第20話 タイムマシンの出口

「ねえ、ゆーちゃん! たしかに人間の体が未来や過去に飛ぶなんてことはできないかもしれない。でもね、電気信号は別だよ。現時点でも電気信号。メールなんかはずっと未来にだって飛ばせるんだ。つまりはどこかで数年前にそのシステムを作り上げていたというのならば電気信号くらいなら過去に飛ばせてもおかしくないんじゃないかな」

「……でも電気信号だからってそう簡単に時間をさかのぼるってことは無理なんじゃないのか?」

 僕の言葉に鳩山はニヤリと笑った。鳩山がこんなにも強気な顔を見せたのは初めてかもしれない。

「ゆーちゃん。時間ってのはね、地球の重力みたいなものだよ。空中のある一点におかれたボールは普通まっすぐと地面に落ちてしまう。時間と同じく不可逆的なものでどうあがいたって空中から地面へ、過去から未来へしか進まないと思っている」

「……それで?」

「でもそれは古代人の考え方だ。逆行の仕方を知らない。ただそれだけだ。

 少なくとも現代人は気球やジェット噴射を使って重力の逆行を成功させたんだ。

 つまりは時間だって遡行させる方法があるはずだ。ただ、現時点でぼくたち人類がその方法を知らないというだけ。ゆーちゃんはタキオンって知ってる?」

「あ、ああ……知ってるよ。うまいよね。あれ」

「タキオンっていうのは光の速さを超える素粒子のことだよ。物質は光の速さよりも速く動くまでには加速できないけれど、初めから光よりも早いものがあるというのならば相対性理論には反しないとしてあるのではないかと仮想されているんだ」

「そ、そうだよな。醤油との相性がまたいい……」

「でもね、2011年、CERNがスイスからイタリアに向けてニュートリノを飛ばしたところ光よりも早く到着した粒子があることを発見したんだ! ほら、確かタイターの乗ってきたっていうタイムマシンもCERNがつくったんじゃなかったけ?」

「う、うん……だろうね」

「それにさ、ワームホールにしても未来人がそのシステムを作り上げればいいだけで、誰かがすでに出口をつくっておけばいいんじゃないか。それはたとえば粒子加速器のような装置で、永遠と同じところを亜光速で移動させてさえおけば未来とのワームホールは存在するんだよ。その道を逆走する原理を未来人が発明させれば、この時代にだって出口はあることになる。もしもその出口が今よりも過去に作られたとするならば、少なくともそのタイミングまでは時間遡行する方法はなくはないんだよ」

 鳩山の自信はゆるぎない。

「でも……どうやって? どうやって僕たちが過去に向けてメールを打つつもりなんだ?」

「だから……それはこれから考える。不可能とあきらめたから不可能になる……だろ」


 こうして僕たちの無謀すぎる夏の挑戦は始まった。


 

 夏休みを目前としたある日、その日も僕は放課後に理科室に訪れていた。

 もちろんひとりで、だ。

 僕はおっさん先生という担任で理科の教師を好意に感じていた。彼の話はそれなりに面白いし、それなりの説得力を持っていた。

授業中のおっさん先生の授業ははっきり言ってつまらない。教科書をただただ読み上げ、教科書の図をそのまま黒板に書き写しているだけだ。だが、この理科準備室にいるおっさん先生は違った。ここで話す先生は活き活きとしていて、自分の言葉で話をする。普段は決して見せない姿だ。


 いつものようにカーテンの閉まった実験準備室は暗室用の照明をつけてない時でも薄暗くて陰湿だ。さらに明らかに私物と思われるカメラやよくわからない精密部品が散乱している。この教師は公立の中学校の一室を完全に私物化しているようだ。

 僕はなるべくそれらに触れないように(うかつに触るとひどく怒る)パイプ椅子を出して腰かけた。

「最近、お前と鳩山、なんかコソコソとやってるみたいだな。いったい何やってんだ?」

 と、おっさん先生。なかなかするどいようだ。だがいちいち教えてやる必要もない。むしろ教えたところでまともに取り合ってくれることなんかではない。僕にしてもまともじゃないことは充分わかったうえで引け目を補うためにやっているだけだ。

「まあ、思春期の麻疹みたいなものです。たとえ気になったとしても放っておいてください」

「……ふーん。ま、お前がそう言うなら構わんが……」

 深くは聞いてこないことに安心した。おそらくは他人のことにはあまり興味がないのだろう。

「ところで先生、やっぱり人間がタイムワープを行う事って無理なんだろうか」

「なんだ。お(、)前(、)たち(、、)まだ、去年俺がした話覚えてんのか?」

「その話したの憶えてんだ」

「うーん」と唸りながら先生は腕組みをしながら考え込んだ。「運命って信じるかい?」

「運命?」

「そう、運命。つまりは過去も未来もあらかじめ決まっていて、世界は運命という名のレールの上を時間という名の列車に乗って移動しているだけという考え方だ。宇宙のある一点にはその運命が記録されていておおよそそれに従っている。……アカシックレコード、仏教では梵という。

