第8話


 シンの勝ち誇ったような表情が一気に強張った。布が取られ見られてしまった。こんな酷い顔、見られたくなかったのに。


「えっと……転んだ、の」


 ライラは頬の痕を隠すように横を向く。


「は? んなわけねえだろ。これ殴られてんじゃん。良く見せろ」


 笑われるのを覚悟していたが、シンは笑わなかった。それどころか焦った様子でライラを覗き込んでくる。


「ち、近いから。離れてよ」

「嫌だ。ライラ何があった。言えよ」


 必死でシンと距離を取ろうと手を突っ張る。しかし、簡単に手は除けられてしまう。


「待て待て待て、何なんだよ、お前……おでこにも傷がある」


 シンの手が髪の生え際をそっと触った。


「シン、大丈夫だから。もう傷はふさがってるし」

「ふざけるな!」


 シンが叫んだ。その迫力にライラはびくりと体を強張らせてしまう。


「お前……これ誰にやられた。もしかして他にも傷があるんじゃないのか? ちょっと、全部脱げよ。俺が確認する」


 ライラの返答も聞かずに、シンは服を引っ張り始めた。憑りつかれたように、服を脱がそうとしてくるシンが非常に怖い。


「こらっ、ちょ、待ってよ。やだ、腰巻解くなっ、ほんと、止めて、怒るよ!」


 ライラが本気で拒絶すると、シンが地面を拳で叩いた。


「ならっ、何があったか言えよ!」

「シン……怒ってるの?」

「そりゃ怒るだろ。大事な幼馴染が殴られてるんだ。殴った奴は許せないし、素直にそれを言わないライラにも腹立ってるし、怪我してるライラを追いかけまわしてた自分が情けないし、いろいろひっくるめてすごく怒ってる」

「ごめんなさい……でも、シンは悪くないから。これは私の不注意なの。いつもは店に取りに来てもらうあの恋の秘薬を、村の外へ届けに行ってしまったから。薬を狙った破落戸に絡まれて殴られてしまったの。でも、普通に過ごせるくらい回復してるから大丈夫」


 シンがここまで心配するとは思わなかった。もう三年も会っていなかったのに。ライラの心臓がとくとくと温かな音を刻み始める。せっかくいない事に慣れてきたのに台無しだ。


「俺から逃げたのは、俺が薬を狙ってる奴だと思ったからか?」


 シンの問いかけに、ライラはうなずく。


「そうか。あー、なんでザルツはこのこと、教えてくんなかったんだよ。信じられねぇ」


 シンが悔しそうに、天を仰いだ。


「またお父さんを呼び捨てにして。いくら身分が下でも良くないと思うよ?」

「えぇ、今さらそれ言う……ガキんときから、俺はザルツって呼んでただろ」


 シンが嫌そうに眉をしかめる。そう、こんな表情ばかりなら心が乱されることはない。


「何度でも言うから。私はそういう性格なんです。はい、残念でした」

「くっそ腹立つ。でもま、これがライラだよな。変わってなくて何かほっとした」


 シンが優しい手つきで生え際の髪をすいた。その感触に、ライラの心臓は再び高鳴る。だから不意打ちはやめて欲しい。

 ライラは大きく息を吐くと、手を差し出した。


「取った布を返して。流石にこの顔をさらして歩くのは恥ずかしいから」


 するとシンも素直に布を渡してくるので、ライラは布を元のように巻き付ける。


「そういえば……シンは貴族やれてるの? なんか全然貴族っぽくないっていうか」

「ん? 俺はやるときはやる男だぜ? 必要とあればちゃんと貴族の仮面を被ってる。でもまぁ、やっぱり仮面なんだよなぁ。本質はコレだから」


 シンは小さく苦笑した。

 貴族の養子となって、王都でどんな日々を過ごしてきたのかは分からないが、単純に煌びやかで贅沢なだけではなかったのかもしれない。きっと、慣れないことに苦しんだりもしたのだろう。

