップの動きで分かりますから」

「分かった」

「では、お話しましょうか。本当なら、麻琴ちゃんの許可も欲しいところだったんですがね」


         ※


 十二年前、十一月下旬。

 神﨑は都内の配給センターで、生活困窮者のためのボランティアに従事していた。

 おにぎりや味噌汁を配布する係だ。


「ふう! 礼ちゃん、交代の時間だよ。休憩取ってね」

「あっ、ありがとうございます」


 味噌汁のお玉を置いて、次の係のおばさんに交代する。

 そうか、もう昼食の時間か。自分も食べておかなければ。


 ラップに包まれたおにぎりの封を解き、大口を開けて噛みつく。と、その直前のことだった。

 こちらを眺めている少女の姿が目に入った。

 

 ボロボロのジャンパーを羽織り、自分で自分の肩を抱いている。

 全身を震わせていて、炊き出し場のテントから目を離そうとしない。

 よく見れば、ジャンパーの下のトレーナーも、簡素な作りのズボンも傷だらけだ。


 おにぎりを手元に下ろし、そちらを眺めていると、ふと少女と目が合った。

 まさにその瞬間だった。


「うっ!」


 神﨑の目に、何かが飛び込んできた。

 それは一瞬のことだった。しかし、神﨑には感覚で分かった。

 今、あの少女は自分の目に映った光景を僕に見せつけたのか?

 じゃあ、僕が見たのは……。


「幽霊? き、君には幽霊が見えるのか?」


 そう言いながら、神﨑は席を立って少女の下へ駆け寄っていた。


「な、なあ、ああいや、驚かせてごめん、君は霊能力者か何かなのか?」


 すると少女は眉根に皺を寄せた。だが、その原因は空腹や寒さからではない。

 霊能力者と指摘された、そのことからのようだ。


「取り敢えず暖かい格好をして、ご飯を食べるんだ」


 彼女の名前や出生を尋ねるのは後回し。そう決めて、神﨑はその少女――矢野麻琴をテントへいざなった。


         ※


「それで、結局麻琴は君に話したのか? 自分の過去を?」

「いえ、あまり。僕も彼女の過去を掘り返すようなことはご免被りたいですからね」

「ふむ……」


 ジャックはいつの間にか、自分がテーブルに身を乗り出していることに気づいた。

 すとん、と実体化させた臀部を椅子に戻す。


「それで麻琴は、お前が育てたのか?」

「いや、母の知人で、身分不詳な子供たちを預かってくれる施設の方がおりましてね。その施設で預かってもらいました。僕も時々、家庭訪問がてらに訪れてはいましたが、ここまで戦いというものに彼女がのめり込むことになろうとは……」


 やれやれと掌を上に向ける神﨑。

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