6-3 黎明薄暮(2)

「まさか祝言しゅうげんをしぃちょっとは……。思いの外、飲んでしもたがな」

 おもむろに襖が開く。

 同時に凛とした声が、言葉をのせて利良に降ってきた。

 ぼんやりと桜島を眺めていた利良は、驚いて振り返る。

 二本差しもなく、ゆったりと袴を着こなす背の高い男が、利良を見下ろしていた。ほんのりと頬を赤らめ、男はばつが悪そうに苦笑いをする。

「お!? 大久保様おおくぼさぁ!!」

「そんままで良か。怪我人が気ぃば使つこな」

 慌てて足を整えようとする利良に、大久保--大久保利通は、片手を上げて制した。

 戊辰戦争後。

 大久保はその功績を買われて、王政復古後に新設された新政府の参与(三職)に抜擢された。

 新政府の中枢を担う薩摩の傑人けつじんだ。

 明治という新しい時代の幕開けと共に、少しずつ日本を改革していく。そんな大役を担っていた。

 利良には想像もつかぬほど。江戸にて目まぐるしく東奔西走しているであろう、その大久保が。非常に気楽な服装で利良の目の前にいる。

 利良は、目を丸くして言った。

「大久保様、何故ないごてここに……?」

「新屋敷ん有馬邸ありまげぇで、おはんが、療養をしぃちょっち。川路ん親父殿おやっどんに聞きしてなぁ」

「これは! なんとしたことを……! 申し訳あいもはん!」

 深々と頭を下げる利良に、大久保は実に楽しげに笑う。

「しかし、祝言があっちゅう事は、聞いちょらんかったで」

「あ……更に申し訳無かぁ」

ないも持たんじ、手ぶらで来っもした。後日、お祝いば品を送いもんそ」

「いや!! そげな物は! 気ぃば使わんじくいやい!」

「あはは! おはいが祝言じゃなかどが!! おいは、お前に送っわけじゃ無か!!」

「……重ね重ね、申し訳無かぁ」

 小さく呟いた利良は、耳まで肌を真っ赤にして俯いた。

 身の置き所に困ったように恥ずかし気に頭を掻く利良に、大久保は目を細めて口角を上げる。

「おはんは変わらんなぁ」

「え?」

「目の光も宿る志も、妙円寺のあんとっと変わらん。さらに童顔やっでなぁ。細か若二才わかにせ頃といっちゃん(※ ひとつも)変わらん」

「あんとっは……本当まこて、世話にないした」

 利良は深々と頭を下げた。

 下げながら、頭の中にたくさんの疑問が浮かび上がる。

 童顔は今、関係あるだろうか? 

 髭でも生やせば、童顔とは言われないだろうか? 

 と思いつつも。頭を上げた利良は、大久保を真っ直ぐに見つめた。

「大久保様、今日は何か御用があったとではなかどかい」

 利良の問いに、大久保は驚いて大きく目を見開く。そして、軽く膝を叩いた。

「じゃった! じゃった! 利良殿! おいはおはんに大事な話を伝えに来もしたと!」

「大事な話、ごわんか?」

 大久保は姿勢を改めると、軽く息を吸った。

「殿からの名代でごわす。内々に役職の打診に参った」

「え?」

「川路利良殿に、兵具奉行を命ずる」

「……えぇ!?」

 利良は思わず、布団から飛び上がらんばかりに叫んだ。

「近々、当藩もスペンサー銃も導入すっこつになったもんでなぁ。戊辰戦争でも戦果を上げたおはんに白羽の矢がたったち訳じゃ」

「……いや。おいは、何も」

 何故、自分に白羽の矢がたったのか? 利良は下唇を噛んで俯いた。

 戦果も何も。途中、中々説明もできない場所を負傷し、無我夢中で動いていただけだ。傷も塞がった頃に辛うじて会津戦に参戦したものの。大した戦果は上げていないと記憶している。

 利良は、堪らず心中を吐露とろした。

「この上なか、ありがたい話でありもす。しかっ……責務と力量が、乖離かいりしっごわす。俺には、荷が重たか……」

「何を言うちょっとな。おはんが小隊が一番、激戦区において戦果を上げっちょったがな」

「俺が判断が遅かったで、上片平も……。命は助かったとはいえ、怪我を負っしもいした。人を纏め導くには、まだ技量が足らんごつ思い申す」

「そげん卑下すんなち」

「じゃっどん(※ でも)……!」

 利良は、大久保と目を合わすことができない。不甲斐なさや自信の無さが。利良の手を強張らせ、血管が浮き出るほど強く拳を握りしめる。

 次の瞬間。大久保は、利良の頭にそっと手を置いた。まるで稚児をあやすような、あたたかな手つき。成人して月日を経ている利良は、大久保の所作に動揺して思わず顔を上げる。

「大丈夫っじゃっで。おはんが憂慮すっこつじゃなかが」

「……」

おいも西郷も、おはんしか適任はおらんち、殿に上申、つかまつった」

「……」

 それでも、眉間に皺を寄せ下唇を噛む利良に、大久保はそっと利良の耳に口を近づけた。

「これからは、内緒じゃっどんから」

 大久保の声は、非常に穏やかに利良の耳に入り込む。

「勘定吟味役の有馬晋祐が、おはんを殿に推しておったげな」

「え?」

「有馬殿には言うなね」

 大きな目を見開いて驚く利良に、大久保は軽く咳払いをした。

「『弾丸の消費も、武器の摩耗・故障も。さらには小隊自体の被害も最小限! 全て効率的! 藩の財政を考慮し、最も成果を上げたのは川路利良である! 何卒、お取計を!!』と、必死の形相で殿に上申しっせぇな」

