第2話 もとい、偽悪家二グム (前編)

「お前、名前は」

二グムは煉瓦の階段を先導して降りながら、振り向きもせずに青年に話しかけた。

(名前も確かめずに雇用したのか......)

と、青年は呆れた。殺し屋だから当たり前なんだろうが、二グムはぶっきらぼうで、取っ掛かりにくい人だと、この国についてから今までのこの短時間で既にそう感じていた。

「僕はナジュム......苗字は、」

「ナジュム? この国風の名前だな。お前は外国生まれだろ? 偽名か? 俺は本名を聞いてるんだ」

二グムは、青年___ナジュムの言葉を遮ってそうまくしたてた。その語調や抑揚の付け方がまるで不快感を示しているように聞こえて、ナジュムは勝手に会話を断念しそうになった。


「ナジュムは本名! 母親がこの国生まれなんだ......だから苗字と名前がアンバランスでさ。フルネームはナジュム・ブルーノだ」

「へぇ、そうか。なら紛らわしいから、苗字を新しくつけてやる。......そうだな......」

二グムの方から、うーん...と微かに唸る声が聞こえた。ナジュムは正直混乱した。自分たちは今から仕事____殺しの仕事をしに行く予定なんじゃなかっただろうか。雇われた身として、一言くらい物申してもいいのでは無いだろうか。たとえ相手が名の通った殺し屋であろうと。

「......二グム、その、苗字とか考えてる場合なのかなーって......。具体的な指示とか、仕事内容とか説明してくれないといまいち緊張感が湧かないんだけど......」

「俺に敬語を使っていないところを見る限り、緊張感なんかなくても十分任務を全うできるように見えるんだがな」

ナジュムの平たく響いた声に対して、皮肉めいた二グムの声色が塔の中で冷たく反響した。


ナジュムは何も言い返せなくなった。(言い方は悪いが)心のどこかで二グムを軽視している部分があるのかもしれない。二グムは自分より背が低く、威圧感はあるもののこうして結構言葉を交わしてくれる。想像の中の殺し屋、ジルコンと目の前の二グムとのギャップが、ナジュムにとってはとてつもなく大きいものに感じられていた。


「......大変すいませんでした、二グムさん」

「いや、もういい。あまり敬語を使われたことが無いからむず痒い」

だったら一体どうすればいいんだ? と思いつつ、ナジュムは口を噤んだ。二グムは今仕事内容について話す気は無いみたいだ。とりあえず習うより慣れろということか。

長い階段はまだ続く。


「思いついたぞ」

「は? ......あ、あぁ苗字! どういうやつ?」

少しの沈黙の後、二グムが独り言のようにつぶやくのでボーッとしていたナジュムは危うく聞き逃すところだった。が、ナジュムの声は自然と明るくなった。まさか殺し屋から新しい苗字をもらうなんて考えていなかったので、どんな苗字なのか少なからず楽しみにしていた。

「タンヅィーフなんかどうだ。ナジュム・タンヅィーフ」

タンヅィーフ。「掃除屋」という意味だ。

「......長く考えてた割にそのまま過ぎないか......?」

「文句言うな。わかりやすくていいだろ。それに、名前のアンバランスさで怪しまれるよりよっぽど良い」

「あぁ、そうだな......」

少しガッカリしたが、何を言っても無駄だろう。それにもう少しで地面につくようだ。彼は毎日何往復もこの塔を昇り降りしているんだろうか? 大変だなぁなどと、ナジュムは地上に近づくと共に蘇ってきた仕事への緊張から、一先ずどうでもいいことを考えた。


塔から地上に出ると、やはり周りには誰もいない。わずかな枯草の塊と、砂と塔から崩れたのであろう煉瓦が落ちているだけだった。さらにあたりは他の建物の陰になっており、改めて物々しい雰囲気を感じた。

「ナジュム、地上にいるときはこれを被れ」

二グムが振り向いて彼と同じ黒いフード付きのローブを差し出した。

「いやいや、こんなに暑い気候の国なのに!? 君だけでいいんじゃないか?」

「逆だ。俺はもう顔を隠しても意味は無いんだが......面の割れてないお前が、顔を見られるのはあまり良くない」

「わかったよ......」

そのローブを受け取り身に纏う。やっぱり少し暑い。ナジュムがちらりと二グムの顔を見ると、彼は涼しい顔でこちらを眺めていた。慣れてるんだな

「うん......悪くないぜ」

それだけ言って踵を返し、ナジュムがこの塔へ来た道と反対の方向へ歩いて行った。

「なあそれ絶対思ってないだろ!」


しばらくの間、ナジュムは賑やかな街中を、二グムの後を黙ってついて歩いた。賑やかと言っても、彼らの周りに近寄る者はいなかったが。

ナジュムは周りを見回してみた。老若男女問わず、ヒソヒソと声を潜めながら、こちらを見つめている人々の怪訝な顔がフードの中から見える景色の大半を占めていた。フードで見えない後ろの方は、緊張が解けた人々の明るい声で埋め尽くされている。

