第三章 マリーゴールドの花弁

もう一人の


『時間が解決してくれる』と、どこかの誰かが言っていた。しかしその言葉では、ノイバラの少年とあの秘密基地にいる子どもたちの間に出現した歪みや溝が治るまでの気休めにはならなかった。風景にあるアスファルトとコンクリートの割合が高くなっていくにつれ、少年の自責の念はより強く、より濃くなっていった。街の雑音がそれを助長させた。



 僕のせいだ。僕が興味を持ったから、それを口にしたから、僕が、僕が悪いんだ。もっと知りたいって、それで仲良くなりたいって、思ったから。あそこに、廃教会にいることが許されていたのに、僕が自分から壊したんだ。


 いっつもこれだな。興味とか好奇心とか自分勝手なものに振り回されて、しかも振り回してくるそいつらに便乗して、手を組んで、自分から何かを破壊して。それに後悔する。


 次に僕は何を壊すのだろう。誰が離れていくのだろう。そのとき、僕はどう思うのだろう。


 お前、それでいいの?


 よくないに決まってんじゃん。


 でもそうなってんじゃねーか。


 うるさい。黙ってくれる?


 誰が黙るかよ。不毛な争いなのはわかってんだろ。


 知ってるよ。


 もう諦めろよ。お前はこれからもずっと、今回みたいに大切なものを壊していくんだよ。本心から接したらすぐに崩壊するんだ。お前がこんな面倒な気質を持つまでは、平和に暮らしてこれたじゃないか。今はもうできないのか?


 変化したら戻れないんだよ。


 知ってるさ。だがな、お前の中にはいまだに昔の、破壊の気質を持つ前のお前がいるんだ。いい子ぶる前のな。まだいんだよ、ここに。なあ、お前、演じるの得意じゃねえか。なんで昔の自分は真似できねんだよ。できたらもうあんな性質に頭抱えなくたっていいんだぞ。


 …無理だよ。


 なんでだよ。


 みんなが求める僕は、そんな口調じゃない。


 口調が変わるくらいで離れてく奴らなんてどうでもいいだろ。


 違うんだよ。


 結局お前、褒められたいだけじゃねーか。


 そう、だよ。君はわかるでしょ。


 今の議題はそれじゃない。これからどうするかについて話すんだよ。そろそろ真面目に考えないとだめだろ。


 そんなの必要?


 この先も今みたいに実感のないまま、生きた心地がしないまま生きていくつもりか? 無理に決まってんだろそんなこと。


 案はあるの?


 は? 自分で考えろよ。僕はお前を導くために存在してるわけじゃねえからな。


 どっちみち生き方決まんないじゃん。それなら僕はこのまま生きてくよ。たまにきみの力は借りると思うけどね。


 最終的にはこういう形になるよな、毎回。ま、いっか。


 これからもよろしくってことになるかな。


 僕が消えることは一生ないから、覚悟しとけよな。死ぬまでずっと付き纏ってやる。僕がお前の生き霊だ。


 夕方の住宅街で、別の少年は絶対に誰にも見えないところでほくそ笑んだ。


 閉まっているドアに鍵を差し込み、回して開けた。


 廊下を歩いて行って、部屋に入る。リュックを棚に掛けてリビングに行く。別に意味はないし、すぐに自室に戻るが、一応の行動だ。


「ただいま〜」

「おかえりー」


 テレビを見ながら、アイスバーを食べているリオが、こっちを向く。やっぱり僕とは雰囲気が違うんだよなぁ、と少年はなぜここまでに違うのか疑問を持った。


「今日の夕飯なんだと思う?」


 キッチンの中にいる少年の父が問いかけてきた。


「え、ベイダクアとか?」


 首を傾げる少年。父は頭を横に振る。


「答えは『まだ決まっていない』でした」


 リオが「うーわ」と顔を歪めた。隣の母が笑う。


「夕飯まで宿題してるね」


 にっこり笑って、少年はリビングから出て行った。



 宿題なんかあったか?