 そこで、ふと今更な疑問が浮かんできた。


「シン、どうしてここに来たの?」

「そんなの、ライラに会いに来たに決まってるだろ」


 シンが自信満々に片目をつぶってきた。ライラはその仕草にイラッとする。


「……決まってるわけないと思うけれど」

「だってさ、ザルツから『ライラをハーレムに勧誘したけど断られた』って連絡が来たから。こうなったら俺が説得に来るしかないじゃん」


 シンのまっすぐな視線が痛い。


「別に、断って終わりでいいと思う」

「どうして断るんだよ」

「それは……ここを離れるのには抵抗があるから。単純に都が怖いっていうのもあるけれど、妹たちもまだ小さいし、私がいなくなったら誰が面倒見るの?」


 視線をそらしながら答える。本当の理由はいえないが、ちゃんとこれも断った理由だ。


「あいつらに寂しい思いをさせるのは心苦しいけどさ、しっかり者のサリムがいるじゃん。それに俺らだって母親いなくて、村のおばちゃん達に面倒見てもらって育ったし」


 シンの言うことはもっともだった。村の人々は暖かい。困ったときは助け合うのが当たり前だ。実際にエマとエメの面倒も、薬屋が忙しいときは隣家のおばさんに頼っている。


「でもハーレムだなんて、想像の上を行き過ぎてるよ。私に勤まるとは思えない」

「大丈夫だって。小さい頃から薬の勉強してたのに、生かす機会を逃していいのか?」


 それを言われると少し心が揺らぐ。だって、村の薬師は父がいて、サリムも今必死に勉強している。薬師としてのライラはこの村にいた方がいいだろうけど、代わりもきく。けれどハーレムでの仕事は、ライラだからこそ出来ることだ。それをやりがいと言わずに何と表現すればいいのだろうか。


「ライラの能力が欲しい。でも俺、単純にライラが来てくれたらすっげえ嬉しいんだ」


 シンがライラを見つめてきた。そのまっすぐな眼差しに負けそうになる。お願いだから、心を揺すぶらないでとライラは祈る。手の届かない場所にずっといて欲しい。そしたら、ちゃんと忘れたままでいられるから。だから忘れたままでいる為に王都には行けない。


「シン……そういう言葉、女の子に軽々しく言ったらダメだよ。私だから良いものの、下手したら勘違いさせちゃうから」

「誰にだって言ってるわけじゃな――――」


 シンの言葉をかき消すように、ライラは言う。


「私は、ハーレムには行かない」


 再会したとたん、こんなにもシンに振り回されているのだ。王都に行って、シンの側にいたらもっと振り回されるに決まってる、自分の心によって。


「納得できない」


 シンは憮然とした表情をしているが、そんなの知らんぷりしてやる。


「納得してもらわなくて結構。私じゃなくても、探せば医術の心得がある女性はいるよ」

「そんな簡単に見つかるかよ。ライラほど適任な奴、そうそういない。医術の心得のある女性はいたとしても、俺が来てくれて楽しいのはライラだから」

「はぁ、そうやってからかうのは止めて。婚約者に誤解されるよ?」

「……婚約者?」

「もう婚約者がいるんでしょ? 三年前、シンを迎えに来た王都の人が言ってたもの。もうすでに婚約者候補が何人もいて……」


 続く言葉は飲み込んだ。『あの方には貴族のお相手候補が山ほどいる。お前のような田舎娘が出る幕は無い』ライラがはっきりと身分の差を理解した言葉だった。


「婚約者っつうか……んー、いるような、いないような」


 シンはもごもごと言葉を濁らせた。でも、はっきり否定しないということが答えだとライラは思った。


「話はこれで終わり」


 ライラは立ち上がると、村の方向へ歩き出した。

 さっさと村に帰りたい。シンがいるという非日常から、平穏な村の日常の中へ戻りたいと思った。

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