第19話 ジョン・タイターの正体

 その帰り道、回り道をして鳩山の家に遊びに行った。

 僕たち二人は実のところかなり仲がいい方でよく彼の家に遊びに行った。

 古びた家屋の玄関から脇に伸びる猫走りのような通路を通って裏手に回ると離れがあり、

鳩山のプライベート空間は十畳ほどもある離れの一棟丸ごとだった。

 

鳩山遥斗はもともと母子家庭で育ち、昨年母親を病気で亡くした。ひとりになった鳩山は母親の両親に引き取られ、この家で祖父母と三人で暮らすようになったのが去年の出来事。

 その時に僕らの中学校へ転校してきたのだ。

 鳩山にこの離れを、一棟まるまるを与えたのは祖父母の厚意からだろう。結果としてそれは学校でも家でも彼が全くもって孤立する原因となった。鳩山は自宅の離れに大量の漫画やアニメDVD、ライトノベルなどを抱え込み、いつもひとりの時間をつぶしていたのだろう。そんな鳩山の家を訪れるようになった僕からすればそこは退屈のない、文句を言ってくる大人もいない楽園のよう場所だった。

 学校内ではいつも賑やかしくしている僕にとってそこは落ち着ける場所でもあった。

 鳩山はいつもあまりしゃべらずに漫画ばかり読んでいる。言ってしまえば申し訳もないがメディアの充実した彼の部屋と性格のおかげで僕も気を遣って喋る必要もなく、すっかり気持ちを和らげながら自分の少ない小遣いでは賄いきれないメディアを堪能することができた。

 学校の授業が終わり、二人でこの場所まで一緒に帰ることはなかった。

 鳩山はいつもひとりでいることを好むように一人でそそくさと帰っていった。

僕としても友達のいない鳩山と仲良くしていることは周知の事実だが、それでも毎日のように彼の家に入り浸っているという事まで知られるのは本意ではなかったので(もし、そんなことが知れてしまうと僕自身が周りからいい印象を受けないとも限らない)むしろ都合がいい。

特に約束するでもなく、別々に帰って、特に用がない時は彼の家に入り浸る。

日によっては鳩山の方がまだ帰っていなくて僕一人で鍵のかかっていない離れに上がりこんで鳩山の帰るのを待っていたという事も少なくはない。


その日も僕はひとり鳩山の離れに上がりこみ、彼の書架から漫画を数冊抜き取って時間をつぶしていた。

一時間ほどして鳩山は帰って来た。

「ああ、ぽっぽ。おかえり」まるで家主のように鳩山を迎え入れた。「遅かったな。どこいってたの?」

「学校の図書室だよ」と言って難しそうな本をカバンから取り出してみせてくれた。

「図書室か……。そういや僕はほとんど行ったことないな」

「え、そうなの、ゆーちゃん。うちの学校の図書室って結構すごいよ。買うとかなり高い奴だってタダで貸してくれるわけだから利用しない手はないよ」

「僕は、活字を読んでると頭痛くなるんだよ」

「なにいってんだよゆーちゃん。今読んでる漫画だって絵がついてるだけで活字だらけじゃないか。漫画一冊分の活字の総数考えたら、ゆーちゃんの頭はもうとっくに痛くなってる筈だよ」

 全くもって正論だが体はそうはいかない。この部屋に並んでいる大量のライトノベルでさえ何度か手の持ったことはあるが途中で眠くなり、一冊読み終えたことはほとんどない。

「それにねえ、ゆーちゃん。うちの学校の図書室にはすごく美人の図書室の主がいるんだよ」

 鳩山の口からそんな言葉が出るのは意外だった。

「ぽっぽがそんなこと言うのは珍しいな。ぽっぽは三次元女には興味なかったんじゃないのか」

「あの子は特別だよ。なんたって色白で黒縁眼鏡の黒髪美少女でいつも無口に本を読みふけってる。ほとんど二次元的存在だよ彼女は」

 と、ほとんどにおいて理解できないことを言っていた。

「そういや、おっさん先生が早く進路希望票を出せって言ってたよ。あと出していないのはぽっぽだけだって」

 鳩山はあからさまにいやそうな顔をして僕の隣にあぐらをかいて座った。

 図書室から借りてきたらしい『超ひも理論とはなにか』という本を開きながら言った。

「そんな未来のことなんて知らないよ」と……。

 どうも僕の周りにはこの種のひねくれものが集まるらしい。類は友を呼ぶのか、同じ穴のムジナか。そのころの鳩山に言わせれば因果律がどうとかこうとか……。たぶん、そういったことを言っただろう。