 スピリチュアルな話をすれば未来を見通す占い師ってのは、このアカシックレコードを覗き見ることができる能力を持ったものだという事だ。……まあ、そうはいっても実際の占い師なんてものはただのインチキばかりだがな」

「……過去はともかく、未来まで決まっているっていうのは身もふたもない考え方ですよね。どうせ未来が決まっているならどんなに努力しても結果は変わらないってことなんだから」

「いや、考え方を変えてみたらどうだ? つまり、そうやって諦めて結果を残せない運命が決まっているのか、それとも成功する未来を信じて努力し、結果、成功を収めるという未来が決まっているのかもしれない。それなら努力を怠る理由にならない」

「まったく。詭弁ですね」

「そもそも運命というやつは弾性があるんだよ。ピンと張ったまっすぐなロープの一点をを指で弾くとたしかに変化は起きる。でも、結局その前後が少しだけ振れることで元の形に戻るんだ」

「ああ、そういえば以前そんな話をしましたね」

「たとえば、アカシックレコードに俺が今日、この運命どうたらという話をすることが記載されているにもかかわらず話をしなかったとする。そうすると弾性が働いてこれと同じ話をほかの誰かから聞くか、それについて書かれたものを読むだかして結局お前はこの運命についての考え方を知るという事になる。

 もっと話を大きくしてみよう。君は今からタイムマシンに乗って過去へと戻る。そして俺を殺そうとする。もし、その前後の弾性が強いのならばきっと俺を殺すことに失敗するだろう。でも、少しの〝遊び〟があるというのなら俺は殺されてしまうだろう。そして俺がその後の人生において他者に及ぼすであろう影響についてはさっき言った通り、他の誰かが行うことでつじつまを合わせられるだろう」

「つまり、運命が決まっていてもタイムマシンで変化を起せば少しは変えられると」

「まあ、弾性の度合いによるだろうな。でも、考えてもみろ。宇宙には150億年もの歴史があってその隅っこのちっぽけな星のたったひとりの人間の運命なんて宇宙全体を動かすアカシックレコードにとってみればその生死をとってみてもそれほどたいした問題じゃない。もはや弾性がどうとか気にすることもないくらいの些細な出来事で別に宇宙の意思として元に戻さなければならないことだなんてあまりにもおこがましいというものだ」

「かといって、タイムマシンなんて僕たちがどうあがいたって作れるわけないでしょ?」

「いや、実はな……これは秘密にしているんだが……俺はタイムマシンを持っているんだ」

「はあ?」

「ここに……」と言っておっさん先生はテーブルの隅の方に置いていたご自慢の一眼レフカメラを手に持って僕に見せつけた。

 かわいい愛犬を撫でるような手つきで無機質な機械を愛でる理科教師……。ただの気持ち悪いおっさんはうっとりするように語りだした。

「このカメラでシャッターを切る瞬間……、世界は時間の流れを止める。写真は止まったままの過去世界へのゲートになる。

二度と戻ることのないはずの時間の世界に入り込み、我々はいつでも過去へタイムリープできるわけだ」

「熱く語ってくれているところ申し訳ないんですが、大喜利の時間じゃありませんから」

「解らないかなあ……。子供には解らないよな、このノスタルジィ」

「だから、僕ら世代に対しての子ども扱いはダメだって言ってるでしょ」

「まあそういうなよ。大人ってやつはみんなそういうノスタルジィを抱え込んで生きているという話だ。過去を思い出してセンチメンタルにならない大人はよほどつらい過去を持っているか今が心底幸せかのどちらかくらいだろう。

 今現在の生活に疲れた時なんかは古いアルバムを開いて過去の世界に戻ってはそこに何かを捨て、そのかわりに何かをもらってくる……。そういった行為が必要になるんだよ」

 うっとりとした口調で自説を語りながら先生は手元に置いていたアルバムを僕の方に差しだした。

 自分の言葉に酔いしれた男の完全なる失敗だったと言えるだろう。

 差し出されたアルバムを手に取った僕はその写真アルバムを開いた。ぱらぱらとめくり……というよりはそのアルバムはすぐにあるページで止まった。

 おそらくは幾度となく開かれ、そのページにはしっかりと折り目が出来ていたのだろう。

 おそらく何度開いても、目をつむったまま開いてもそのページが開かれるであろうほどにその折り目のページは先生の一番のお気にいりのページであることを物語っている。

 そこにはどこかの学校の校門の前、まだ初々しい目つきの若い青年(間違いなく若かりしおっさん先生)が黒い紙筒とささやかな花束を胸に抱いて写っている。おそらくはおっさん先生の通った高校の卒業式の写真とみて間違いはないだろう。

