第二十四話 翻訳

 ノアとイリヤ達とはわだかまりが解けた――と言って良いか、なつのには分からない。

 だが少なくとも、なつのはイリヤのことを不愉快に思っている。殺されかけたのだ。

 しかし相手は皇子だ。篠宮の言う通り、権力者に立てつくのは愚かだとは思う。

 だがそれはそれとして、やはり好ましくは思えない。それを知ってか知らずか、今篠宮にイリヤの話をされている。


「娯楽?」

「ああ。イリヤがそんなこと言ってて」

「なんでアイツの言うこと聞くんですか」

「別にイリヤのためじゃない。単なる職業病。娯楽作りは俺らの本業だろ」


 篠宮はこんっとスマホを軽く突いた。

 そう言われると、悔しいがその通りだ。異世界に来てまで仕事をしたいとは思わないが、魔法アプリはなつのにとっても楽しいものであることに変わりはない。

 篠宮は早くもノートパソコンを立ち上げわくわくと目を輝かせている。

 それはまるで子供のようで可愛くも見え、なつのはクスッと笑ってスマホを握りしめた。


「そうですね。気分変えたいし。それで、何やるんですか?」

「それを考えるんだよ。楽しいこと考えるの得意だろ、ディレクター」

「んー。パソコンとスマホ使うのは大変だし」


 スマホを見せて回ればそれだけで面白いだろう。けれどそんな単発ではこの世界の娯楽として拡散はできない。

 もっと誰でも可能で長期的に、ひいては文明として根付くくらいじゃなければ皇子の満足する娯楽にはならないだろう。

 うーん、となつのは考え込むと、広場から黄色い歓声があがった。


「何だ?」

「月城さんじゃないですか? しょっちゅうステージで何かやってるし」


 広場に目をやると、予想通り月城が歌いながら踊りを披露している。

 いつも一人で舞台上を飛び回っているが、今日はもう一人隣に誰かが立っている。


「……あれ葛西先生では?」

「そういや宝塚好きって言ってたな」

「えー、すごい。もっと人増えたらこの世界の宝塚に――……」


 宝塚といえば多くの女性が憧れる芸能で、それこそが娯楽だ。


「これだ!」

「ん?」

「芸能人増やすんですよ! 月城さんが先生になって!」

「芸能学校か。いいな。一般課程と芸能課程を設ければ色んな勉強ができる」

「この世界って知識の共有されてないですもんね。勤務意識にも差があるし」

「そうだな。イリヤも学校が欲しいって言ってたし。生活にメリハリ持たせたいんだろうな」

「……志は良いですけどあの人の言うこと聞くのは腹立ちますね」

「上司ガチャに外れたと思え。それより俺が気になるのは文明の低さなんだよな。これだけの人数いて近代的なものが少なすぎる」

「最初に来た人がもっと古い時代だったんじゃないですか? 平安時代とか鎌倉幕府とか」

「パッと見もーちょい最近な気がするけどな。江戸くらい。なら地球で三百年くらい前だから、こっちじゃ十一万くらいか?」

「おー……」


 十一万年とは『くらい』で済む歳月ではない。

 だがそれなら言語が地球に存在する言葉なのも分からなくはない。かつてルーヴェンハイトはロシアと繋がっていて、地球人が来るたび言語が移り変わった可能性もある。


「あ、それなら元号とか、言葉が残ってるかも」

「日本のか? 固有名詞だろ」

「そうですけど。マルミューラドさんの例もあるし、イレギュラーがあるかもですよ」


 なつのは翻訳アプリを起動した。

 人名や国名といった固有名詞はそのままであるのが常だ。


「じゃまず『平安』」

『мир(ミール)』

「あ、意外と違いますよ」

「他の単語だと思われてるんじゃないか? 平穏とか、何かそういう単語」

「そっか。じゃあ江戸」

『Эдо(イエダ)』

「「えっ」」

「ちょ、ちょっ、これ」


 てっきり江戸そのままだと思っていたなつのと篠宮は思わず声を上げた。

 慌ててもう一度翻訳させると、やはりその発音は『イエダ』だった。


「イエダって、あの、ルイ様のあの国では?」

「ああ。江戸の住人が名付けたのかもな。じゃあ『スタイリーツア』も日本語訳があるのかもしれないぞ」

「江戸に続く単語ですよね。えっと……」

「『時代』は?」

『возраст(ヴォーズラスト)』」

「違う。『区』はどうだろ」

『Сторожить(ストラジッチ)』

「あ、惜しいな」

「じゃあ『市』!」

『город(ヴォーラッツ)』」

「遠のいたな。後は……」

「じゃあ『都』! 『東京都』とか『京の都』とか言うし!」

『столица(スタイリーツア)』

「あ! 篠宮さん!」 

「決まりだな。イエダは日本人が開祖だ。なら名称が変わったのも納得だ」

「名称? 何の話ですか?」

「『魔術』と『魔法』だよ。『術』と『法』は漢字の意味が違う。『術』は能力や技術で、『法』基準や手段。つまり『魔』という『術』を持ってた人間が『法』を作ったんだ」

「……そういやルイ様カタコトでしたよね」

「何がだ?」

「言葉ですよ。マルミューラドさんカタコトだったじゃないですか。元々日本語の人はここの翻訳アプリ通すとカタコトになるのかもしれない。てことはルイ様が喋ってたのも日本語だったんじゃないですか?」

「そうか。彼は日本人の子孫か」

「それに『楪』って日本語だし、きっとイエダは魔術師と日本人との国なんですよ!」

「正解!」

「「わあああ!」」


 盛り上がってきたところに、勢いよく後ろから抱きつかれた。

 振り向くと、そこにいたのはルイだった。


「ルイ様!」

「いやー、準備に手間取って」

「あ、あの、あなたは――……あれ?」


 ルイに問い質そうとしたけれど、ふと人影があることに気が付いた。


(女の子……じゃない。男の子だ。この世界って美形多いな。美少年とはまさに)


 象牙色をしたさらさらのショートボブに、こちらの世界でも見ないエメラルドグリーンの瞳をしている。

 まだ十代前半だろうか、無愛想でつんっとしているが、それでも魅了されない者などいないと断言できる美貌だ。


(……ん? 少年?)


 ルイが少年を連れている。それはつい先日聞いた組み合わせだ。 

 なつのはじっと少年を見つめた。

 美しい顔立ちだが少女ではない。間違いなく少年だ。


「ルイ様、その子……」


 ルイは二ッと笑みを浮かべた。


「こいつが楪。俺の魔術師だ」


 なつのはハッと息を呑んだ。

 挨拶をしてくれない少年を見つめながら、考えていたのはイリヤの言葉だ。


「『最期の魔術師』ゆずりは。彼を敵に回せば死あるのみ」


 楪の幼さの残る愛らしい顔立ちはどこか作り物めいていた。

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