12月16日【最初の門】


 配送センターの大広間は、数日前と比べると、みちがえるほどすっきりと片付いています。ミトラたちの助けもあって、クリスマスカードやプレゼントは、もうほとんど仕分けが終わって、あとは配送するだけなのです。

 ただ、その「配送するだけ」が、難関です。


 なっちゃんは、仕分け部屋の窓際に椅子を置いて、ぼうっと外を眺めています。ミトラたちは、なっちゃんが留守にしている間、お仕事で忙しくしてはいたものの、やっぱり寂しかったようです。なっちゃんの膝の上に寝転んだり、足元に丸くなったり、おのおのなっちゃんのそばに寄って、なっちゃんを温めています。

 灰色の女王、いいえ、今は灰色の侍女ですが、彼女は猫のミトラをたいへん気に入った様子で、背中をなでたり、耳を触ったりしています。猫のミトラは、それがあまり気に入らないようですが。


『じんぐるべ、じんぐるべ、すずがなるう』

 芋虫のミトラが、床を這いながら、歌っています。なっちゃんが帰ってきましたので、上機嫌なのです。芋虫のミトラは、歌いながらのそのそ這い回り、やがて灰色の靴にぶつかりました。

「そのようなところにおっては、踏まれてしまうぞ」

 灰色の侍女が、芋虫のミトラを拾い上げますと、芋虫のミトラは目を白黒させて『わあ、しらないひと』と言いました。

「知らない人ではない。私こそは、偉大なる灰色の……いや、うむ、ごほん」

『灰色のひと?』

「うむ。灰色の人である」

『はいいろさん!』


 芋虫のミトラは、灰色の侍女の手のひらの中で、くるりと丸くなりました。そしてころころ転がって、再び床に落ちました。『あらー』と言いながらそのまま転がっていくミトラを見て、灰色の侍女は、不安そうに顔をしかめます。

「本当にこのものたちが、頼りになるのか?」

「ううん、まあ、ちょっと頼りなく見えますけど、でも、気の良い子たちですから。たくさんいるし……」

 苦笑いをして、なっちゃんは、膝の上の毛玉のミトラをなでました。なでながら、さてどうしましょうと考えます。


 ミトラたちは、確かにとっても気が良くて、なっちゃんが言えば、快く手を貸してくれるでしょう。しかしそのためには、まずなっちゃんが、やるべきことを見つけなければなりません。

 しかし、時も空間も超えていくそりを準備するのに、いったいどのような「やるべきこと」が必要なのか、なっちゃんにはさっぱり分からないのです。


「やはり、難しいだろうか」

「難しくはありますが、やってみるしかありませんよ。たとえば……図書館に行って、魔法のそりについての本を探すとか」

 なっちゃんが提案しますと、灰色の侍女は「それはもうやった」と言い捨てます。

「灰色の城には、それはそれは立派な蔵書室があるのだ。部屋というよりも、ひとつの建物のようで、あらゆる魔法についての本が収められている」

 なっちゃんは、お城の蔵書室というものを、これまで一度も見たことがありません。ですから、想像するしかないのですが、少なくともなっちゃんが知っている、小さな市営の図書館よりはずっと広く、蔵書数も多いのでしょう。

「私は、魔法のそりを作り出すための方法を、何年もかけて探したのだ。しかし結局、魔法が使えなければ魔法のそりは作り出せないという、当たり前のことが分かっただけだった」

「そうですか……」


 結局のところ、クリスマスの直前になって急に中止を命令したのは、なにも意地悪をするためなどではなく、直前の直前まで、なんとか魔法のそりを作り出す方法を、探していたからなのです。

 灰色の侍女の、その努力をいじらしく思うと同時に、それだけしても駄目だったのだという事実が、なっちゃんに重くのしかかります。



 あれこれ話し合っていますと、仕分け部屋に小さなノックの音が響きました。ドアをノックしたにしては、やけに硬いような音でした。コンコン、というよりも、カチカチ、といった音でした。

 なんだろう、とあたりを見回しますと、音の正体はすぐに分かりました。窓の外に、よく見知った小鳥の姿があったので、なっちゃんは驚いて、思わず立ち上がってしまいます。毛玉のミトラが、ころころ床を転げます。

「コマドリさん!」

 なっちゃんが窓を開けますと、コマドリはすいっと部屋に飛んで入って、テーブルの上に封筒を落としました。そして「ああ寒い寒い」と言いながら、暖炉の前を陣取ります。

「寒くって、かなわないわね。ねえあなた、おうちの方に、お手紙が届いていたから、ここまで持ってきてあげたのよ」

「わざわざ、ありがとうございます。それにしても、私がここにいるって、よく分かりましたね」

「配送員のスズメに聞いたのよ。あの子たち、おしゃべりなんだから」


 コマドリにお礼のナッツを振る舞って、なっちゃんは、テーブルの上に落とされた封筒を、ようやく手に取りました。もちろん、オリーブ色の封筒です。「なっちゃんへ」と書かれた文字の書き終わりは、よく泡立てたホイップクリームのように、ツンと立っています。

