12月17日【小部屋の駅】
もう、ずいぶん長いこと、気動車に揺られているような気がします。けれどもそれは気のせいで、本当はついさっき、気動車に乗ったばかりのような気もします。
いったいどちらの感覚が気のせいなのか、なっちゃんには分かりません。分かるのは、気動車の、鼓動にも似た走行音が、心地いいということばかり。ととん、ととん、と規則的に揺られながら、なっちゃんたちは、どこかへと運ばれていきます。
窓の外は真っ暗で、ほとんど何も見えませんでした。時おり、さっきの駅と同じ、黒曜石で造られたように真っ黒の街が、わずかな明かりに照らされて、暗闇の中に浮かび上がります。しかし、それは一瞬のうちに後方へと流れていきますので、よく見ることは出来ないのでした。
気動車に揺られている間、なっちゃんたちは、誰ひとり喋りませんでした。無言で、窓の外を見たり、車内を見回したり、目をつぶって深呼吸をしたりしています。
なっちゃんも、何も言わずに、ずっと窓ガラスに頬を寄せたままでいました。暗い窓は、車内の明かりを反射して、鏡のようになっていますから、こうして窓に近づいていないと、窓の外を見ることが出来ないのです。
冷たいガラスに、なっちゃんの吐息がかかって、白くくもります。なっちゃんは、指先でそれをぬぐって、また窓の外を見ます。
それを何度か繰り返したころ、なっちゃんは、気動車が速度をゆるめていることに気が付きました。
「まもなく、駅に到着します。お出口は、左側です」
車内放送も、ありました。駅に着くようです。ただ、何という駅に着くのかは、放送がありませんでした。
「降りよう」
なっちゃんが立ち上がりますと、灰色の侍女も、コマドリも、ミトラたちも、降りる準備を始めました。
「ドアが開きます。ご注意ください」
車内放送と共に、左側のドアが開きます。なっちゃんたちは、足元に気をつけながら、駅のホームに降りました。背後で、「閉まるドアにご注意ください」という音声と、ドアが閉まる音がします。なっちゃんは、去っていく気動車を見送ったあとで、ようやくホームを見渡しました。
駅名を示す看板は、どこにもありません。ホームから改札へ繋がる、通路や階段といったものも、どこにも見当たりません。その代わりに、ホームの真ん中に、ドアがありました。
木製のドアは、不思議なことに、空間の真ん中に立っているのでした。壁もなにもないところに、ただドアだけが、あるのです。
なんだか、どこかで見たことがあるようなドアです。けれど、どこで見たのだったかは、思い出せません。
「入ってみるね」
そう宣言してから、なっちゃんは、真鍮のドアノブに手をかけました。そして、ノブをひねってみますが……鍵がかかっています。
なっちゃんは迷わずに、金の鍵を手に取りました。そして、ドアについている鍵穴に、挿し込みます。カチリ、と音がして、ノブが回りました。
開かれたドアの先は、小さな部屋でした。部屋はなにもかもが、黒曜石のように真っ黒です。そしてやっぱり、真っ黒なのにどこまでも透き通っていて、どこまでも見通すことが出来るのです。
その小部屋も、どこかで見たことがあるような小部屋でした。ドアの向かいに窓があって、厚手の遮光カーテンがかけられています。ドアから向かって右手には本棚、左手にはスツールがあり、部屋の真ん中には……おや? 見覚えのあるオイルヒーターが、置いてあります。
「あれ? ここって、暖房部屋じゃない?」
なっちゃんが、すっとんきょうな声で言いました。そうです、フキコさんのおうちの、リビングの向かいにある小部屋。寒がりのミトラたちのために、オイルヒーターを置いて温めてやった暖房部屋と、全く同じです。
さっきのドアが、どこかで見たことがあるような気がしたのは、あれが、暖房部屋のドアだったからなのです。
「暖房部屋だけど……少し、違うみたい」
なっちゃんはそう行って、オイルヒーターからニョキッと伸びている、植物のようなものに手を触れました。ほのかに温かいそれは、橙色に光りながら、元気よく枝葉を伸ばしています。こんなものは、もちろん、なっちゃんの知っている暖房部屋にはありません。
よく観察してみましたが、いったい何の木なのか、なっちゃんには分かりませんでした。平べったい葉は、ふちのあたりがぎざぎざしています。幹は凹凸が多く、ごつごつしています。花や木の実のたぐいは、どこにもありません。
もうひとつ、暖房部屋とは違うところがあります。本棚です。暖房部屋の本棚は空っぽでしたが、この部屋の本棚には、分厚い本が詰まっています。
灰色の侍女は、さっそく本棚の本に手を伸ばして、魔法のそりについての記述がないかどうか、調べています。本も、もちろん黒曜石のように真っ黒で、おまけに透き通っていますので、ページの裏側の文字も透けて見えてしまい、とても読みにくそうです。
なっちゃんたちが、真っ黒な暖房部屋を探索していますと、やがて、入ってきたドアの向こうから、ベルが聞こえました。けたたましい音は、気動車の到着を告げるベルです。
『あっ、でんしゃが来ちゃったよ!』
芋虫のミトラが、慌ててなっちゃんの肩に飛び乗りました。なっちゃんは少しだけ迷って、本棚の本を何冊かと、橙色の木の枝をひと折り、手に取りました。
ここは、どうやらフキコさんのおうちのようですから、ここにあるものを持っていっても、問題はないでしょう。もし問題があれば、またあのホームから気動車に乗って、返しに来れば良いのです。
気動車がホームに入ってきた音がしました。なっちゃんが、急いで部屋のドアを開けますと、その先には、見慣れた廊下がありました。フキコさんのおうちの、ただの廊下です。お向かいに、リビングが見えます。
あれっ。と、目を白黒させるなっちゃんに、灰色の侍女が「鍵を使わなければ、駄目なのだ!」と、怒鳴るように言いました。
そうです。金の鍵を使って開けなければ、ドアはただのドアなのです。
なっちゃんはもう一度、部屋の中に戻って、改めて金の鍵を使い、ドアを開けました。するとドアの先には、黒曜石の駅が広がっているのでした。
「まもなく、発車いたします」
マイクでアナウンスをする駅員に、なっちゃんたちは「乗ります、乗りまあす」と手を振りました。そして、全員無事に、気動車に乗り込むことが出来ました。
「危なかったわね。乗り遅れるところだった」
コマドリが、慌てたせいか少し乱れた尾羽根を、くちばしで整えながら、言いました。なっちゃんはうなずいて、座席に座って、ふうと一息つきました。
紅茶でも飲みたかったのですが、あいにく、身軽な格好で来ましたので、紅茶は持っていません。
次に停まる駅は、キッチン駅だと良いな。と思いながら、なっちゃんは、本棚から持ってきた本を開きました。それは、あらゆる「かけら」についての図鑑のようなもので、そして、とても読みにくい本でした。
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