第3話

 次の日。

 天気は晴れたけど、ぼくの気持ちは鉛みたいに重たかった。

 学校の中を一歩歩くだけでも、やたらと重い。そのままズブズブと床に沈みそうだ。


 はあ。

 はぁぁぁぁ。


「わかばくん、おはよう」

「……桃香ちゃん」


 ふかーいため息をついていたら、後ろから桃香ちゃんに声をかけられた。

 ニコ、と笑った顔はあどけない。

 相変わらずヘッドフォンをしているのは、やっぱ変わってるけど。


「わかばくんと同じクラブになれるの、楽しみにしてるねっ」

「うっ」


 桃香ちゃんはニコニコとうれしそう。ぼくの胸がズキズキ痛む。

 いや、別に悪いことをしてるわけじゃないんだけど……。

 ただ、クラブに入るのを迷ってるだけなんだけど……。

 桃香ちゃんは「えへへ」と笑った。恥ずかしくなったのか、頬が赤い。

 それからパタパタと教室に入っていく。

 うーん。

 琥珀くんの面白くなさそうな態度や、藍里さんの興味なさそうな態度を見てると、桃香ちゃんの優しさが染み渡る……。

 ますます断るのが罪悪感だぞ。

 とはいえ、ぼくには悪霊を追い払うとか、そんなことできるわけない。


「できるわけ、ないんだよ……」


 改めて口に出すと、やっぱり、胸がズキンと痛かった。

 教室に入る手前。

 ぼくは気持ちを吹っ切るために、ぶんぶんと首を振る。

 ええい。いつまで考えてても仕方ない。

 とにかく、まずはクラスになじめるようにしなきゃ。

 めまいがしそうなくらい、首をぶんぶん。

 ぶんぶん。

 ぶんぶん……。

 ……あれ?

 ふと、視界の端っこに、変な影を見つけた。

 犬、かな?

 でも、学校の中に?