 若かりしおっさん先生の隣には眼鏡の清楚な黒髪の乙女が同じような格好で写っていた。

「先生……。この人、先生の元カノかなんかですか?」

 その言葉でようやくおっさん先生は自分の犯した失敗に気づいたようだった。

 気まずそうに目線は一度、天井の染みに送られたがやがて観念したと見えてこちらに向き直った。

「彼女でも何でもないよ……ただ……」

「ただ?」

「ただ想いを寄せていただけだ」

「やれやれ、先生にもそういう時代があったんだ」

「俺だって木の股から生まれたわけじゃあない。それくらいあるさ」

「それにしても、おっさんには眼鏡属性があったのか」

「いや、別にそういう訳じゃない。彼女はなあ、実は眼鏡をはずすとものすごい美人なんだよ」

「はあ? いやいや、そんなのないでしょ。そんなのは漫画の中の話で、実際は眼鏡をはずしてかわいい子は眼鏡をかけていてもかわいいんですよ」

「お前はわかってないなあ。そりゃあ社交的で明るい子であればかけていようともかけていなくともかわいい子はかわいいだろう。しかし、内気でおとなしい子が眼鏡をかけて人とあまり目を合わせないタイプだとそうにはならない。たとえその子が美人であっても眼鏡というアイテムのせいで余計に内気な印象を受け、周りが注目しなくなってしまう。

 もし、そんな子がある日眼鏡をはずして登場したらどうだろう? 周りはその変化に気づき、違和感からその子のことを凝視するだろう。そうすれば、今まで特に気にしていなかったのによく見れば美人だと気づいてしまうんだ。

 つまり、正確には眼鏡をはずすと美人なんじゃなくて、眼鏡をはずすことで回りが美人であることに気づくだけのことだ。オッカムの剃刀というのを知らんのか?」

「まあ、それくらいのことなら知っていますよ。今だっておっさんはついむきになって同じ内容のことばを繰り返した。年寄りの話は長くて聞くに堪えれないという意味ですよ」

「まったくかわいくないな、お前は」

「……で、その後どうなったの?」

「どうなった? 彼女でも何でもないって言っただろう。どうなったもこうなったもないことくらい想像しろ」

「で、おっさんはまさかその子が美人であること周りに悟られないように眼鏡をかけていたほうが似合うとか何とか言って卒業するまでずっと眼鏡を掛けさせていたとか?」

「……」

「おいおい、図星かよ。でもおっさん。それってひどくないですか? だってその子、眼鏡をかけ続けたせいで恋人ができなかったのかもしれないじゃないですか? その子の恋愛のチャンスを奪っておいて告白もしないなんて……

 そんなのさっさと告白でもして付き合うなり轟沈するなりしていればその子は眼鏡をかけ続ける必要もなかったというのに」

「いや、まあ、告白をしなかったという訳ではないんだがな……。返事をまだもらってはいない」

「そんなの、告白したその場でもらえばよかったのに。それとももしかして手紙だとかメールだとかで済ませてしまったとか?」

「ま、まあそんなところだ」

「いい大人が情けない」

「あのなあ、こ、告白ってのはむつかしいんだぞ。お前だってそのうちわかる」

「まあ、僕ならきっとうまくやりますけどね。その時が来れば」

「かわいくないな。お前は……」


――その時ちゃんと想いを告げて答えを聞いてさえいればこの人はアルバムにここまでの折り目はつけずに済んだのかもしれない。そんなことが初めからわかっていれば誰だって過ちを犯さずに済むのだろう。

 もしタイムマシンがあれば先生は過去に戻って写真の黒髪の乙女に想いを告げるだろうか?

「先生、もし過去に戻れるならやり直したいと思うことがある?」

「ない……。そう言える大人なんているのかね……。それでも後悔があるからこそ後悔を繰り返さないように人は努力して強くなれるんじゃないのか?

 いや、偉そうだな。俺はそんなに努力もしてないか……

 もし、タイムマシンが完成したら俺にもちょっと使わせてくれ」

「???? なんで知ってんですか。言いましたっけ? そんな話」

「知ってるも何も鳩山と二人でタイムマシンつくってるんだろ? ほれ」

 と、先生が見せてくれたのは鳩山遥斗が提出した進路希望票だった。

 鳩山の進路希望には『タイムマシンをつくりたいです』と、白々しくまるで小学生のようなことがかかれてあった。その下に『どこに進学すればタイムマシンが作れるようになりますか』と書かれてあった。

「夏休みの自由研究としては素晴らしいじゃないか。ぜひこの夏休みにタイムマシンをつくってみるといい」

「おっさん……。バカにしてるだろう」

「馬鹿にするもんか。中二の夏休みは一度きりなんだ。これから先、何歳になってもこの夏に帰ってこられるようにいい思い出をつくることだ」

「――やっぱりバカにしているよな……」

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