第2幕

第1話


 ライラは初めて生まれ育ったオアシスを出た。表向きはキャラバンを装っている集団だが商隊ではない。王宮の役人と護衛で構成されており、お妃候補を王宮に連れて行くために編成された隊だった。そのついでにライラも同行させてもらっている。


 旅をしたことなどなかったライラは、砂漠の過酷さを身にしみて感じていた。昼間は太陽が照りつけて非常に熱い。かと思えば、太陽が沈んだ途端に気温は急激に下がり凍えてしまう。過酷な寒暖差にかなり体力が消耗していた。


「ライラちゃん、疲れてない?」


 休憩中、ザルツが心配そうに声をかけてくれる。それ対して、ライラは必死に笑顔を返す。疲れていたとしても歩かなくてはならないのだ。隊の進みを乱すわけにはいかない。

 砂漠での野営は簡易的なテントを張り、敷物を地面に敷いて砂まみれで寝る。食事も乾燥した携帯食が主で、夜だけは暖かいスープが出るが具はほとんど入っていない。覚悟してても辛いものは辛いのだ。


「今日はオアシスに泊まれるから。オアシスに着いたら、浴場へ連れてってあげるよ」


 ザルツの申し出に、ライラは思い切り肯くのだった。

 ライラにとって隊の中ではザルツが唯一の知り合いだ。その他の人は全く知らない上に、何故か距離を取られている気がする。


「ザルツおじさん。私、王宮の人達に嫌われてるのかな? 何か壁を感じるんだよね」


 これから王宮で働くというのに、役人や護衛に嫌われているというのは深刻な問題だ。だから、王宮に着く前に何とか解決の糸口をライラは見つけたかった。


「えぇと……たぶんね、勘違いしてるんだ。年頃の娘がいると、お妃候補だろうって反射的に思ってるみたい。お妃候補に下手に関わって機嫌を損ねたくないんだよ」


 ザルツの説明に思わず納得してしまった。確かに壁は感じるが、邪険に扱われたことはないからだ。

 今は砂漠を歩くので髪を布で覆い、ベールで鼻と口を覆っている。昼間は日除けのため、夜間は防寒のため、そして吹き荒れる砂混じりの風対策のためだ。だがそれによって顔が見えていないので、まわりから見たら慎み深い妃候補と誤解されていても仕方ない。


「でも、将来お妃になるかもしれないから、仲良くなろうって思う人もいそうなのに」

「あぁ、それは、結果的に自分の首を絞めるんだよ。変に仲良くして、政治的に何か企ててると疑われたり、それこそ不義密通を疑われたらそれだけで投獄だよ」

「ほ、ほんとうに? 疑われただけで?」


 ライラは驚きのあまり、目を見開いてしまう。


「王宮の中は、足の引っ張り合いの恐ろしいところなんだ。まぁ、足を引っ張り合って共倒れした人達がいたからこそ、我らが第七王子は皇太子になれたんだけどね」


 さらっと恐ろしいことを言ったザルツは、大きく伸びをした。


「でもね、ライラちゃん。彼はただ運が良いだけじゃない、ちゃんと王子として優秀だから国王も皇太子にすることをお決めになったんだ。だから、ライラちゃんは安心して仕えるといいよ。さぁ、もうちょっと頑張ろうか。今日泊まるオアシスは王都に一番近いからね。そこから王都までは二日で着くよ」


 陰謀渦巻く王宮内だが安心してなどと軽く言われても、もう少し心の準備がしたかったなと思うライラだった。




 王都にもっとも近いというオアシスは、ライラのいたオアシスよりも人は多く、物も溢れていた。異国の人もちらほら見かけて驚いていると、王都に行ったらもっと見かけるよとザルツに言われた。

 宿屋の窓から通りを見下ろせば、居酒屋から賑やかな音楽が流れてくる。出入りする人々は酔っているのか顔を赤くして上機嫌だ。綺麗に着飾った踊り子の姿もあちらこちらで見かける。腕やお腹が見えているし、足を覆う布もすけすけだ。あんな過激な格好を初めて見たので、ライラは同じ女性なのに照れて直視できなかった。

 

 翌朝になり、新たな同行者が増えた。正真正銘の妃候補の女性だった。


「あそこの輿に乗っている方が、この隊が迎えに来た妃候補だ。有力貴族の娘さんで、確かライラちゃんと同い年のはず。出発まで時間があるから挨拶しておいで」


 ザルツに言われ、ライラは背筋を伸ばした。妃候補は輿に乗り、静かに待っている。髪は薄紅色の布で覆われ、白いベールで顔を隠していた。立派な首飾りが胸元を華やかに飾り、チラリと覗く白く細い手首には、細い金の腕輪が何重にもはまっている。