 何故か、大久保は晋祐の口調や声音を真似て喋る。

 ぽかんとした利良だったが、大久保の真似があまりにも出来が良かった。そのため、利良は堪らず吹き出してしまった。

 晋祐の動作や表情まで想像できる。体ががじんわりと温かくなった。胸のつかえが取れ、利良の気持ちが大分楽になった。

 晋祐とキヨの祝言に顔を出せなかったこと。

 磐城平城で、隊員を止められなかったこと。

 蛤御門や、妙円寺詣り。

 利良の中には、数えきれないほどの後悔が積み上がる。

 後悔はいつまでも胸の奥底で燻り、利良を〝もっと前へ!〟と押し出す反面。自身の資質や技量不足をまざまざと見せつけてきた。目の前に立ちはだかる超えられない、見えない壁を、晋祐は悠々と打ち砕いてくる。

 利良は、止まらぬ笑いに乗じて目尻に溜まった涙を拭った。

「あはは! 本当ほんのこて、晋祐殿には敵わんが……」

「皆が認めちょっ。胸を張いやんせ、川路殿」

 大久保の言葉に利良は大きく頷く。

 未だ少し、躊躇する様子を大きな目に宿しながらも。利良は姿勢を改め、深々と頭を下げた。

「ありがたきお役目。若輩者じゃくはいもんであいすが、お引き受けしとうごわす」

 明治二年(一八六九年)。

 利良は薩摩藩の兵具奉行に就任した。

 戊辰戦争後、命懸けで戦った藩士の不満を打ち消すべく。西郷隆盛は、藩における軍備の拡充と近代化を徹底的に行う。銃隊・大砲隊合わせて四十九もの隊を大編成し、それを利良に任せたのだ。

〝王政復古より廃藩置県の方が、大事になる〟

 西郷はこの時、廃藩置県による士族の反乱を予見していた。西郷の行った軍事力の強化と、利良の抜擢は、喫緊に迫る有事に際し薩摩藩が諸藩に対抗する力を得るためのものであったのだ。


「利良殿が、御親兵に?」

 フランス語の教本を作成し纏めていた晋祐は、はたと筆を持っていた手を止めた。

 同時に、上擦った声をあげる。その横ではさっぱりと散切り頭にした利良が、若二才わかにせの時から全く変わらぬ穏やかな笑顔で頷いた。

「暫くは、江戸むこうにいることにないもんそ」

「しかし、また急だな」

大久保様おおくぼさぁたっての希望ごわんさぁ」

 御親兵は当時、中央政府の強化が富国に繋がると判断した長州藩出身の山縣有朋の一計によるものだ。

 これを政府の起爆剤として利用したのが、大久保利通である。

 利良と交流のあった木戸孝允(桂小五郎)や大隈重信等の開明急進派は、廃藩置県やそれを支える優秀な人材を官僚へ登用すること。また、租税制度の整備や中央集権化政策を一気に実施しようとしていた。しかし、それを解決するための求心力が、致命的に欠けていたのである。

 西郷隆盛なら、求心力に問題はない。

 西郷の親兵入京を口実に、なし崩しに西郷を中央政府内に入れ、内部から強化を図る。

 木戸や大隈が進める急進的な政策には批判的だった大久保が、薩摩藩の親兵入京による基盤強化と西郷の入閣は、急進派の流れを変える鍵になると考えたのだ。

 この複雑な政治的背景により、兵具奉行である利良の御親兵への入隊が決定した。大久保と西郷両名の強い推薦によるものだ。

「晋祐殿から仏蘭西フランス語を習いたかったどん。暫くは、お預けじゃあさいなぁ」

「江戸に行くなら、そっちで十分学べるではないか?」

「そげん寂しかこっば言いやはんな。俺は、晋祐殿から習いごつあっこて」

「仕方のない事だろう?」

「あ! 晋祐殿も共に行っもんそ! そげんすれば全て解決じゃ!」

「馬鹿言うなよ。俺には、のっぴきならない勘定方の仕事があるんだから」

「じゃあさいなぁ……」

 利良は眉尻を下げて、寂しげに言った。

「よし! では、これを。利良殿に差し上げよう!」

 散切り頭のせいか。一段と若く見える利良に、晋祐は一冊の帳面を差し出した。利良は目を丸くして、その帳面を受け取る。

「これは、一体?」

「たった今できた。仏蘭西フランス語の教本だ」

本当ほんなこっな!?」

「あぁ。元々、利良殿に渡そうと思っていたんだ。出発に間に合ってよかった」

「晋祐殿〜。俺はなんだが出っほど、嬉しくてしょうがなかぁ」

「お、おい! なんて大袈裟な!!」

 稚児が宝物を手にしたように、利良は胸にしかっと教本を抱きしめる。

 あまりにも純粋に喜ぶその様子に。晋祐は、急に恥ずかしくなってしまった。照れと恥ずかしさが混同し、発する言葉がしどろもどろになる。

 お互いの目線がかち合い、瞬間、二人は声を出して笑い出した。そして、徐に拳を突き出してガチンと重ねる。

 何時ぞやに誓った、新世界を見ること。

 形は違えど、互いの新世界はまだ到来していない。

 未だ、黎明を待っている。

 晋祐は、はぁと息を吐くと口角を上げた。

「利良殿、どうか息災で」

「当たり前じゃ! 帰っきせぇ、いの一番に仏蘭西語を習いに来っでな!」

「あぁ! 待ってる!」

 この時の拳の重なりを最後に、晋祐と利良が顔を合わせるのは大分先のことになるとは、想像だにしていなかったに違いない。

 共に歩んできた黎明への道は、二人の知り得ないところで大きく分かれていたのだ。

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