第十七話 それぞれの意志【後編】

「これ地球へ帰る魔法か!?」

「その失敗作。それでは無理だそうだ」

「無理な理由は!?」

「俺の研究じゃないから知らん。確か根本的に駄目だとか言っていた。真逆にしなくてはいけないと」

「逆! やっぱり魔術ですよ、魔術!」

「そんな感じだな。なあ、魔術については知ってるか?」

「コーダストロか。それはあまり知らない」

「え?」

「今なんて言いました」

「あまり知らない」

「その前。何を知らないって?」

「コーダストロ」

「こーだすとろ……?」


 なつのは目をぱちくりさせて篠宮を見た。

 もしかしたら自分だけが妙な言葉に聞こえているのかと思ったが、篠宮も不思議そうに首を傾げている。


「ええと、マルミューラド。今から言うことを繰り返してもらってもいいか」

「いいが……」

「魔術」

「コーダストロ」

「ま」

「ま」

「じゅ」

「じゅ」

「つ」

「つ」

「魔法と魔術」

「魔法とコーダストロ」

「……何だこれは」

「何だもなにも、『魔術』はコーダストロだろ」

「はい?」

「何で今魔術のあとにコーダストロって言ったの?」

「お前らこそなんだ。コーダストロはコーダストロだ」

「あン?」

「何で今コーダストロって二回言ったんだ?」

「はあ? お前らが言えって言ったんだろ。『魔術』はコーダストロ」


 全員の頭に?マークがぽんぽんと飛び交うが、篠宮は何かに気付いたように驚き立ち上がった。


「翻訳アプリ!」

「え?」

「翻訳だ。俺達の会話は自動で翻訳される。魔術はロシア語で『コーダストロ』なんじゃないか?」


 なつのはスマホを取り出し翻訳アプリに『魔術』と入力し、翻訳結果を音声で流すと――


「『колдовство』」

「ほんとだ!」

「でも何でマルミューラドさんだけ?」

「他の人には『マジュツ』って固有名詞なんじゃないか? この世界に初登場した時に『魔術』って名付けたなら、ここの人間にとって『魔術』は訳す言葉が無い固有名詞だ。けどマルミューラドは『魔術』という日本語を知ってた。かつ母国語がロシア語だから『魔術』という日本語を聞くとロシア語の『колдовство』に翻訳される」


 篠宮はマルミューラドに視線を移した。

 整っているが、やはり顔立ちは日本人だ。


「今話してるの日本語じゃないか? けど俺らの言葉はロシア語で聞こえてる」

「そうだが。なんだ。こちらの言葉で良かったのか」

「やっぱり。そういうことなんだよ」

「へ? どういうことですか」

「彼にとって『魔術』と『колдовство』は同じ意味だ。だから日本語の合間にふとロシア語で『колдовство』と言ってしまった。けどアプリは彼の言葉を全て日本語として認識したから、俺らには『コーダストロ』という文字列にしかならなかった」

「なるほど。日本語を翻訳しても日本語ですもんね」

「えっとつまり、本人が『日本語を喋ろう』と思ったら日本語のまま聴こえるけど、ナチュラルにロシア語で喋ってたら『колдовство』がカタカナ変換されるってことです?」

「おそらくな」

「便利なようなややこしいような」

「なあ、マルミューラド。あんたは誰から『魔術』って単語を教えてもらった?」

「日本人だ。ヴァーレンハイトで研究してる日本人がそう言っていた」

「へー。じゃあ魔法はこっちの言葉でなんていうの?」

「魔法は魔法だ」

「え? ロシア語も同じ発音てこと?」


 なつのはロシア語など知らないが、日本語とロシア語が全くそのままになるとは思えなかった。

 不思議に思いながらスマホに『魔法』と日本語を入力し翻訳をしてみると――

 

「『магия』」

「あれ?」

「マギア? 魔法じゃないの?」

「魔法は『魔法』っていう固有名詞だと思ってるんじゃないか? 完璧ロシア語じゃないんだろ」

「でも魔法の方が一般的なんですよね。普通に考えて魔術の方が――あ」

「何だ?」


 魔法は日本語だ。それが固有名詞になったのなら日本人が持ち込んだというのは正しいのだろう。

 同時に、この世界に最初から存在したのは魔術の方だというのも正しいということになる。

 ではこの世界で魔法大国という名を持つヴァーレンハイト皇国が使っているのは、魔法ではなく魔術だったのではないだろうか。


「……魔法の使いすぎは死ぬんですよね」

「あ? ああ、そうだな」

「命を守るために血中で進化したのが魔力珠なら、魔術を使う人はもっと死ぬのが早いですよね」

「まあそうだろうな」

「ヴァーレンハイトの人が死にそうなのって水不足じゃなくて魔力珠不足、ううん、重度の貧血じゃないですか?」


 しんと静まり返った。

 なつのは水不足による死というのを聞いて不思議に思っていた。

 水不足という異常気象に詳しくはないが、海が遠いというだけで死ぬようには思えない。

 文明が低いとはいえ水を運ぶのは桶があればいいだけだ。水路を作れば水くらいすぐに引ける。実際、ルーヴェンハイトは水路を作って城へ水を持ち込んでいる。

 つまり、国家規模で命を脅かす違う原因があるのだ。


「……皇王は余命わずかだという噂がある」

「え」

「皇王の魔法は桁違いだ。その分寿命を削るのも仕方ないが、それにしても早すぎる」

「ヴァーレンハイトに来た地球人が魔術の危険性に気付いて魔法に切り替えたのかもな」


 なるほどな、とノアは考え込んだ。

 篠宮も朝倉も真剣な顔をしているが、一人だけあっけらかんとしているのはマルミューラドだ。


「だとして、それが何なんだ」

「魔術なら地球に帰れるかもしれないのよ。そうだ! 手伝ってよ、世界間移動魔法見つけるの!」

「馬鹿を言うな。俺は帰りたくない。探すなら確実にこの世界に留まる方法だ」

「え? 何で?」

「何でも何も、地球に戻れば死ぬだけだ。帰りたいわけないだろうが」

「そ、それは……」

「仮に帰れたとしても死なない保証はない。俺達はここで生きていくしかないんだ」


 それは、なつのがあえて口にしなかったことだった。

 大好きなスマートフォンに篠宮や朝倉の慣れた顔ぶれとオフィス同様に過ごしていることで誤魔化していた。 

 きっと篠宮も朝倉も分かっているのだ。


(……そうだ。私はもう帰れない)


 月城がルーヴェンハイト人になってしまったように、数年もすればこちらの人間とまるきり同じになるだろう。

 ほんの数年。世界間移動魔法を見つけるのとどっちが早いのだろうか。

 ぎゅっとなつのはスマートフォンを握りしめた。これがあればこの世界でも困る事はない。魔法を上回る科学の力はいつでもなつのの夢を叶えてくれた。

 だからまだ、きっと大丈夫だと思わずにはいられないのだ。


「俺は帰る方法を探す」

「……篠宮さん?」

「死ぬぞ」

「分かってる。でも帰る方法が分かれば帰らずに済む方法も分かるはずだ。逆をすればいいだけだからな」

「……まあそうだな」

「協力してくれ。目的は違えど手段は同じだ」


 マルミューラドはふうとため息を吐いた。

 ちらっとなつのを見るとまた小さな溜め息を吐き、ふいっと目を逸らし篠宮と握手をしていた。

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