第16話

『ああ……ようやく出ることができたぞ』


 低い、じめっと重さをふくんだ声。

 三つの口から同時に放たれた言葉は、壊れたマイクみたいにイヤに響いた。

 それがビリビリとぼくらの身体に叩きつけられる。

 息が、苦しい。

 桃香ちゃんが悲鳴を上げてヘッドフォンを強く押さえた。

 ヘビがのそりと動き出す。

 ヘビのシッポが勢いよく振りかざされて――


「スズ!」

「きゃあ!」


 とっさに動けたのは、運動神経のいい琥珀くんだった。

 スズに飛びついて、ヘビのシッポをかわす。

 だけど二振り目は間に合わない!

 もう一度振り上がったシッポが、スズごと琥珀くんを後ろに弾き飛ばす。


「ぐっ」

「あうっ」

「琥珀!」

「スズ!」


 壁に叩きつけられた琥珀くんが、ずるずると床に落ちる。

 気は失ってないけど、すぐには動けないみたいだった。

 スズは……衝撃に目を回しているけど、無事みたいだ。


『目障りだ。邪魔をするな』


 言い捨てたヘビの目は冷たい。

 その視線だけで足が震えそうになる。


『あのガキはどこに行った……?』

「え?」

『おれさまを封印したあの生意気なガキだ』


 ……先代のことだろうな。

 やっぱりこいつは、先代に封印されていた悪霊なんだ。

 それも、今までぼくが見たことないくらい、凶悪な。


「先代は、もういないわ」

『いない……?』

「ええ。わたしたちが、新たに引き継いだから」


 藍里さんが、お札を取り出す。

 するどい眼光で、にらみつける。


『フン! あのガキめ、逃げたか! あいつがいないなら、怖いものなどない!』


 ヘビの頭が藍里さんに向かっていく。

 藍里さんは両手でその頭をつかんだ。

 めきめき。

 ヘビの頭から、きしんだ音がする。


『何……!?』

「あなたたちを外に出すわけにはいかないわ……おそうじクラブの名にかけてね」


 藍里さんが、お札を――叩きつける!


『ぐわぁ!』


 叩きつけられた場所から、じゅう……と音がした。

 焦げ臭いにおいが強くなる。

 やった!

 さすが藍里さん、強い!


『……なんてな』

「きゃっ……!?」

「藍里!」

「あいりちゃん!」


 ニタリと笑ったヘビが、油断した藍里さんにかみついた。

 そのまま、ブンッ!

 放り投げる。

 投げた先は琥珀くんの近くだ。

 琥珀くんがあわてて受け止めた。

 あ、危なかった!

 けど……やっぱりダメージはあるみたいだ。

 藍里さんがぐったりしている。

 受け止めた琥珀くんも、ギリギリって感じだ。


「ああっ、アイリまで! ごめんなさい、スズは、スズは……みんなをこんな風にひどい目にあわせるつもりはなかったのだわ!」


 スズが泣き出した。

 だけど、ヘビは聞いちゃいない。

 長い舌を出して笑っている。


『その程度の力でおれさまを封印するだと? 笑わせてくれる』


 藍里さんの力も、お札も効かないなんて……。

 そんなの、どうすればいいんだ。

 どうすれば。

 わからない。

 心臓がギュっとなって、考えがまとまらない。

 でも、どうにかしなきゃ。

 何とか、どうにか。


「わかばくん! 危ない!」

「うわ……!?」


 頭が真っ白になっていたら、桃香ちゃんに突き飛ばされた。

 弾みでメガネが吹き飛ぶ。

 その直後、ヘビのシッポがぼくの近くを通りすぎていった。

 あ、危なかった。

 もう少しでぼくも叩きつけられるところだった。


「わかばくん、大丈夫?」

「ごめん、ぼく、ぼうっとして……!」

「ううん。無事で良かった」


 ホッと笑みを見せてくれた桃香ちゃん。

 だけど……身体が震えている。

 当たり前だ。

 桃香ちゃんだって怖いんだ。

 それなのに、ぼくを守ろうとしてくれて……。


『邪魔だ』

「きゃあ……!」

「桃香ちゃん!」


 ヘビの身体が、桃香ちゃんに巻き付く。

 宙に持ち上げられた桃香ちゃんが、ぎゅう、と締め付けられた。

 苦しそうにうめく桃香ちゃん。


「桃香ちゃんをはなせ!」

『邪魔だから排除する。それだけよ。だが……ふぅむ。こやつら、よく見たら霊力が高くてうまそうだな……どれ、外に出る前にこやつらを食べて力をつけておくのも良いな』


 何だって!?

