終幕

第1話

 あの騒動から、十日経った。首謀者であるベルと、その父であるムンニ大臣、部下であるマーリは捕縛された。だが、王子をハーレムへと来させるための苦肉の策だったと述べれば、多くの権力者からは同情の声が上がった。古狸たちが連携したのだとザルツが呆れていたが。そのため、ベルとマーリはハーレムから退出、ムンニ大臣は一ヶ月の謹慎処分だけという、軽い処分で落ち着くことになった。


 そして、バドラも同じく一ヶ月の謹慎処分のみ。アブーシに至っては、ベル達の企みの報告を王子に行ったこと、秘薬を飲んだ王子を素早く処置した功績が加味され、ライラを拉致したことは不問となっている。


 ライラはハーレムの自室で、ひたすら呆然としていた。騒動の渦中で、あんなに必死にあがいていたのに、終わってみればあっけない。騒動を起こした人々は、重い罪に問われることもなかった。身分の低いライラや弟妹達が拉致されたり、脅されたりしたのなど、王宮内の人にとっては些細なこと。彼らにとっては、第七王子の、シンの恋心がなくなっただけなのだ。そして、ほとんどの人にとっては、それは嬉しいこと。嬉しくないのは、辛くて悲しいのはライラだけだ。


 弟は解毒薬で元気を取り戻し、昨日、妹達と一緒に村へと帰って行った。最後までライラの事を心配していたけれど、ライラは引きつった笑みを浮かべるしか出来なかった。


 そして、ハーレムには日常が戻っている。何事もなかったかのような穏やかさだ。ライラだけが、騒動の中に置いてけぼりになっている。

 食欲がない。眠れない。眠ったら、すべてを忘れてしまいそうで、怖くて仕方ないのだ。健康が大事だと頭では理解していても、動く意欲がなにもわかない。


 窓から外を見ると、月が出ていた。いつの間にやら夜になっていたようだ。ライラは遺物の水差しを手に取り、ベッドに腰掛けた。


「ねぇ、月の魔人」


 秘薬を作るとき以外で、呼びかけるのは初めてだった。水を入れて月を映していないと答えてくれない、そう思っていたのだけれど、予想外に、水差しは淡く光り出した。


『呼んだかえ?』

「……呼んだ……けど、まさか起きてくれるとは思わなかった」

『なんじゃ、その気の抜けた返答は』


 魔人の呆れたような声が響く。


「ごめん……でも、私、良くわからなくなっちゃった」

『ん? 妾に分かるように話せ』

「月の魔人は、ずっと、恋の秘薬を作ってきたのよね。私や祖母以外にも、たくさんの使い手を見てきたと思う。そんな月の魔人から見て、私はどんな風に見える?」


 ライラは水差しを指でゆっくりとさする。


『……そうよの。とても人間くさいと思うぞ。欲深く、けれどそれを律したいともがき、必死に抗おうとするところが滑稽で、妾は愛おしく思っておる』

「滑稽って……」


 ライラは思わず力が抜けてしまう。


『人間とは、惑うもの。どう惑うかは、人それぞれじゃ。それを見るのが妾は面白い。永久の時を生きる妾には、楽しみが必要じゃからの』


 そうか、だから遺物は使い手を選ぶのかと思った。


「恋の秘薬は、とても危険なものだわ。この秘薬のせいで、酷いことばかり起こる」

『そうかえ。では、もう作るのをやめるか?』


 月の魔人の問いかけに、ライラはしばし考える。


 消えてほしくない想いが、目の前で消えてしまった。とても大切で、愛おしい気持ちが、なくなってしまった。秘薬さえなければ、消えずに済んだのだ。


 でも、それは自業自得かもしれない。


 ライラは自分の恋心を何度も消した。報われないことに怖気づいて、逃げ出してしまった。そんな弱い自分が、すごく腹立たしい。そのことを後悔している。つらくても、持っているべきだった。自分の気持ちを手放してしまったから、きっと、シンの気持ちも手に入らなかったのだ。


 恋の秘薬を巡って、様々な思惑に巻き込まれた。正直、もう二度と巻き込まれるのはごめんだと思う。あんな思いをするくらいなら、秘薬なんていらない。逆に、あんなものがあるからこそ、人々は間違うのだとすら思う。だって、弱いから。


 でも、秘薬を飲んで、穏やかな笑顔を浮かべた人が確かにいた。助けてくれてありがとうって、言ってくれた人がいた。彼らに渡した秘薬が、全部間違っていたとは思えない。


 秘薬が、最後の希望になる人もいる。


「いいえ。本当に苦しんでいる人がいたら、やっぱり、秘薬を作ってあげたい」


 どうあがいたところで、ライラは薬師だ。助けになれることがあるのに、無視なんて出来ない。それが、本当に薬となるならば渡したい。


『ふふ、そなたらしい答えじゃ。やはり、そなたは面白い。よかろう、そなたが望む限り、妾は力を貸し続けよう』


 月の魔人は嬉しそうに笑うと、気配を消した。水差しの淡い光も霧散する。


 今までは危険なものだという理解が足らないまま、秘薬を作っていた。だから、ここまで人々の思惑におどらされてしまったのだろう。そのための試練だったと思えばいい。そう思って、自分を納得させよう。そうしなければ、いつまでたっても前を向けないから。


 たぶん、一人きりで抱え込んでいた。助けを周りに求めれば良かったのだ。そうしたら、違う方法が見つかったかもしれない。必死になりすぎて、狭い中でもがいていた。独りよがりだったのだ。


 頑張るのはいい。けれど、もっと、柔軟に、しなやかに、そして、強かになりたい。

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