第4話

 薬を奪われた日から五日が経った。擦り傷はかさぶたになり、頭の切り傷もふさがってきた。ただ、打撲の腫れはひいても、内出血のどす黒い変色がなかなか消えない。


 今夜は満月、昼間かと錯覚するくらい月光がまばゆい。ライラは薬の調合部屋にいき、保管庫にしまわれた水差しを取り出す。


 これはただの水差しではなく、魔人ジンの住処である迷宮ダンジョンから持ち出された遺物だ。かつてはオアシスごとに迷宮があり、冒険者たちが知恵と勇気を証明するため挑んでいたそうだ。その成果物が『遺物』と呼ばれている。今ではほとんどの迷宮が砂の中に消え去り、残っている迷宮らしきものも、廃墟と化した遺跡だけだが。


 遺物たちは魔法の力を宿している。ライラが取り出したこの水差しも、遺物だけあって不思議な恋の薬を作ることが出来た。いくら優秀な薬師であっても、心に変化をもたらす薬など作れない。だからこそ、遠くから噂を聞きつけて求めに来る人もいた。無論、信じない人も多いが、信じないならそれでいいのだ。切実に困っている人にだけに届けばいい。


「月の魔人、起きて」


 ライラは水差しに向かって声をかけた。水差しの中には、オアシスの水とツルレイシの粉末、蜂蜜が入っている。これは水差しの模様に描かれている物だ。この遺物はこれ以外の材料を入れても何の反応もない。要するに恋の薬しか作れないのだ。ライラが祖母から水差しを受け継いだ際、もっと色んな薬が出来たら良いのにと試してみたが無駄だった。


 だが材料云々よりもっと重要な事がある。それは、遺物は使える人間が限られているという事だ。実は遺物自体は珍しいものではない。過去から現在まで、迷宮を攻略できた人数分、この世に出てきているのだから。でも、活用できる遺物は意外と少ないらしい。何故ならば、遺物は意思を持っているからだ。遺物の中に魔人が眠っているのか、はたまた遺物を介して魔人と繋がるのかは分からない。けれど、遺物が力を発揮するとき、必ず魔人と交流できる。逆に言えば、魔人と交流できない遺物は、ただのガラクタと同義だ。

 本当に壊れていて使えないガラクタなのか、はたまた、魔人と交流できないから使えないだけなのか。これは難しい問題だ。というのも、魔人は意外と気まぐれなのである。


 ライラの手にしている水差しも、ライラ以外が使おうとしても反応はない。月の魔人は目覚めないのだ。そして、ライラの呼びかけにだけ起きてくれる。その理由を魔人に聞いてみると『妾は清らかな乙女が好物でな。むさ苦しい男は大嫌いじゃ』とのことだった。自分のことを好物といわれると微妙な気分になるが、魔人特有の表現なのだろう。


 呼びかけてしばらくすると、水差しが淡く光りだした。月の魔人が目覚めたようだ。


『ふあぁ、さっき眠りについたばかりじゃぞ。如何した?』


 眠そうな声がライラの頭の中に響く。永遠の時を過ごす魔人と、有限を生きる人間の感じ方は異なるようだ。前回呼び出してから、一応五日は経っているのに。


「ごめんなさい。実はこの前の薬が駄目になってしまって。もう一回作りたいの」


 姿は見えていないけれど、魔人に向かって頭を下げる。


『ふむ。駄目になったのは仕方ないの。しかしじゃ、頻繁に作るのはお勧め出来ないが』

「どうして?」

『気付いておらんのか? そなたは賢いくせに、本当に鈍感じゃの』


 魔人がため息をついた気がした。


「なにか問題があるの?」

『妾に問題はないが……』


 魔人が言いよどむ。珍しいことだ。


「あなたに問題がないならいいじゃない。お願い、薬が必要なの」

『……承知した。力を貸そう』


 魔人がそう言うと、水差しの光が強くなる。そして月の光と同化し、青白くライラの身体を包み始めた。この光に包まれると、いつも身体が熱くなる。そしてこの光がだんだんと凝縮され、気が付くと手のひらに集まっているのだ。体の熱も一緒に光が持ち運んでいるのか、手のひらはとても温かい。ライラは水差しに向かい、ゆっくりと手のひらを傾ける。吸い込まれるように、光が水差しへと満たされていった。秘薬の完成だ。


『しばらくは、もう起こすでないぞ? 妾はゆっくりと寝たいのじゃ』


 魔人が既に眠そうな声で言ってきた。


「分かった。気をつけるよ」

『其れならば良い。では、そなたらにジンの恵みがあらんことを』


 ゆっくりと水差しの発光が治まる。同時に、ライラにも疲労感と眠気が襲ってきた。


「何だろ、魔人の眠気が移ったのかな」


 ライラは不思議に思いながら、片づけをするのだった。




***


 ライラが薬師を目指したのは、何も家業が薬屋だったからではない。もちろん、父が薬を作る傍らで大きくなったのだから、無関係とも言えないけれど。

 ではどうして薬師を目指したのか。それは、この遺物を受け継いだときに決めたのだ。自分にしか作れない薬があるのなら、精一杯作り届けたいと。その心から発展し、秘薬だけでなく、もっと多くの薬も届けたいと思うようになったのだ。


 それを魔神に伝えたことがある。魔神は鼻で笑った。ライラとしては、褒めてくれると思っていただけにがっかりした。


『そうへそを曲げるでない』

「だって、まさか笑われるとは思わなかったから」

『そなたらしいなと、そう思っただけじゃ。あなどったわけではないぞ』


 魔神がふふっと笑った。今度の笑いは、優しいものだった。


 ライラは長女だ。上に兄弟はいない。だからだろうか。なんとなく、こうやって話を聞いてくれる魔神を、姉のように感じていた。親や弟妹とは違う、ほどよい距離感が心地よいのだ。親だと心配を掛けてはいけないと気遣うし、逆に弟妹には健やかに過ごせているかと心配をしてしまうから。

 だからライラにとって、秘薬を作る時間はちょっとした楽しみでもあった。ただ、あまり頻繁に呼び出すと魔神が眠いと怒るから、間隔を空けなければならないけれど。


 だが、魔神が起こすなと怒る理由は、眠いだけではなかった。そのことを知るのはずっと後になってからであったけれど。

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