(このフードは、ジルコンの関係者だっていう証明になるのか)

それなら身分証明に便利じゃないか、とポジティブに考えることにした。


本来なら気さくで、明るく活気のある人々が暮らすこの国____バドル王国は、波紋のようにほぼ同心円状に広がっている。宮殿を起点に何重にも重なる円状の道を、これまた宮殿から真っ直ぐ伸びた何本もの道が貫いている。バドル王国は三つのオアシスを領有していて、そのうちの一つは宮殿の北側に、もう一つは東南の方向に、残りの一つは西南方向にある。

この豊かな三つの水源によって、バドル王国は砂漠地帯にある国の中でも随一の発展をみせている。偉大な歴代王族の善政の元に、経済面はもちろん、情緒豊かな音楽、圧倒的な空想力を特徴とする文学作品達、蜃気楼をモチーフとした伝統舞踊......などの文化面でも発展は留まるところを知らない。これらは世界でも賞賛され、全世界のエンターテイナー的立ち位置をこのバドル王国は担っていると言っても過言では無い。

しかしその文化の威光に隠れ、いわゆる、裏社会の人間____ジルコンなどの殺し屋や、反社会的な諸々の組織、汚職により私腹を肥やす様々な業界人などが比較的多くいるのもまた確かなことであった。皮肉にもそういった勢力がバドル王国の繁栄を促してきた部分もあるのだが......。


「おい、さっきから落ち着きがねぇな。キョロキョロするな」

家と家の間のかなり狭めな路地裏に入ったところで、二グムはこちらを振り向きながら苦言を呈した。そんなにキョロキョロしてたつもりはなかったのだが。しかしナジュムはいよいよ観光という名の現実逃避をやめて、本来の目的を思い出さざるを得なくなってきた。二グムが腰に手を当てはじめたからだ。直接は見えないが、二グムの左側のローブが彼の腕の形に沿ってもり上がっているので、恐らく刃物を抜く準備、または警戒をしているのだろう。二グムは左利きだという情報だ。


そこでナジュムはふと疑問に思った。自分は掃除屋のはずだ。戦えるとは二グムに伝えていないのに、彼はどこまで自分を連れていくつもりなのだろう。しかし声を出せる雰囲気ではなかった。嫌な緊張感が漂っている。その路地裏は何を使って書いたのか分からない壁の落書きや、古い砂埃に支配されていた。そのまましばらく曲がりくねる狭い路地を黙って進んだ。


そしてとうとうある小さな扉の前で止まった。中が何の施設かは分からないが、ここが裏口であることは確かだった。

「いいか、この中に今回のターゲットを捕らえてる。俺がこれからそいつにトドメを指す。それが済んだら、お前の初仕事だ」

「あぁ......」

「ここからは二グムじゃなく、ジルコンと呼べ。さぁ、入るぞ」

一方的に仕事内容(しかもざっくりしすぎている)をまくし立てたと思うと、二グムはすぐに古い木の板でできた扉を開け、中へ入った。ナジュムは彼の後に続いて、少し屈んでそれをくぐった。扉は二グムの背にピッタリで、まるで彼のために作られた裏口のようだった。


中の雰囲気は想像を絶するものだった。薄暗く、赤いランプの照明が明滅している。ざっと見回すと、入ってきてすぐ右には大量のビンの置かれた棚があり、目の前にはカウンターがあった。カウンターの奥にはソファ席があったりと、どうやらここはバーのような、飲食系の店のようだ。しかし内装よりも目を引いたのは、黙ったままの数人の人影だった。ナジュム達が入ってきた裏口はカウンターの内側だったようで、すぐそばにこの店の店主らしき大柄な人物が佇んでいた。奥の席には点々と俯いたままの人影がぼうっと赤黒い光の中に浮かび上がっている。

