第9話 守りたかったもの⑤


 美しい宝石のような瞳と視線が交わった。

 その現実を認識した途端、抑えきれずにいた激情は一気に消失した。

 目の前に見える世界、綺麗なエメラルドブルーだけに意識の全てが奪われる。


 

「……ぁった……」


 目が合った。

 今まで、1度も視線が合わなかった彼と。

 熱望していた瞳に、自分が映っている。

 

「~っ」

  

 嬉しい。嬉しすぎる。

 内側から歓喜がこみ上げ、身体が小刻みに震えた。

 そうして思わず、


「殿下っ」

 

 彼の名称を口にした。

 エメラルドの瞳、それだけを見つめ、声にならない想いを心の内に抱く。

 

 見てくれています、よね?

 ‘’私‘’のことを。

 私は存在している、のですよね?

 あなたの世界に。

 

「〜レオン、殿下」

  

 目を見て、話しかけて欲しい。

 私の名を呼んでほしい。

 そんな期待を込めた呼びかけは、目の前にいる彼の肩を揺らすものとなった。

 次いで、交わっていた視線が素早く反らされ、同時に捕まれていた左手首は素早く離された。

 想定しなかった急な衝動。

 それを受けたことにより、足元がふらつく。


 

「ぁ……」


 転ぶ。

 体感のバランスを崩し転倒を予期した私が、反射的に右手を伸ばす。

 助けになるものをつかみ取ろうとするが、目前にいた人物は私の右手をとることはなく、いつの間にか私の視界から消えていた。

 何も掴めなかった私は、そのまま数歩後退し、尻餅をつく形で転倒する。

 

 何が起きたのか。

 自分の身に何が起きているのか。

 一瞬わからなくなったが、転倒によって感じた痛みとある物が視界に入った途端、私は自分が置かれた状況を理解し始めた。

 そうして、視界に捉えた1m程先の冊子に、そのまま意識を向ける。

 

 先程左腕を捕まれた際、腕の中から落下してしまった冊子。

 その衝撃により、結ばれていたブルーグリーンの皮紐は解かれてしまったらしい。

 冊子は縦長に、見開きの状態で床に落ちており、開かれた頁には、目にした事のない細字が並んでいるのが見えた。


 記号のような絵文字。

 かつて見たことが無いその配列からは、何も読み取ることできず、この頁から何かを得るのは無理だと瞬時に判断した。

 しかし、私の視線は頁から離れなかった。

 

 これは、フードを被った疑惑の人物が所持していたもの。

 何でもいい。

 何かしら読み取りたい。

 

 冊子への注視を強めた私は、身を乗り出し頁を目で追う。

 すると。

 私から見て奥側、右側の頁に写真らしきものが貼付されていることが見て取れた。

 

 画像を注視すれば、見知れた顔が2つ。

 1つは、リリア様。

 1つは、王太子になった頃のレオン殿下。

 隣に並び嬉しそうに微笑むという、仲睦まじい2人の肖像が目に入ってきた。


 瞬間。

 ぞわりと鳥肌が立った。

 説明できない衝撃が全身を巡り、力なく開かれていた口元はきゅっと引き締まる。



 確認しなければ。

 あの冊子の内容を。

 早急に。

 

 衝動に駆られた私は、右手で1m程離れた冊子をつかみ取ろうとする。

 四つ這いになりながら伸ばした手、それが冊子に届いた瞬間、 

 

「触れるな!!!」


 怒号が、その場に響き渡った。

 ピリッとした衝撃を肌に感じ手の動きが止まった一瞬、目的のものは真横から引き抜かれる。

 あ……と思った際には、時既に遅し。

 冊子に触れるはずだった私の右手は、床の冷たさに触れる形になった。



「何をする!これは、お前が触れていいものではない!この場所に無断で侵入した事といい、一体何なんだ?!!」


 右手に冷たさを感じて間もなく、非難の声が図上から降りかかった。

 普段、特に私の前では冷静沈着なレオン。

 私の事には無関心、必要最低限の言葉しか口にしてくれない彼が、怒りを露わにしている。


 やってしまった。

 絶対にしてはならないと常に注意していた“彼に嫌われるような行動”を、とってしまった。

 

