第4話

「ゴムボート二つ目、仕留めたぞ!」


 巧みな体術で、麻琴とエンジェの間に着地するジャック。


「あなた、どういう神経してるんですか? いくら不殺がモットーだからって!」

「まあいいじゃないか、相手の武器は実弾だ。俺には効かない」

「ああそうですか!」


 すると麻琴は再度拳銃を構え、ダンダンダン、と三連射。弾丸は全てジャックを透過し、その先で撤退しようとしていた小型船の電動機を破砕した。

 そこから火が出て、乗員たちは慌てて海に飛び込んだ。


「お前の射撃術も大概だぞ、麻琴」

「それはどうも」


 これで接近していた小型船は全て戦闘不能にしてやった。残るは中型船が一隻。

 攻撃用の小型船が全滅したのだから、素直に撤退するだろう。


 それが、ジャックと麻琴の共通見解だった。しかし。


「ッ! 二人共、伏せて!」


 悲鳴に近いエンジェの言葉。慌てて頭部を下げると、辺りが日中のように明るくなった。

 中型船から照明弾が上がったのだ。これでは、こちらの位置は丸見えである。


 エンジェの結界にひび割れが生じる。


「くっ……」


 これがいかに大変な事態なのか。それは、出会って数分の麻琴にも感じられた。

 奇妙な悪寒が背筋を這い上がってくる。単に、冷たい海水を浴びているから、という理由からではあるまい。


「ジャック、エンジェの結界は実弾で傷つくのですか?」

「そんなはずはない! こいつの結界は、霊的なエネルギーがなければ発生も損傷もしないはずだ!」

「ということは……」


 やはりこの状況は、礼装を施された弾丸で撃たれている、とみるべきか。

 麻琴は僅かに頭を上げ、敵の機関砲を見つめた。弾丸そのものが見えるわけではない。だが確かに、薄ぼんやりと射線上の空気が歪んで見える。

 ジャックとエンジェを捕捉するのに霊力を使いすぎたようだ。


「おい、これからどうするんだ、麻琴!」

「味方の援護を待つしかありません! もうじき到着すると連絡が――きゃあっ!」


 乱暴な操船と高波で、ゴムボートが大きく揺れた。麻琴は海中に投げ出される。

 かと思いきや、その身体は宙で留まった。

 ジャックだ。彼が立ち上がり、麻琴の腕を引っ掴んでいた。


「ジャック!」

「無事か、麻琴!」

「このままではあなたが撃たれます!」

「お前がいなけりゃ、この時代の日本を出歩けないだろうが!」


 お前がいないと困るんだよ。

 その一言に、麻琴ははっと目を見開いた。さっきまで殺し合いをしていた相手だというのに、そんな言葉を持ち出すとは。


 とにかく、今は自分たちが生き残るのが先決だ。麻琴は素直に、ジャックに引き上げられることにした。


「はあっ!」

「麻琴、水を飲んでは……いないようだな」

「ええ、助かりました」

「まだ助かったとは言えないぞ!」


 再びぐいっと麻琴の頭を押し下げるジャック。対人・対霊両用の弾丸が浴びせられる中、エンジェの結界には、どんどん穴が空いている。このままでは、遅かれ早かれやられてしまう。