 それにしても『超ひも理論』とは何て面白そうな本を読んでいるのだろうか。鳩山はその図書館にいるという眼鏡美人のひもになって、将来楽して過ごそうとしているのだろうか? ならばおっさん先生に渡した進路希望には『超ひも』になりたいと書くべきだっただろう。

「ねえ、ゆーちゃんならタイムマシンがあったら未来と過去、どっちに行く?」

鳩山が唐突に言ったその言葉は嫌でも僕にあの日のことを思いださせた。


 過去を変えられないとふさぎ込んでいたあの日……


「そりゃあ、未来に決まってるだろう。過去のことはもう知っているわけだし、知りたいのは未来だ。

 そうだな、僕なら未来に行って将来の自分が何をしているのか見てくるよ。そうして進路希望票を書き直すね。そうすれば後から見ればしっかり夢をかなえたように見えるだろ」

「ゆーちゃん。それはおかしいよ。だって、もし未来に行って自分がどうしようもなくちっぽけな人間だったらどうするのさ。そんなちっぽけな人間になりたいって書いて、そのままちっぽけな人間になったら周りはどう判断するだろう? 夢も希望も抱かない残念な若者がだらだら過ごしてだらだらと、しかも必然的にダメな大人になったとしか見えないよ」

「言ってくれるね、それはもしも僕がちっぽけな大人になっていた場合だけに適用されるよ」

「いや、むしろ自分がちっぽけな大人になるわけがないって思っているゆーちゃんこそ、すごいよ、尊敬に値する」

「ケンカ売ってる?」

「そんなことないよ、本当にすごいと思ってるんだ」

「そう言うぽっぽは過去と未来、どっちに行きたいのさ」

「いうまでもないよ。過去に決まってるだろ」

 ……言うまでも無かったな。そうでなければあの日、あんなにふさぎ込んでなんかいなかっただろう。

「あのね、ゆーちゃん、未来なんていこうと思えば行けなくもないんだよ」

「どういうこと?」

「極端な話だけどさ。コールドスリープとか……。後は亜光速の空間移動だよね」

「ああ、確かウラシマ効果とかいうやつ?」

「そう、ウィンクル効果ともいうね。光の速さにより近い速度で移動する物体は移動しない物体に比べて時間がゆっくりと流れるんだ。これを使えば未来に行くことくらいなんでもないだろ」

「――なんでもないって言ったって……。やっぱムリだろ」

「それでも……。少なくともそれすらできなけりゃ過去になんか行けないよ。時間の流れというものが不可逆的なものだと定義づけるなら過去に行くことこそが時間跳躍の真価だよ」

「ま、わからないでもないけどさ、やっぱり荒唐無稽な話だよ。たとえ理論上可能だったとしても現実的にありえない話じゃあね」

 これは僕も調子に乗ってしまったか……、と一瞬思った。会話の流れでつい、言ってはいけない、言わないように心掛けていたことを口走ってしまった。

 


――タイムリープはできない。



その事実にふさぎ込んでいたあの日のことを思いだす。

僕のその言葉は鳩山を傷つけたんじゃないか。それが気になった。しかし……

「ねえ、ゆーちゃん、本当に時間遡行ってできないって思う?」と鳩山は言った。

「……こんなこと言うのもなんだけどさ。やっぱり無理だと思うよ。だって、もし未来にタイムマシンができるというのなら、今、この時間にだって未来からの旅行者がいたっておかしくない。それがいないこと自体タイムマシンが未来永劫つくれないって証拠だよ」

「未来からの旅行者だったらいたじゃないか。ジョン・タイターっていう人が」

「いや、あれは――」

 ジョン・タイターは2000年にインターネット上に現れたタイムトラベラーを自称する男だ。2036年の未来からやってきたと言っているその男は2034年に欧州原子核研究機構(CERN)によって重力歪曲転移装置なるものをつかってこの時代に到着。2000年問題において発生するトラブルで世界が混乱するため、この時代の家族に接触して引っ越しするように促したという。