 四人で担ぐ仕様の輿は、座る面は上質の絹で覆われ、中には綿が敷かれているのか柔らかそうだ。座る面から垂直に細い柱が立っており、日陰を作る屋根のような覆いが頭上に付いている。貴族のお嬢様は自分の足で砂漠を歩くなんてことはしないらしい。


「ご挨拶申し上げたいのですが、よろしいでしょうか」

「……」


 何の反応もない。しかし声をかけてしまった以上、このまま下がるわけにも行かない。ライラは仕方ないと、腹をくくった。


「この度、薬師として働くことになったライラ・ハールンと申します。ハーレムにてご用がありましたら、なんなりとお申し付けください」

「……」


 やはり反応はない。何故だ、そこまで礼儀を欠くようなこと言っていないはずなんだけれど。ライラの額から汗が噴き出る。


「で、では、失礼したしまふっ」


 噛んだ! 最後の言葉で噛んでしまった。恥ずかしくて砂に埋もれてしまいたい。


「ふふっ……あ、ご、ごめんなさい、その笑うつもりはなくて、でも、笑っちゃったから信じられないですよね。本当にごめんなさい。私みたいなのが笑ってごめんなさい」


 頭上から振ってきた声は、予想外におどおどしていた。


「い、いえ、笑ってくださって、逆に良かったです。その、反応がない方が、えっと、いたたまれないので」


 ライラも釣られて、おどおどとしてしまう。

 輿の上に座る少女は、頼りなさげに扇を胸元に抱え、顔を隠していた。


「ライラ……さん?」


 恥ずかしそうに、妃候補の少女が扇から顔を覗かせた。その小動物みたいな仕草が、ものすごく庇護欲を誘う。


「はい、ライラです。呼び捨てになさってください。私は妃候補ではありませんので」

「そ、そうですか。で、では、ライラ。私はメリドの娘でマーリといいます。その、よろしく。あの……こんなこと言うの恥ずかしいんだけど、私、人と接するのがとても、苦手で……さっきも、挨拶してくれたのに、何て返したら良いのか混乱してしまって、その、気を悪くしたでしょう。本当にごめんなさい。私みたいな奴が、ハーレム行くだなんて、場違いなの分かってるわ。美人で頭が良くて社交性もある方々こそふさわしいのに。そんな中に私のようなものが紛れ込むだなんて、皆さんに申し訳なくて……そうだ、死のう」


 さっきまで寡黙だと思っていたマーリが、早口で捲し立てたかと思うと、何故か語尾が『死のう』で締めくくられていて、ライラはぎょっとした。


「おおおおお待ちください。死んだらダメですよ。まだ行ってもいないんですから、せめて行ってみましょうよ」


 ライラは必死になだめると、マーリは落ち着きを取り戻した。


「……取り乱しました。ライラって優しいのね。親元を離れて、私とても心細くて。良ければ仲良くして貰えると、う、うれしいんだけど、その、あの、こんな根暗で面白みのない奴なんかと仲良くしたくないかもしれないけれど、やややっぱり一人は怖くて――――」


 落ち着いたと思ったのに、再び興奮しだしてしまった。


「仲良くしましょう! 私はマーリ様と仲良くしたいです」


 ライラは少女の白く柔らかな手を握る。するとマーリは驚いたように扇子を落とした。


「ライラ……あなたは変わった方ね。こんな私を信用してくれるなんて」

「大袈裟ですよマーリ様。私も親元を離れて不安だったんです。一緒に頑張りましょう」


 ライラが微笑むと、マーリは恥ずかしいのか顔を背けてしまう。けれど、そんなところも可愛らしく、放っておけないなとライラは思った。

 ザルツに後で聞いた所によると、しきたりとして妃候補は一人で王宮に上がらなくてはならないとのことだった。下手に馴染みの侍女などを連れてくると、その侍女を使って他の妃候補に嫌がらせする例が多いらしい。そこまでしていても、水面下の争いは絶えないらしいが。


 ライラがマーリとお喋りしつつ歩いているうちに、陽が傾いてきた。今日の進みはここまでらしく、慌ただしく野営の準備を始める。すると、何やら地鳴りのような音が近づいてきた。何の音なのだろうと思っていると、誰かが叫んだ。


「盗賊だ!」

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