 いつもの封筒に、いつもの一筆箋。ホイップクリームのような文字で、そこには、こう書かれてありました。


『迷路があんまり複雑だったら、最初の場所に、戻ってみること』


 最初の場所とは、どこのことでしょう。そもそも、いったい何の「最初」でしょう。この広大な裏庭の最初? それとも、クリスマスの最初? それとも……。

「……もしかしたら」

 そう呟いて、なっちゃんは、ベルトに吊るしたキーリングを、指先で触りました。キーリングは体温よりも冷たくて、しっかりとした重さを持って、そこにあります。みっつの鍵は、初めはふたつしかありませんでした。


 最初の場所に、戻ってみること。

 フキコさんのおうちに着いて、最初に開けた鍵は、いったいどこの鍵だったでしょう。



「私、一度おうちに帰ってみる」

 なっちゃんが言いますと、ミトラたちは声を揃えて『えーっ』と抗議しました。

『どうして? クリスマスの準備は、どうするの?』『のんびりしてたら、クリスマス、終わっちゃうよ』『おうちにかえって、なにすんの?』

 わあわあ騒ぐミトラたちを落ち着かせて、なっちゃんは説明します。フキコさんからの手紙に、書かれていたことの意味が、一度おうちに帰ったら、分かるかもしれないのです。


 ミトラたちは、まだよく納得はしていないようでしたが、『そんなら、しかたない』と、すねながらも了承しました。

『でもぼくたち、ここに残って、クリスマスのじゅんび、するからね』

 イヌのミトラが、言いました。てっきり、ミトラたちもついて来たがるものだと思っていたなっちゃんは、たいへん驚きました。

 イヌのミトラに同調して、ほかのミトラたちも『そうだよ』と口々に言います。

『ぼくたち、ここで、だいかつやくだったんだからね』『そうそう。まだ、おしごとあるもんね』『でも、なっちゃんは、おうちにかえってもいいよ。ミトラがいなくて、さびしいかもしれないけど、がんばってね』


 さっきまで、なっちゃんに引っついて甘えていたくせに、よく言うものです。

 なっちゃんはおかしくなって、肩をふるわせて笑いました。なっちゃんが楽しそうにしていると、ミトラたちも楽しくなってきますので、ミトラたちもクックックッと笑いました。


「私は、なっちゃんについていって良いだろうか」

 笑い声の中、灰色の侍女が恐る恐る、手を挙げます。

「魔法のそりは、本来ならば女王の責任のもと、準備しなければならないものだ。だからその、私は侍女であるが、つまり、そりの情報は私が主体となって探すべきであり……」

 しどろもどろになったところに、にゃあん。と間延びした鳴き声が、侍女の言葉を遮ります。

『むずかしいことばをつかうんだねえ。なっちゃん、灰色さん、つれてってあげたら』

 猫のミトラが、あくびをしながら言いました。もちろん、なっちゃんは初めから、そのつもりでいるのです。


 今度の旅は、身軽な格好で行っても構わないでしょう。裏庭から、おうちに帰るだけなのですから。

 なっちゃんは、大きなリュックサックの中から、コートのポケットに入るだけのものを持って、準備完了としました。一緒におうちに帰るのは、灰色の侍女と、親切なコマドリ。そして、ふくろうのミトラと、芋虫のミトラです。

 ふくろうのミトラは、『なっちゃんが心配だから、ついていくよ』と言い、芋虫のミトラは、『なっちゃんがいないと寂しいから、ついていくよ』と言いました。



「魔法のそりを準備する方法を、きっと探してくるからね。みんなは、プレゼントや、飾り付けの準備を進めていてね」

 街のはずれまで来て、レンガの橋の前で、なっちゃんは見送りのミトラたちに手を振りました。ミトラたちも手や尻尾を振って、なっちゃんたちを見送りました。


 レンガの橋の向こうには、勝手口のドアが見えています。それはそう。だってここは、フキコさんのおうちの、裏庭なのです。

 なっちゃんの頭の上には、コマドリがとまっています。なっちゃんの肩の上には、芋虫のミトラが乗っています。なっちゃんの右の手は、灰色の侍女としっかり繋いであり、灰色の侍女の肩には、ふくろうのミトラがとまっています。