彼、または彼女らは全員二グムのものと同じ黒いローブを身につけていた。凄まじい雰囲気にナジュムは呼吸を忘れる程だった。

二グムはカウンターを出て、席と席の間を縫って進み、裏口から左手の壁の前で立ち止まった。ナジュムも気味の悪い黒ローブの客達の様子を伺いながら二グムに続く。すると急に二グムが壁の前で声をあげた。

「『ゴールデンアップル』を一杯」

するとすぐに、何も無いはずの薄黒い壁が物々しい音を立てて開いた。ナジュムは驚いたが、周りの客は何も反応しない。壁の奥はさらに暗く、入るのが躊躇われるほどだった。二グムは構わずずんずん進んで行った。

といってもそこまでのスペースは無いようで、本当に少し進んだところで立ち止まった。ナジュムは二グムと衝突したが彼は微動だにしなかった。そしていきなり部屋に明かりがついた。さっきの店の赤黒い照明ではなく、明るく眩しい、白の照明だ。


その部屋は何もかも白かった。アラベスク模様の絨毯、白塗りの壁、そして眩しすぎるほどの照明。目がくらみそうになったが、ナジュムの目は部屋の中央に椅子に縛り付けられた人間を見つけた。明かりがつくなりその人はバッと怖気付いた、鬼気迫る顔をこちらに向け、叫び出した。

「おい......! 頼む、後生だ! 俺には妻も子供もいるんだよ! 見逃してくれ〜!」

今叫んだ彼が今回のターゲットだ。ターゲットとして満点の、お決まりのセリフを叫んでいる彼に二グムは何も言わず近づいて行った。ナジュムの鼓動が早まった。二グムが歩くわずかな時間の間に、部屋の白に鮮血が飛び散る様を何度も何度も想像して、勝手に首筋に汗が滲む。殺しの現場をこうもハッキリと見させられるとは思っていなかった。

「やめ......やめてくれ......」

「静かにしろ」

弱々しい男の声を遮り二グムの冷たい声が部屋に響いた。

「これから儀式を始める」

突然、ナジュムの後ろの暗闇から音もなく、黒フードの人物がぬっと出てきた。自分たちの後ろをついてきていたのだ。その人は手に、蜂蜜のような黄金の液体の入ったグラスを持っていた。それを二グムに手渡し、部屋の隅まで下がっていった。

「ラスコー・ニコラス。彼は死に、そして今、この場で生まれ変わる」

二グムはグラスを男の口元で傾け、あの黄金の液体を男に飲ませた。毒殺なのだろうか。ナジュムには訳が分からなかったが、いきなり凄惨な殺害現場を見せられるわけでは無いようで少なからず安心した。いや、安心するということ自体おかしいのだが......。

グラスの液体が無くなると、二グムは改まった声でこう呟いた。

「お前に自由を与えよう」

そう言った途端、男の顔が濃い紺の煙に包まれた。その煙が晴れるのを見て、ナジュムは驚愕した。


「か、顔が......」

男の顔は明らかに変わっていた。黒髪に茶色の瞳だった彼は、少しくせのついた見事な茶髪に、青い瞳が輝く青年に変わっていた。

「今からお前は、ジョゼフ・ニール。このバドルを出るも、留まるもお前の......好きに......」

椅子に縛り付けられたままの男の顔を見ながら話す二グムの声は震え始め、とうとう言い終わる前に突然吹き出した。

「ハハハハハ! ジョゼフもうダメだ、お前なんて顔してんだよ」

「ぅおいっ!!! ここまできたんだから最後まで真面目にやれよ!!」

いきなりカンとした明るい声で笑いだした二グムに、ジョゼフと呼ばれた男は縛り付けられている椅子をガタガタ揺らして怒鳴りはじめた。

「あーあーもうちょっとだったのに何してんの! せっかくマスターが『どうせならサプライズっぽくしよう』って企画してたのに台無しじゃない!」

二グムに液体を渡した黒フードが横からヤジを飛ばした。声からして若い女性のようだった。

ナジュムはこの一連の流れを何も理解できなかった。一瞬にして和気あいあいとした空気に変貌したこの空間に一人だけ置いていかれた。

「無理だって言ったのに押し通したマスターが悪い。......ナジュム、まぁとりあえず、店内に戻ろう」

「え? え?」

二グムに押しやられて先程の薄暗い店の中に戻ってきた...と思ったら、目の前でパーンと何かが弾けて紙吹雪が舞った。

「うわ!!?」

「「「これから、よろしくーー!!!」」」

ニコニコ顔の男女三人がナジュムにそう叫んだ。祝われていると気付くのには少し時間を要した。二グムが後ろでため息を着くのが聞こえた。

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