第十八話 男たちの話

 向坂がリナリアで倒れたその夜、篠宮は図書室へやって来ていた。

 このところ向坂は憑りつかれたように本を読み漁っていた。ここまでのめり込むとは思っていなかったが、思い返せば前からそうだった。

 熱中すれば時間を忘れて残業をして、注意に行けばアドバイスを求められ結局遅くなる。

 そして、それは異世界へ来ても変わらなかった。ふと夜遅くにここを除いたら向坂は本にかじりついていて、それ以来夜には見回るようにしている。


(……よし、いないな)


 室内を一周回って帰ろうとすると、同時に入り口の扉が開かれた。

 入って来たのはマルミューラドだ。


「なんだ。まだ何かやってるのか」

「そっちこそ」

「滞在期間は長くない。調べられることは調べておきたい」

「そういやお前は何しに来たんだ?」

「色々だ」

「具体的には?」

「色々だ」

「何だよ。教えろよ」

「断る。それより、なつのの具合は平気か」

「は?」

「ん?」


 この世界は地球と似たところもあり、似ていないところもある。

 文明の低さは否めないが、だからどうということでもない。農家に転職したと思えばそれはそれで楽しいものでもあった。

 それはそれとして。


(何で名前呼び捨てなんだこいつ)


 ルーヴェンハイトの礼儀作法がどうなっているか、そんなことはまだ詳しくない。

 しかし、名前を呼び捨てにすることは親しい間柄に限られる。それは地球とあまり変わらない。


「……大丈夫だ。怒ってたけど」

「俺も不注意だった。来て間もない地球人の目の前にリナリアを置くなんて」

「そういうのは本人に言ってやってくれよ」

「嫌だ。あいつはなんだか腹立たしい」


 マルミューラドはぷっと口を尖らせて顔を背けた。

 拗ねた姿は十八歳よりも子供に見える。


「なんだ。年相応なとこあるじゃないか」

「何がだ」

「いや。そういや吐かせ慣れてたけど、酒飲むのかお前」

「飲めるが好きじゃない。吐かせるのは研究中よくやるんだ」

「何で? 毒味でもするのか?」

「ああ。とりあえず食べてどんな成分が入ってるかを確認する」

「は? まさかアレルギー反応を見て実証、とか?」

「そうだ。ここは地球のような制度の高い分析も開発もできないからな」

「人体実験じゃねーか……」

「まあそうだ。だがそれを非人道的だと思うのはお前達が平和な世にいるからだ。この世界ではそれくらいする」

「そういうもんか……」


 そうだったとしても賛成はできない。それにシウテクトリで人体実験をしているのは地球人だ。地球では『それくらい』ではない。

 そんなことを当然とする世界は、やはり馴染めるものではない。

 この世界でやっていけるようになった方が良いと思うようになっていたが、命に関わる危険があるのなら帰りたいと思ってしまった。

 けれどマルミューラドは全くの逆だ。


「お前は地球に帰りたくないんだよな」

「当り前だ。お前は本気で帰りたいのか」

「どうだろうな。家族はいないし親しい友人ってのもいない。未練があるとしたらプライベートのパソコンを持ってこれなかったことくらいだ」

「家族は死んだのか?」

「生まれた時からいなかった。施設育ちだ」

「そうか。それなら幾分か気が楽だろう」

「お前は? 強がりじゃなくて、本当にもうこの世界が自分の世界なのか?」

「ああ。グレディアース老が俺の家族だ。遠慮など無い本当の家族。地球に帰れたとしても俺は帰らない」


 当然のように語っているが、篠宮は何を返すこともできなかった。

 きっと地球では十歳の息子を失い悲しんでいる両親がいるだろう。こうして十八歳になった姿を見て、この先も成長を見るのが楽しみだったはずだ。

 失踪や誘拐が多く報道されるようになり、捜索し情報を呼びかける様子も多く目にした。その中に棗流司という名前があったかどうかは記憶にないが、きっとそうしてこの先も生きていくのだろう。

 それを思うと『そうだな』『良い人に拾われて良かったな』などと言うことはできなかった。


「篠宮はやはり帰りたいのか」

「いや、まあ俺はいいんだ。本当に。けど……」

「なつのか」

「……あいつはまだ新卒だ。夢も希望も意欲もある。過去を捨てるには若すぎる」

「ならここでなつのの望む未来を作ってやればいいだろう」

「けど得られる評価も価値観も全てが変わった。せっかく認められたんだ。どうにかしてやりたいよ」

「ふうん。そんなやわに見えないけどな」

「お前が何を知ってるっていうんだ」

「知らない。けどさめざめと泣くお姫様じゃないだろう、なつのは」


 ぴくりと眉が引きつった。

 篠宮は『向坂』としか呼んだことは無い。


「……それ止めろ」

「何を?」

「名前! 下の名前で呼び捨てってしないだろ、普通」

「は?」

「男同士ならともかく、失礼だろ。止めろ」


 ようやく気になっていたことを言ってのけ、篠宮はふんと鼻息荒く睨みつける。

 しかしマルミューラドはきょとんとして、少しすると声を上げて笑い始めた。


「ははは!」

「な、何だよ」

「真面目ぶっておいて結局そういう話か。なんだ」

「何がだよ。別に他意はないぞ」

「他意がなきゃ言わないだろ。なるほど、そうなのか。意外だな」

「何だよ! 別にどうもこうもない!」

「分かった分かった。そう言うことにしておこう。だがこの世界では皇族に近い血統を除き相手を姓で呼ぶ習慣があまり無い。それだけだ」

「そ、そうなのか」

「ああ。姓で呼べば特別視してるように見える。それでもいいなら姓で呼ぼう」

「……名前で良よ」

「ついでにお前も名前で呼んだらどうだ」

「俺はいいんだよ」

「そうだな。お前にとって特別だと知らしめることができるしちょうど良いか」

「おい!」


 マルミューラドはくくくっと笑った。

 こういう笑い方も少し子供っぽい。


「うるさい。いつまで笑ってんだ」

「笑うだろ。ああ、ゆっくり押した方が良いぞ。頭に血が上って心にもないことを言うタイプだ、あれは」

「だからそういうことじゃない」

「朝倉の方が年が近いだろう。親密になるならそっちの方が早いんじゃないか?」

「同期だから当然だろ」

「だから、お前はそれでいいのかって話だ」

「……お前ちょっとうるさいぞ」

「これは失礼。ああ、二人で住む家が必要ならノアに言えば用意してくれるぞ」

「うるさい」


 それからしばらくは十歳も下の子供に笑われて、その日はあまり寝付けなかった。


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