「さあ、じゃあ、おうちに帰ろう」

 灰色の侍女の手を引いて、なっちゃんは歩き出しました。レンガの橋を渡り、飛び石の道を数歩も歩いたら、すぐに裏庭の門です。

 そして、門をくぐると、そこはもう、見慣れた勝手口の目の前なのです。だけれども、なっちゃんは勝手口からは入らずに、そのままおうちの外壁をぐるっと回って、正面玄関の方へ行きました。


 最初の場所に、戻ってみること。

 なっちゃんが、フキコさんのおうちで、最初に開けた鍵は、玄関ではありません。なっちゃんはお庭を横切って、真っ黒な金属の柵に近づきます。

『おうちに帰るって言ったのに、なっちゃん、おそとに出ちゃうの?』

 肩の上で、芋虫のミトラが、不安そうに呟きました。お城からこんなに離れたのは初めてなのでしょう。灰色の侍女も、体を固く強張らせています。

 なっちゃんは、ずんずんと歩いて行って、鉄の門をくぐり、おうちの外へ出ました。そして、きしむ金属音を立てながら、門の扉を閉めました。


 なっちゃんが初めて開けたのは、この門の鍵でした。鉄の門に、鉄の鍵。理にかなった選択です。あのときは、なっちゃんが持っている鍵は、ふたつだけでした。ですが今は、みっつめの鍵を持っています。

 みっつめの鍵は、裏庭の門を、冬の国へと繋げてくれました。この鉄の門は、いったいどこに繋がるでしょう。

 大きく深呼吸をして、なっちゃんは、金の鍵を手に取りました。そして、鉄の門の鍵穴に、金の鍵を挿し込みます。


 かちり、と手応えがありました。そしてその小さな音と共に、真っ黒な鉄の門に、金色の唐草模様が浮き出し、輝き始めたのです。

「わあ、あ」

 なっちゃんも、灰色の侍女も、みんなみんな圧倒されて、口をぽかんと開けたまま、その場に立ち尽くしました。唐草模様は、渦を巻き、絡み合い、踊るようにうねりながら、みるみるうちに広がっていきます。


 そして、金色の唐草模様が門の全体を覆い尽くしますと、それを合図としたかのように、どこからか、ベルの音が聞こえてきました。

 朝の目覚まし時計の音のように、けたたましい、誰かのことを急かすためのベルです。ベルの音の向こうに、かすかに、低く唸るような音も聞こえてきます。

 どきどきしながら、なっちゃんは、唐草模様の門を押し開きました。



 かくしてみっつめの鍵は、なっちゃんの思った通り、フキコさんのおうちの門を、おうちではない場所へと繋げてくれたのです。


 門の先にあったのは、真冬の真夜中のように静かな、とても静かな、駅のホームでした。

 壁も足元も天井も、どこもかしこも、黒曜石のように真っ黒です。真っ黒なのですが透き通っていて、どこまでも見通すことが出来ます。

 ホームには、ふたつの車両が停まっていました。なっちゃんたちのいる側のホームには、白い車体に青いラインの入っている車両が。反対側のホームには、赤い車体にドアだけが銀色の車両があります。

 ホームも無人ですが、車両の中にも、人影は見えません。どこにも、誰もいないのです。



「もし。そろそろ発車の時刻です。乗りますか」

 ホームをうろうろしていますと、急に声をかけられて、なっちゃんたちはみんなして、飛び上がって驚きました。

 さっきまで、まったくの無人でしたのに、いったいどこから現れたのでしょう。その人は、見るからに駅長らしい格好をしていました。

「この電車は、どこに行くのですか」

 なっちゃんが尋ねます。本当は、電車ではなく気動車なのですが、駅長は特に訂正もせずに「各駅停車です」とだけ言いました。

 答えになっているようでなっていないような気がしますが、駅長が「乗りますか、乗りませんか」と、なっちゃんを急かしますので、なっちゃんはそれ以上、質問が出来ませんでした。

 けれど、ここまで来たら、乗るに決まっています。

「乗ります」

 言うと同時に、なっちゃんは灰色の侍女の手を引っ張って、気動車に乗り込みました。もちろん、コマドリもミトラたちも、一緒です。


 閉じた扉の向こうで、駅長が、ホームの安全確認をしているのが見えました。「発車、オーライ」と、声がします。気動車はゆっくりと、走り初めます。

「どこに行くのだろうか」

 灰色の侍女が、呟きました。

「どこに行くんでしょう」

 なっちゃんも、同じことを言いました。


 駅のホームは、もうずっと後ろの方へ飛んでいき、今は、窓の外は真っ暗です。車内には案内板のたぐいもなく、案内放送もありません。

 ただ、お腹の底に響くような、ディーゼルエンジンの音が、なっちゃんたちの体を揺するばかりなのでした。


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