 しかもその犬は、廊下の柱をペロペロと一心不乱になめている。

 その柱には変なマーク。古いのか、なめすぎてかすれたのか。六芒星ろくぼうせい、っていうんだったかな? 三角を重ねた、星みたいなやつだ。

 ちら、とこっちを見た犬は――人間のおじさんの顔をしていて。

 ぼくは二度見する。

 さらにメガネを少しだけ外してみた。

 うん。はっきりとおじさんの顔が見える。


「何こっち見てんだ」

「えっ」

「子供はたっぷり勉強しろよ」

「はあ……」


 おじさんの顔をした犬――人面犬ってやつかな――は、低い声を出した後、また柱をぺろぺろとなめ始めた。

 でも、誰も気づいていないみたい。

 じゃなきゃ騒ぎになるよね。人面犬じゃなくたって、犬が学校の中にいたら、けっこうビックリだもん。

 ……変な学校すぎる……。





 放課後。

 結局まともにクラスのみんなと話せないまま、時間だけが過ぎてしまった。

 たっぷり自己嫌悪。

 どうしてぼくは、こうも意気地がないんだ……。


「わかばくん、何やってるの?」

「わっ……も、桃香ちゃん」

「そうじ?」

「うん。まあ……」


 ぼくはあいまいに笑う。

 今は、きっちり机を並べていたところ。さっきまでは窓の手すりをこっそり雑巾でふいていた。

 というのも、ぼくはモヤモヤすると、つい、何でも片づけちゃうんだ。

 片づけていたら、たまったモヤモヤもキレイになる気がして。

 まあ、気休めかもしれないって自分でも思うけど。

 だから、おそうじクラブが本当にただのおそうじクラブだったら、入るのも迷わなかったかも。

 ……ただのおそうじクラブ、ってのも変な言い方だな。


「わたしも手伝うよ」

「いや、そんな。大丈夫だよ。好きでやってることだから」

「でも、二人でやった方が早いよ。ね?」

「……うん」


 にっこりと笑われると、落ち着かない。意味もなくメガネをカチャカチャ触っちゃう。

 よいしょ、と桃香ちゃんが机を動かす。

 いい子だなぁ……。


「……桃香ちゃんは、何でそんなにぼくに構うの?」


 思わず、聞いていた。

 しまった。

 変なことを言ってしまった。

 そう思うけど、もう遅い。

 桃香ちゃんはドングリみたいな大きな目をぱちくりさせている。


「あ、いや。ぼく、クラスで浮いてるし」

「わかばくん、転入してきたばっかだもん。まだみんな様子を見てるだけだよ」

「でも……幽霊が見える、おかしな奴だよ」

「それはわたしもいっしょだよ。……こんなヘッドフォンしてるなんて、もっと変」


 う。目を伏せた桃香ちゃんに、ぼくはコチンと固まってしまう。

 何て言ったらいいんだろう。

 たしかに、変わった子だなってぼくも思っちゃったもんな。

 話してみたらふつうにいい子だから、今じゃあまり気にならないけど……。クラスのみんなも、そんなに気にした素振りじゃないし。

 ぼくが固まったのを見て、桃香ちゃんも慌てたみたいだった。

 わたわたと手を動かして、ウロウロと目を泳がせる。

 それから……もじもじと、また口を開いた。


「あの……わたしね、幽霊の声が聞こえるって言ったでしょ?」

「うん……」

「ずっと変な声が聞こえてた。姿は見えないのに、暗くて、苦しくて、気味の悪い声がずっと。でも聞こえてるのはわたしだけで、わたしがおかしいんだって……すごく怖かった」

「……」

「それで、ヘッドフォンをつけ始めたの。気づいたのはたまたま。絶対じゃないけど、これがあるとある程度は変な声をさえぎってくれるんだよ。すごいでしょ」


 へへ、と桃香ちゃんは笑った。少しだけ恥ずかしそうに。


「親や先生にも変な風に見られたけど……ヘッドフォンをつけてからはめそめそ泣かないようになったから、まだマシだって思ってくれたみたい」


 ――ああ。

 それは。

 ぼくと、同じだった。

 ぼくも、視力は悪くないのに、いきなりメガネをかけ始めた。

 理由も桃香ちゃんと同じだ。

 原理はわからないけど、物理的なそのレンズは、少しだけぼくを助けてくれるから。

 ぼくはメガネだから目立たないけど、ヘッドフォンの桃香ちゃんは大変だろうな……。


「でもね」


 パッ、と桃香ちゃんは顔を上げた。

 うれしそうに表情をほころばせる。

 花が咲いたみたいに。


「おそうじクラブに誘ってもらってから、わたし、うれしいことが増えたの」

「え? でも、悪霊と戦うんでしょ? 余計に悪化するんじゃ……」

「ううん。茜くんも言ってたけど、ある程度発散することで症状は落ち着いてきたし……それに、おそうじクラブでなら、わたしの能力も役に立てるんだよ」

「役に……?」

「うん。今までは声が聞こえてイヤなことばかりだったけど、役に立てて、すごくうれしい。それに……ひとりじゃなくて、仲間ができたみたいで、やっぱりうれしかったの」


 仲間。

 それは、……クラスメイトと仲良くなることより、難しそうだった。

 ぼくにはピンと来ない。

 でも、桃香ちゃんは、本当に生き生きと笑う。

 おとなしい桃香ちゃんがここまで堂々と言えるのは、それが本心だからだろう。


「だから……もし、わかばくんが困ってるなら。わたしが助けてもらえたように、わかばくんも仲間になれたらな……って思うんだ」


 ぼくも、仲間に……。

 ……まだ、ピンとは来ないけど。

 ぜんぶを信じたわけじゃ、ないけど。

 桃香ちゃんの笑顔を裏切るのは、なんだか、悪いことのような気がしたから。

 だから、もう少しだけ。

 ぼくは、おそうじクラブに顔を出してみることにした。

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