 ここまでか。そう覚悟して、麻琴はぎゅっと口を噤んだ。――その時だった。


 真っ赤な爆光と轟音が、同時に耳目を圧迫した。光は網膜を一時的に麻痺させ、音は鼓膜を大きく震わせる。

 奇妙なのは、爆光は前方から、轟音は後方から聞こえたという点だ。


「やっと来てくれた……」

「何がだ?」

「私の味方です。今のは、きっと彼の銃撃です」


 今のが銃撃だと聞かされて、ジャックは一瞬目を見開いた。こんな威力のある銃器があっていいのか。だが、それを扱っているのが麻琴の味方だというなら心強い。

 二発、三発と弾丸が撃ち込まれ、敵船の乗員たちは慌てて海に飛び降りた。爆風に乗ってきた破片は、エンジェの結界が易々と防いでみせた。


「やった、のか?」

「ええ、もう敵性勢力はないようですね。少なくとも射程範囲内には」


 淡々とした態度に戻り、麻琴が告げる。ジャックも彼女の肩越しに携帯端末を覗き込む。そこには既に、赤い点は一つも見えなくなっていた。


 ほっと胸を撫で下ろした三人。その中で、新たな危険を察知したのはエンジェだった。


「うぐっ!」

「どうした、エンジェ!」


 ジャックと麻琴が振り返ると――。


「おおっとぉ、気づかれたか。せっかくエンジェの死角を取ったと思ったんだけどなあ」


 反射的に、ジャックはナイフを、麻琴は拳銃を声の方に向ける。

 するとそこには、エンジェそっくりの何者かが浮遊していた。


「何者だ、貴様?」

「僕? ああ、そうか。ジャックさんの前に姿を晒したのは初めてだったね。僕の名前はルシス。エンジェ同様、神様から遣わされた地獄の使者さ」

「神様が地獄から使者を? 馬鹿言ってんじゃないわよ!」


 エンジェは速やかに結界を収束させた。同時に、右腕に長い槍状の武器が生成される。

 それを悠々と眺めながら、ルシスと名乗った天使は両手に短刀を顕現させた。


 エメラルド色の槍と、アメジスト色の短剣。


「エンジェ、君たちの仲間はなかなか有力なようだ。さっさとケリをつけよう」

「それはこっちの台詞よッ!」


 先に仕掛けたのはエンジェだった。猛スピードで接近し、その勢いのまま槍を突き出す。

 上半身を捻って回避するルシス。今度は自分が、と言わんばかりにエンジェに迫る。が、エンジェは次の突き出しのために大きく後退。回避しながら距離を取った。

 

 一定の距離があれば、エンジェの方がずっと有利だ。が、連続で突き出される槍の全てを、ルシスは淡々と回避した。


「ふぅん、天使っていうから余裕で勝てると思ったけど、やるじゃん」

「少なくとも悪魔よりはね!」


 エンジェは翻弄されている。冷静になってくれ。

 麻琴はそう願ったが、声にはならなかった。何せ、相手は天使と悪魔。生身の人間が介在できる余地など、あるはずもなかった。


「んじゃ、こっちも本気出さないと!」


 今度はルシスが接近を仕掛けた。しかし、一直線にではない。

 上下左右、それに前後を加えた六方向に動き回る。自由気ままに、まるでサイコロの目のようだ。

 

 エンジェは歯を食いしばり、連続突きを敢行する。そのことごとくが躱され、いなされ、回避された。

 ルシスの黒い装束を掠めても、本体にダメージは至っていない。


「いい頃合いだね」


 わざとらしくそう言って、ルシスはついにエンジェの上方を取った。彼女の頭上から短刀が迫る。


「チイッ!」


 するとエンジェは、一方向に槍を突き出すのを止めた。手先で柄を巧みに操り、空を斬るように槍を全方向に振り回す。


「おっと!」


 これにはようやく、ルシスも後退した。その腹部めがけて、ずいっと重い一突きが繰り出される。


「がはっ!?」

「やった!」


 思わず快哉を上げる麻琴。だがそんな彼女を、まだだ、ジャックが諫める。

 事実、エンジェの表情も優れない。仕留めきれなかったのか?


 すると、ようやく麻琴の目にも、新たに顕現した気配が映った。ルシスだ。

 そう気づくと同時、エンジェに腹部を貫通されたルシスの姿が、水面に映った光景のようにゆらり、と消えた。


「ざーんねん! それは残像だよ。まあ、僕に残像を使わせるくらいだ。君の腕もなかなかのものだよ、エンジェ」


 エンジェは首を回し、槍を引っ込めながらルシスを見遣った。


「僕らの決着はまた今度にしよう。それまでにいろいろちょっかいを出すことになるかもしれない。その程度でやられないでおくれよ?」

「望むところよ、ルシス」

「んじゃ」


 するとアシスは、完全に気配を消した。麻琴には捕捉できなくなったのだ。

 それでも、視線の先には先ほど被弾した中型船が見えた。

 無益な殺生はしない。そのために、ジャックも麻琴も敵船のことは放っておくことにした。


         ※


 防水の携帯端末に表示されたルートに従い、三人はゴムボートで接岸した。


《こちらからそちらは視認できている。皆、負傷はないか?》

「ええ、無傷です」

《よかった! そんじゃ、ロープを下ろすから、上ってこられるかい?》

「了解です。ありがとう」


 ジャックは、麻琴の口調が柔らかくなったのを感じた。それはきっと自分にとってもいいことなのだろうかと、一抹の疑問が残る。


 それから岸壁沿いを航行すること約三分。ぐるぐると回るライトが見えてきた。


「あれがお前の言っていた味方か、麻琴?」

「そう。会うのは二ヶ月ぶりだけど」

「寝返ってる可能性はないのか? 俺の敵は組織だぞ」

「大丈夫、彼に限ってそんなことはあり得ません」


 生身の人間を信じてください。と麻琴に言いくるめられてしまっては、ジャックといえども反論は難しい。


 麻琴は声を低め、端末に向かって了解、と吹き込んだ。

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