「単なるインチキだと言いたい?」

「まあ、そうなるよな。結局2000年問題はほとんど何事もなく終わったらしいけれど、それは自分の手柄じゃないかと言っている。ジョン・タイターはその後本を執筆して莫大な印税を手に入れるわけだけど、本来その時代の人間ではないジョン・タイターはその著作権をこの時代にいる2歳にも満たないジョン・タイターのものだと主張してこの時代を去った。

 僕の予想では、ジョン・タイターの正体はその幼い子供、この時代のジョンタイターの父親だったんじゃないかな。もちろん偽物のタイムトラベラーが語った未来は全然当たっていなくて世間は忘れ去ってしまっているけれどね。でも、印税だけは手に入れて家族は裕福に暮らしていることだろう」

「まあ、それに関して言えばタイターは初めから〝自分のいた未来〟ではって言っているわけだし未来が外れているからと言ってインチキだという証拠にはならないよ。それに、タイターの言ったタイムマシン理論は2000年当時では十分に説得力のある理論だったからこそ彼の本は売れたんだ。印税は確かに受け取るべきだったと思うよ。それに、何よりそのパフォーマンスが面白い」

「なんだよ。よく聞いてみればぽっぽだってジョン・タイターが本物のタイムトラベラーだなんて信じていないんじゃないか。やっぱりタイムマシンなって未来永劫作られるわけじゃないんだよ」

「そうかな? それは単に、今現在この世界にタイムマシンの出口がないからじゃないかな?」

「出口?」

「そう。たとえばさ、ワームホールがあるでしょ。たとえばA地点とB地点があったとして、A地点を高速で移動させるんだ。それも光と同じくらいの速度で。早く動くものほど時間の流れは遅くなるってこと、わかるよね?」

「ウラシマ効果」

「そう、そのウラシマ効果のおかげで、一〇年間その行程を続けていると、B地点では通常通り一〇年の時間がながれるけれど、A地点ではまだほとんど時間が流れていないことになるんだ。つまりさ、B地点にいる人間がA地点に行けば、そこは過去の世界ってことになるでしょ? そしてそこから地続きになっているB地点に行けば、過去のB地点、つまりタイムリープできるわけだよ。このA地点と一〇年後の通路がワームホール」

「……うーん。なんとなくわからなくもないんだけどさ、要するに今僕らのいる場所がB地点なわけだろ? で、一〇年後にそのワームホールを通れば過去には遡れるけれど、それはあくまで現時点に戻ってきているだけで、今よりは過去には行けない? ……そういうことだよね?」

「まあ、そういうことだね。で、現実的には今現在、そのA地点の高速移動を開始していないからこそ、未来人がこの時代に帰ってこられないというわけだよ」

「なんだか夢のない話だな」

「それにね、」

「まだあるのか?」

「ここが大切。ワームホールをつくったとして、どうやって人間がその道を通り抜けるかってことなんだ。そのワームホールが具体的にどんなものになるかはわからないけれど、おそらくその道を有機体である人間が通り抜けるということはどうにも難しいと思う。せいぜい通れて光子ぐらいなんじゃないかな」

「つまり、結局のところタイムリープはできないってことだよな?」

「ううん、違うよ。つまり、光子だけならタイムリープできるってことだよ。そう、例えば電気信号だとか、そういったものくらいなら可能だっていうことだよ」

「でも、今現在タイムマシンをつくっているやつはいないから、今の時代には誰もやってこない」

「いや、それはわからないよ。たとえばどこかで誰かがすでにタイムマシンをつくっていて、未来からの電子信号くらいなら届きはじめているのかもしれないんだ」

「ま、夢のある話だな」

「夢……あるでしょ?」

 おおよそその当時の僕らの世代が、特に鳩山のようなタイプの人間がおちいりやすいという例の病気の一種のようなものくらいに考えていた。

 だからと言って、あの日……。教室でふさぎ込んでいた鳩山を一人取り残して帰ってしまった僕はあの日以来ずっと負い目を感じていた。だからかもしれない。

 きっと、だからだろう。この時ばかりはとことん彼に付き合ってやろうと思った。

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