第5話


 翌日、ライラは西の村へ出かける準備をしていた。父には反対されたが、事情を説明するとしぶしぶ許してくれたのだ。


「本当は父さんが行ってやりたいけれど、今から北の村に行かないといけないし」


 北の村で病人が出たらしく、医者から急いで薬を届けて欲しいと連絡があったのだ。


「大丈夫。妹たちは連れて行かないし、私だって分からないように変装もするから」

「ちょっとでも怪しい奴がいたら、すぐに逃げるんだぞ。足止めにこれを持って行け」


 父に渡された小袋の中身を確認すると、ライラは小さく笑った。ライラはそれをしっかりと腰巻の中に入れる。そして黒い布で髪を隠し、さらに鼻と口もベールで隠した。袖と裾の長い衣装をまとっているので、もはや目だけ出ている状態だ。


 ティタース王国では、伝統的に大人の女性は髪の毛を布で隠す。さらに既婚女性は鼻と口も布で隠し、家族以外には極力肌を見せない。けれど、最近はこの伝統もだいぶゆるくはなっており、きっちりと守るのは御老人もしくは躾の厳しい家くらいだ。つまり今のライラの姿は、老女に見えるよう変装しているわけだ。




「御老人が訪ねてきたといわれ、誰かしらと思ったら、ライラさんでしたのね」


 スージさんが苦笑いを浮かべた。栗色の綺麗な髪が、胸元で緩く結ばれている。村長の孫らしく、身にまとう服は上質の絹が使われていて、装飾品も嫌味なく似合っている。けれど決して華美な印象はなく、風に吹かれて消えてしまいそうな、そんな儚げな女性だ。


 大きなお屋敷の奥の奥、やっと辿り着いた部屋には窓には格子がはまり、ドアは重い鉄の扉だった。部屋の中は綺麗に整えられているし、本人も丁寧に扱われているけれど、スージさんは家族によって閉じ込められている。訪ねていく分には会わせてくれるのだが。

 基本的に秘薬を渡すのは店に来てもらうが、スージさんの場合は特別だ。スージを見かねた仲の良い使用人が、代理でライラの元に手紙を持って来たことがきっかけだった。


「驚かせてすみません。この薬を狙っている人がいて、奪われないための変装なんです」


 顔を覆うベールは取らず、そのまま話し始めた。ベールを取ると、頬の殴られた痕を見られてしまうからだ。ただでさえスージは心が弱っているし、変に気を遣わせたくない。


「そう、この薬……とても貴重だもの。欲しい方がいらっしゃるのも道理ね」


 スージは寂しそうに、胸元に手を置いた。


「スージさん、最終確認です。この薬を飲むと恋心は消えます。後悔、しないですか?」


 ライラは慎重にスージの表情を伺う。言葉は万能ではない。本当の気持ちとは逆のことを言えてしまうから。


「後悔は……あるけれど、薬を飲むことに対しての後悔じゃないわ。私の好きな方には、もう愛しい恋人がいる。どんなに私が想っていようと、これは叶わぬ恋。ずっとこんな気持ちを抱えているのは、つらいの」


 ライラの作る恋の秘薬。

 それは、正しくは恋煩いの薬だ。


「ライラさん。私ね、自分がこんなに醜いだなんて知らなかった。相手の女性に嫉妬して、私を見てくれないあの人を恨んだ。もう限界だったの。だって……だって、幸せそうにたたずむ二人を見て、死ねば良いのにって思った。好きなのに、大切なのに、その人の幸福を願えないどころか、殺意を抱いてしまった。私、どんどん醜い人間になっていくの」


 恋の熱を散らせる薬、恋の解熱剤といえば分かりやすいだろうか。報われぬ恋に悩む人のために、ライラはこの薬を作る。

 普通に考えれば、こんなの効くかどうかも分からない薬だ。何せ、目に見えない気持ちが相手なのだから。それでも薬に頼るしかないと思うほど、追い詰められている人がライラの元に来る。助けてあげたいと思うのは当然だろう。


 スージが閉じ込められているのは、好きな人を切りつけてしまったから。幸い、刃物はかすっただけで大事には至らなかった。けれど、世間の目を気にした村長によって、屋敷の奥に閉じ込められてしまったのだ。


「来月、別のオアシスの方に嫁ぐことが決まったの。私のしでかしたことが伝わらないうちに嫁がせるって、お祖父様は焦ってる。でもね、厄介払いでも構わない。私、心を真っさらにして旅立ちたいの」


 スージは微笑んでいる。この薬を飲むことで新しく生き直したい、その言葉に嘘はないと思った。


「分かりました。では薬をお渡しします。事前にお話ししたとおり、服用は私の目の前でお願いします。せかしたりしませんから、スージさんのタイミングで飲んでください」


 自分の目の前で服用してもらうのは、祖母から水差しを受け継いだときに約束した事柄だ。薬を作ったものとして責任を持つこと。それが効果の強い、危険な薬ならなおさらだ。


「もう気持ちは固まっているわ」


 スージは迷いなく薬の小瓶を手に取る。そして、ちょっとだけその青い液体を見つめたあと、ぐっと飲み干した。


「なんだか、喉だけでなく、頭まですっきりしていくみたい……」


 それはきっと、今まさに薬の効果が広がっているのだろう。


「不思議ね。体中に詰まっていたどろどろとしていたものが、散っていくみたい」


 そう言って、スージは一筋の涙を流した。


「これで、さよならね。醜いものにしてしまって、ごめんね」


 そうつぶやいて、スージは眠りについた。この薬は眠気を催すのだ。そして、その眠気にそって眠り、目を覚ますと恋心は消えている。



 祖母に聞いたことがある。恋心が消えたあとはどうなるのかと。

 恋に直結する記憶がなくなったり、曖昧になったりするそうだ。いくら恋の熱が消えても、恋をした記憶が残っていては再燃してしまうからだろうと。


 でも、思い出が消えてしまうのは、なんだか淋しい気がした。

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