 仮病を使い部屋に籠ったと見せかけ、メイドに変装をして密やかに行動をするという、彼に気づかれないための工夫をしたというのに。

 思慮に欠けがあったために、望まぬ最悪な結果を引き起こしてしまった。

 どうしよう、どうしたら………………。


 そのように、普段の私なら後悔しただろう。

 顔色を青くしながら、彼に嫌われない為の理由と謝罪の言葉を述べたに違いない。

 しかし。


「なぜ秩序を掻き乱す!私を、俺の大切なものを汚す魂胆か?!」


 2度にわたる怒号を受けた私は、好きな人への好感度を気にして焦るという、いつもの心境にはなれなかった。

 

 


「…………す?」

 

「なに?」


「掻き乱す?私が、ですか?」


 

 彼の怒号が響き渡って間もなく、私は静かに口を開いた。

 彼に嫌われたくない。

 その気持ちは強くあるし、彼からの好感度を気にしていないわけでもない。

 嫌われないよう注意を払う意識は常にあり、その意識は、この場で自分の気持ちを吐露する行為は己の首を絞める事だと警告している。

 ただ、凌駕したのだ。

 怒りが。

 彼から投げつけられた言葉を理解した私の中から、積憤が溢れて出てしまったのだ。



「私は、わたしは、今まで一度もあなたを汚すような行動はしていません!魂胆だなんて……っ。わたしはあなたの枷にならないよう、あなたに相応しい女性になれるよう、妻として、完璧な王太子妃として常に努力しているというのに!!」


 婚姻後にレオンの意向を知った私は、彼に従い、見せかけの仲睦まじい夫婦を演じるようにした。

 レオンが定めた夫婦間の約束事に文句一つ言わず、レオンに相応しい妻になれるよう努力した。


 諦められないレオンへの想い。

 頑張ればいつかは報われ、貴方に私を好いて貰える日がきっとくる、という信念。

 それらを胸に、レオンに好いてもらうための行動は試みたが、それも彼と結んだ約束、秩序を守ってのこと。

 嫌がる事は一切しないよう細心の注意を払ってきた。

 


 この場所に無断侵入したこと、それを彼に知られてしまえば、激怒され私を嫌悪するだろうことの予測はついていた。

 しかし。

 私がこの場所に足を踏み入れ、リリーについて調べようとした理由は、あの夜の出来事があったから。

 苦悩と複雑な想いを一人で解消しようとしただけで、私は何も、レオンもレオンの大切なものも汚してなんかいない。


 あのようなリリーと誤認した抱かれ方をしても、苦言を呈さなかったし、今だって、レオンのためを想い、あの夜の事は口にせずにいる。

 

 汚されたというならば、それは私のほうだ。

 レオンへの恋心も。

 レオンに委ねた身体も。

 リリーの存在を、リリーへの想いを植え付けたあなたが。

 私が唯一守りたかった大切なもの恋心を、あなたは…………っ



 ぐっ、と。

 内側の想いが激しくなるのに合わせ、床についていた右手に力がこもった。

 力を込めた勢いで顔を上げた私は、前方に立っていたレオンの方を見やる。

 捉えたエメラルドブルーの瞳。

 それを真っ直ぐ、言葉にできない想いをのせて見る私に対し、レオンは目を見張った。

 

 再び交わった視線。

 彼は今度こそ、私を見て言葉を返すだろう。

 そう思ったのだが。

 間もなくして聞こえた彼の返答により、私は思い違いをしていたことを知る。

 



「努力?どこをどう努力していると?」


 冷たい声色に、私の目が見開く。

 努力の痕跡は1mもない。

 そう捉えられる言葉を受けた私が、信じられないとばかりにレオンを見やれば、彼の両目は私を見てはいなかった。


 視線が交わったと思ったのは私の勘違い。

 先程は、ただ私の希望を重ね見てしまった。

 そう思わざるを得ないほどに、彼の態度はかつてなく冷淡 だった。


 私の目の前にあるのは、瞳には一切光が宿っておらず、人間味を感じさせない表情。

 不気味に光るエメラルドブルーに、身も心も囚われる。

 その鋭い眼光は、私に既視感を抱かせた。

 ヒュッと私の喉が鳴った直後、


「はぁぁぁぁ」


 盛大なため息が耳に入る。

 反射的に身が竦んだ。

 鋭い眼光から逃れられず、その場から動けなくなった私に対し、彼が向けてきたのは、私の急所を付く言葉だった。

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