第十七話 それぞれの意志【前編】

「向坂!」


 篠宮が叫んでいる声が聴こえた。

 けれど腹の中でぐるぐると何かが蠢いているのが気持ち悪くて、周りが何を言っているか頭に入ってこない。

 体の水分が沸騰しているように熱い。


「律! 葛西先生を呼んでくれ!」

「は、はい!!」

「落ち着け。大丈夫だ」

「どこがだ! 早く先生を」

「いいと言っているだろう。効能はどうあれ食あたりだ」


 マルミューラドに担がれたようで、身体が揺れるたびに腹がひっくり返るようだった。

 とても長い時間そうしていたよう感覚だったが、ようやく揺れが止まった。

 するとどこかにぽいと投げ捨てられた。恐る恐る目を開くと、そこは洗面台だった。


「お、おい! 何するんだ!」

「こうする」


 篠宮が驚いたような声を上げた。

 その時はそれが何に驚いているかは分からなかったが、すぐに知ることとなる。


「んぐっ!」

「吐け」

「ぐ、んんん」


 喉に指を突っ込まれた。

 自分がどんな体勢になっているかは分からなかったが、口からリナリアだったと思われるものが吐き出された。


「げほっ!」

「お、おい。大丈夫か」

「はい……」

「食い意地張ってるからそうなるんだ」

「は!? あんた他に言うことないの!?」

「さっさと着替えろ。汚い」

「っこ、このクソガキ~!!」

「向坂落ち着け。まずは着替えろ」

「分かってますよ!」


 なつのはどすどすと足を鳴らして部屋へ戻り、買ったばかりの服に着替えた。

 大急ぎで戻り、がんっとマルミューラドの椅子の肘置きに足を乗せる。襟を引っ掴んで睨みつけたが、しれっと何でもないような顔をしていた。


「一体どういうことよ!」

「お前は女としての慎みはないのか?」

「うるさい! 説明しろって言ってんのよ! 何よ今の!」

「知るか。俺は地球人に詳しくない」

「あんたも地球人でしょうが!」


 マルミューラドはぴくりと眉を揺らすと、ぱしっとなつのの手を振り払った。

 あからさまに嫌そうな顔をしている。


「お前は十歳以前の記憶はあるか」

「無いわよ。だから何」

「俺も無い。家も親も友人も、もう何も。それを説明しろと言われても困る」

「あ……」

「俺はセティ=グレディアースの孫マルミューラドだ。それ以上を求めないでくれ」


 しまった、となつのは手を引いた。

 謝らなければと思ったが、そうする前にマルミューラドは篠宮に視線を移した。


「さっきの続きだ。お前の考えていることで凡そ間違いじゃない。魔法は科学だ」

「それもお前が研究したのか?」

「違う。ヴァーレンハイトの地球人だ。特殊な機材を用いる道具は作れないが、その知識や頭脳はこの世界でも遺憾なく発揮される」

「研究って、もしかして魔法陣使ったりする?」

「魔法陣?」

「魔力珠を魔法にする技術よ。私は魔法陣だと思ってるの」

「資料あったのか!?」

「いいえ。でもここって歴史の本しかないじゃないですか。それって歴史を紐解いても答えは無いってことだと思うんです」


 どれを読んでも歴史しか分からない。

 神話のような話もあったが、伝説の中にも魔法を形作るようなことは書いていない。

 この世界では想像すらしないことだったのだろう。


「魔法を広めたのはこの国の歴史に登場しない誰か。なら絶対に地球人です。地球人が『魔法を使おう』と思った時に使う技術として思いつくのは魔法陣」

「具体的にどういう物だ、それは」

「図形よ。丸の中に文字書いたり。使わない?」

「使うな」


 マルミューラドは胸ポケットに挿していたペンのような物を取り出した。

 けれど先端に付いているのは筆記具ではなく鉱物だった。


「これはリナリアの生成に使う道具だ。温度調節をする」


 先端にはまっていた鉱物を引っこ抜くと、中から長方形の細い銅板が落ちてきた。

 ペンの柄部分に入っているようで、ペンと同じくらいの長さがある。そして、そこには色々な図形が描かれていた。


「魔法陣!」

「これは地球人が作った。スマホとパソコンを持っていたおかげで色々とやれたようだ」

「考えることはみんな同じなんだね」

「中はどうなってるんだ?」

「この鉱物なんですか? ルーヴェンハイトでは見たこと無いや」

「製造については知らん。やるから分析なりなんなり好きにすればいい」

「そりゃどうも。他にはなんかないのか?」

「あるが、汎用化されてるのはそれくらいで失敗作ばかりだ」


 マルミューラドはポケットからぽいぽいと幾つかの紙を取り出した。

 その全てに図形が描かれていて、ごちゃごちゃと記号やら文字やらが書いてある。


「何用だ、これは」

「知らん。俺は道具作りはできない」

「何だかが分からなきゃ意味無いじゃない」

「なら見るな」

「調べる意欲出せっての。できないならやるのよ」


 なつのはとりあえず翻訳できるのか見てみようとスマホを掲げた。

 そしてモニターに表示された文字に、思わず篠宮の腕をがしっと掴んだ。


「篠宮さん! これ!」

「なんだよ」

「見て! 見て!」


 篠宮をぐいぐいと引っ張りスマホを見せる。

 そこに翻訳されているのは非常に見覚えのある内容だった。


「東京都港区虎ノ門一丁目二十三番一号……?」

「この住所って」

「うちの会社が憧れてやまない虎ノ門ヒルズ!」


 なつの達のオフィスは虎ノ門だが、残念ながらそこまで大きくも綺麗でもない。

 駅からも遠く周辺には飲食店も少ないのでオフィス内で食べる者が多いのだが、社食はなくオフィス内で買えるのは飲み物くらいだ。だから弁当を持ってくるしかないが、残業続きでそんな気力は無い。配達に頼るしかないが、そもそも飲食店が少ないので食べられる種類は多くない。

 そんな社員からすると虎ノ門ヒルズというのは実に輝かしく眩しい憧れの名前だった。とはいえ中に何があるのかは知らない。忙しくて見に行く余裕などないし、休日にわざわざ職場近くなどに行きたくはない。

 それでも住所なんて使いもしない情報をフルで覚えているのはちょっとした意地だ。いつか行ってやろうと。


「ね、ねえ、これってもしかして」

「虎ノ門ヒルズへ行けという神の啓示!?」

「そうじゃねえ!」


 篠宮はなつのの手から虎ノ門ヒルズの住所が書かれた魔法陣を引っ手繰るとマルミューラドに突きつけた。

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