 あるよ。もちろん。


 先生誰一人も出してなかったじゃねーか。


 僕がやりたいんだよ。


 優等生くんは考えることが突飛だな。僕だったらやってないね。


 無責任なきみとは違うんだよ。もう出ていって。


 お前のそれは逃げだろ。勉強という盾を使って、今立ち向かわないといけない問題から逃げている。長い目で物事を見ることも大切だけど、目前の課題も解決できないような奴が今のお前だぞ。なあ、言い返せないんだろ。お前のことはなんだって知ってんだ。目を背けようとも許さねえよ。


 うるさい。


 分かってんだろ。受け入れろよ。僕を。


 もとより受け入れているよ。きみと僕が会話できている時点でさ、僕がきみを拒否していないのは分かってるでしょ?


 いーや違うね。お前は僕を受け入れてなんかいない。受け入れていると思っているだけ。思い違い。思い込み。勘違い。

 嫌いな奴も受け入れることができる自分に酔いしれているだけだ。僕はお前が気持ち良くなるためのオモチャじゃねえ。僕はお前に消去された過去のお前の残りカスだ。お前が道を見失わないようにするためのブレーキなんだよ。

 ずっと前からわかってただろ。目を背けていたのはお前だ。



 少年は頭を振りながらタブレットを開いた。残り電力は三十パーセント。少年がケーブルに手を伸ばすことはなかった。



 どれやろうかな。


 無計画だな。やっぱり僕とお前は同じだ。無計画、無責任、無鉄砲、無神経。現代社会で生き抜くには最悪最低の特徴だ。よかったな。こういうのをなんて言うか、お前知ってんだろ。お前の口から聞いてみたいなあ?


 社会不適合者、とでも言いたいの?


 そうだ。おめでとう。ついに認めたな。そもそも自分が社会に出て働いているところ、想像できないだろお前。想像力がゴミくそに低いもんなぁ。

 先のことを考えれないから、今日ああなったんだ。これを言ったらどうなるのだろう、で疑問が止まって、言った後のことを考えることができなかった。想像できなかった。あの『約束』の真意も、あそこで詮索的な話題が全く上がらない理由も、お前は考えなかった。

 お前は僕を捨ててから、著しく想像力が欠け落ちたんだ。とてつもなく大きいデメリットにお前は直面している。僕は手助けができない。僕を捨てやがったお前に、助言なんて言わない。仲直りするための改善案なんて渡さない。全て、お前が悪いんだよ。選択を間違えた自分を恨むんだな。


 目を背けている自覚はあるよ。だけど、


 こうでもしないと辛い?


 そう。泣きそうになるんだよ。先生のときは特にダメージなかったけど、今回は破壊したものが大きすぎる。学校にいる時だって、教会のこと、みんなのことを考えているんだよ。


 ほー。なんというか、蝕まれてんな。


 毒みたいな言い方しないで。


 毒と薬は紙一重って言うだろ。ぶっちゃけ、僕の目にはお前はあそこに依存してるように見えるぞ。


 依存。同意したくないけど、心当たりしかないな。依存している節はあるよ。


 意味ないだろ、それ。


 まあね。でもさ、依存って気づいたらなっているものなんだよ。口調みたいに矯正できるものじゃない。少しずつ少しずつ、それがないと不安定になるようになるんだよ。コントロールできるものじゃない。


 抑えることに成功してる奴だっているだろ。世間の中に。


 そうかもしれないけど、僕にはできない。こんなこと言っても、表舞台に出ることがないきみにはわからないだろうけど。


 そうだな。僕にはわからない。


 意外。素直に受け入れるんだ。


 お前よりも経験が少ないのは理解してるからな。お前の方がいろんなことを知ってるんだ。経験が多いことによる悩みもあるんだろうけどな。そういうのを僕はなんて呼んでると思う?


 贅沢な悩み、でしょ。


 大正解。さすがお前だな。


 簡単すぎるよ。


 だろうな。つか、建前の宿題はどうするんだよ。


 あー、数学でもやろっかな。


 ディダル語やりたい気分。


 えー。


 僕がいるから今のお前がいるんだぞ感謝して僕に従え。


 はいはい。すっごい上から目線だね。

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