 ぼくらを……食べる!?

 そういえば、この悪霊は、ほかの悪霊たちを共食いしてんだ。

 だけど、悪霊だけじゃなく、ぼくらまで食べるなんて……!


「わかば、くん……っ」

「桃香ちゃん! 今、助けるから……!」

「にげ、て……っ」

「え……?」

『まだしゃべるか。うるさいやつだ』

「ううっ……」


 ぎゅう、とさらに絞める力が強くなる。

 その拍子に、そばに落ちていたぼくのメガネがぐしゃりとつぶされた。


『すぐにおまえも食べてやるからな』


 ギロリと、ヘビににらまれる。

 メガネをなくしたぼくには、さっきよりはっきりとその悪意が見てとれる。

 その視線が、強くて、痛くて。

 汗が吹き出るほど、気持ちが悪くて。

 ぼくは動けなくなった。

 ――ぼくも、あのメガネみたいにつぶされるんだろうか。

 ぐしゃぐしゃになって、食べられてしまうんだろうか。

 怖い。

 怖いよ。

 今すぐにでも逃げ出したい。

 今までだって、散々逃げてきたじゃないか。

 そうだ。

 ぼくはもともと、悪霊退治なんて関係がなかった。

 ただ見えてしまうから……見えることしかできないから……できるだけ関わらないように逃げてきた。

 おそうじクラブに関わらなければ、これからだって、ずっとそうだったはずだ。

 ずっと、一人で逃げ続けていたはずだ。

 それでも良かった。

 それで、平和でいられるならいいって、思っていた。

 でも。

 ――でも。


「みんな、ごめんなさい……ごめんなさい……」

「若葉……っ」

「天内くん、お願い。桃香を助けて……」

「わかば、くん……」


 スズが、顔をおおって泣いている。

 琥珀くんが、苦しそうに立ち上がろうとしている。

 藍里さんが、必死にうったえてくる。

 桃香ちゃんが、消えそうな声でぼくを呼ぶ。

 みんな。

 みんな、ぼくの友達だ。

 逃げて、一人でいただけのぼくにできた、大切な仲間だ。

 みんなともっと一緒にいたい。

 一緒に遊びたい。

 だから。

 ぼくは、逃げない。

 逃げるもんか!


「桃香ちゃんをはなせ!」

『ふん……向かってくるか』

『逃げればせめて、少しは生きながらえられたものを』

『死に急ぐとはな』


 三つの頭が順番にしゃべって笑う。

 ヘビが向かってくる。

 するどい牙が、ぼくを真っ直ぐに狙ってくる。

 ぼくは強く前を見すえた。

 にらみつける。


「今だ!」


 右に――よける!


『何!?』


 襲ってきたヘビの頭を、ぼくはギリギリ横によけた。

 ヘビの頭が勢いあまって通りすぎていく。

 ぼくだって、だてに逃げ足を鍛えてないんだぞ。

 ギリギリの鬼ごっこには、反射神経だって必要なんだ。

 ……ほかの運動部分は、ぜんぶ琥珀くんに負けるだろうけどね。


「さあ! はなせ!」


 桃香ちゃんを締め付けているシッポに向かって、お札をたたきつける。

 ジュウ!

 肉が焼けるような音。

 ゴムが焼けたような臭い。


『させるか!』

「うわ!」

「きゃあ!」


 ヘビがシッポを振り回した。

 桃香ちゃんとぼくはいっしょに吹き飛ばされる。

 琥珀くんたちとは反対側だ。

 背中から壁にぶつかって、い、痛い……。

 解放された桃香ちゃんも、うめいている。


『そんな弱い札で、おれさまを封印できるものか!』

「くそう……」


 白いヘビが、怒って真っ赤になっている。

 それがまた毒々しい。

 どうしよう。

 ここまでなのか……?

 いいや。

 逃げないし、あきらめない。

 ぼくは、そう決めたんだ。

 ――それは、みんなも同じらしい。

 琥珀くんと藍里さんも、ゆっくり、フラフラしながら立ち上がった。

 スズも涙をぬぐってヘビをにらんでいる。

 桃香ちゃんも、けんめいに顔を上げた。

 そうだ。

 だってぼくたちは。

 おそうじクラブだ。


「オレを忘れないでほしいな」


 ふいに。

 入り口の方から、涼しげな声が響いてきた。

 余裕を固めてキレイに丸くしたような、そんな声。

 コツ、コツ。

 足音が聞こえてくる。

 近づいてくる。

 少しずつ、顔が見えてきた。


「オレだって、おそうじクラブの一員だよ」

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